自己責任論は醜悪である 3
投稿者: syoumenkyousi 投稿日時: 2004/04/23 09:34 投稿番号: [37568 / 118550]
だというのに、「民間の支援者や団体が危険にさらされるようになったのは、政府の責任ではない」と言ってのけ、むしろ逆に、「民間人の支援活動が、政府に迷惑をかけている」というのが、「自己責任論」を口にする日本人たちの考え方である。さもあろう、与党の幹事長が、「あいつらのせいで、われわれ政府関係者まで危険な目に遭うところだった」などと言うような国なのだ。なんという偏った、貧しい心だろうか。このような考えには、現実にイラクで起こっている出来事を直視しようとする意志が欠如している。イラクに存在する人々を、具体的な表情をもった生身の人間として見る眼差しが遮断されている。そして死と抑圧についての感受性と想像力が、驚くほど貧困である。
この日本人たちは、何に価値をおいているのか? イラクで何が起こっていようが、政府のやることに誰も文句を言うな、ということだろうか? 政府がイラクの復興を支援するといっているのだから、まかせておけばよい、ということだろうか? たとえ政府の決定が、イラクの復興支援にとってほとんど無意味であり、むしろ戦争の後方支援のためにこそ赴いているということが明らかな場合でも? いや、彼らはそもそも、そういう明らかな事実を見たくもないのかもしれない。それというのも、面倒なことは考えたくないからだ。
それに比して、自らの危険を顧みず、イラクの地に行かざるを得なかった高遠さんたちは、皮肉なことにパウエル国務長官の言うとおり、勇気ある市民として、日本人の誇りではないか。むろん、「日本人の誇り」など、後から結果としてついてくるものであって、最初から目的として掲げるべきものではない。
どんなに危険でも、イラクには、高遠さんのことを「マザー」と呼ぶ子どもたちがいる。自衛隊が来る以前から、育まれてきた強い絆があるからだ。この子たちのために、高遠さんは、危険を顧みず、いや、危険であるがゆえにこそ、支援のために赴いたのだ。
それが自立した市民の勇気だと認め、日本人の誇りだと思うどころか、テレビの画像を眺めながら、「自業自得だ」「死んでも文句は言えまい」「金を弁済させろ」と言う人たちがいる。「世間様を騒がせた迷惑な連中だ」と言う人たちがいる。恐ろしいことである。こうした態度は、ありていに言えば、自立した「市民」としての自己存在を、自分で扼殺することに等しいからだ。「自己責任」ということをうれしげに担ぎ回る言動は、かくも無責任であり、かくも醜い。それが、どんなに危険なことか、巡りめぐって、大きな代償として私たち自身に降りかかってくる無責任な態度だということに気づかなくてはならない。
このような危険な風潮に、私たちは、どんなちっぽけな機会であっても、それが「ちっぽけだから」という理由でやり過ごしたりせず、声をあげようではないか。
「えにしだが行く」
http://homepage2.nifty.com/enishida/
この日本人たちは、何に価値をおいているのか? イラクで何が起こっていようが、政府のやることに誰も文句を言うな、ということだろうか? 政府がイラクの復興を支援するといっているのだから、まかせておけばよい、ということだろうか? たとえ政府の決定が、イラクの復興支援にとってほとんど無意味であり、むしろ戦争の後方支援のためにこそ赴いているということが明らかな場合でも? いや、彼らはそもそも、そういう明らかな事実を見たくもないのかもしれない。それというのも、面倒なことは考えたくないからだ。
それに比して、自らの危険を顧みず、イラクの地に行かざるを得なかった高遠さんたちは、皮肉なことにパウエル国務長官の言うとおり、勇気ある市民として、日本人の誇りではないか。むろん、「日本人の誇り」など、後から結果としてついてくるものであって、最初から目的として掲げるべきものではない。
どんなに危険でも、イラクには、高遠さんのことを「マザー」と呼ぶ子どもたちがいる。自衛隊が来る以前から、育まれてきた強い絆があるからだ。この子たちのために、高遠さんは、危険を顧みず、いや、危険であるがゆえにこそ、支援のために赴いたのだ。
それが自立した市民の勇気だと認め、日本人の誇りだと思うどころか、テレビの画像を眺めながら、「自業自得だ」「死んでも文句は言えまい」「金を弁済させろ」と言う人たちがいる。「世間様を騒がせた迷惑な連中だ」と言う人たちがいる。恐ろしいことである。こうした態度は、ありていに言えば、自立した「市民」としての自己存在を、自分で扼殺することに等しいからだ。「自己責任」ということをうれしげに担ぎ回る言動は、かくも無責任であり、かくも醜い。それが、どんなに危険なことか、巡りめぐって、大きな代償として私たち自身に降りかかってくる無責任な態度だということに気づかなくてはならない。
このような危険な風潮に、私たちは、どんなちっぽけな機会であっても、それが「ちっぽけだから」という理由でやり過ごしたりせず、声をあげようではないか。
「えにしだが行く」
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これは メッセージ 37567 (syoumenkyousi さん)への返信です.
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