自己責任論は醜悪である 1
投稿者: syoumenkyousi 投稿日時: 2004/04/23 09:32 投稿番号: [37566 / 118550]
以下
「えにしだが行く」より
http://homepage2.nifty.com/enishida/
『自己責任論は醜悪である(2004/04/19)
2004-04-21』
☆ 転載転用歓迎
法治国家というものは、いかなる思想信条をもつ国民に対しても、救出し、援護する義務を負っている。たとえば、アメリカ軍が600人以上を虐殺しているファルージャに、自らの信念に基づいて、イラクの人々を支援するために赴いたジョー・ワイルディングさんという名の女性がいる。彼女の母国イギリスは、言うまでもなく、アメリカの同盟国として占領軍に参加し、アメリカ軍との協力体制にある。ジョー・ワイルディングさんは、もちろんイギリス政府の対イラク政策に反対し、政府の勧告にもかかわらず、ファルージャに入っていたが、日本の高遠さんたちと同じように人質として拘束されたのだった。しかし、彼女が自立した市民としてイギリス政府のやり方に反対しつつ、イラク人の支援のためにやってきたということが理解されるや、彼女は無事に解放された。彼女はイギリスに帰らず、自らの意志で、今も引き続きイラクの地で人道支援に携わっている。
ところで、こうしたワイルディングさんの行動に対して、イギリス政府が非難したりしただろうか? 「迷惑なことをしながら、反省の色がない」などと罵っただろうか? いや、イギリス政府はそんな低劣な行為はしなかった。それが成熟した民主主義国家の当然の義務だからである。そして、政府の方針に反する市民が、自らの信念にもとづいて行動することを、政府は許容し、そうした自立した市民の勇気を、むしろ尊重するからである。そして、イギリス国民もまた、彼女のことを「世間に迷惑をかけたのに反省の色がない」とか、「彼女のために使った費用を弁済させよ」とか、「自分勝手に行ったのだから、死んでも仕方がない」とか、あたかもそれが一つの世論を形成するかのように言い募ったりはしていない。
日常的に砲弾にさらされているファルージャの地で、死と隣り合わせの支援活動を行う彼女の決断に対して、それがたとえ政府の政策に反対する立場から行われているとしても、敬意を払うのが政治家の、あるいは政治家以前の人間の、品格というものである。
ところが、日本の有力な政治家の一人である安部幹事長は、「反省してほしい。政府関係者が命の危険を冒してテロリストと接触したり、危険な場所で交渉しなければいけない可能性もあった。5人にそういう自覚があったか疑問だ」と発言している。危険な目に遭わされるのはイヤだ、という意味だろうか? この政治家には、世界の現実がかけらも見えていないらしい。一個の人間として勇気があるのは、この政治家を名乗る男か? 高遠さんたちの方ではないのか?
これからもイラクで活動したいと述べた高遠さんの言葉を聞かされた小泉首相は、「あんな目に遭いながら、政府の人に迷惑をかけて、まだそんなことを言うものですかねえ」と、いかにも不愉快そうに感想を述べている。また、人も知るとおり、公明党の冬柴幹事長は、「損害賠償請求をするかどうかは別として、政府は事件への対応にかかった費用を国民に明らかにすべきだ」と発言している。
迷惑? 損害賠償? どこからそういう発想が出てくるのか、これは性質の悪い冗談だろうかといぶかしく思われるほどである。彼らは政治家を名乗り、政権を担当する党に所属しているけれども、近代民主主義国家がその基本的要件として負っている国民援護義務の基礎も弁えていないのだ。なんのために費用を公表する必要があるのか? 費用を公表しようなどという発想は、どこから来るのか? どう考えてみても、そうした発言が可能であるためには、「政府に反対する連中のために、なぜ金を出さなくてはならないのか」という意識が前提されなくてはならないだろう。そこで、かかった費用を公表することで、「さあ、国民の皆さん、みんなであの生意気な連中とその家族を、バッシングしてください」とけしかけているわけである。完全なまでに不見識な、無責任極まる発言だと言わなくてはならない。
「えにしだが行く」より
http://homepage2.nifty.com/enishida/
『自己責任論は醜悪である(2004/04/19)
2004-04-21』
☆ 転載転用歓迎
法治国家というものは、いかなる思想信条をもつ国民に対しても、救出し、援護する義務を負っている。たとえば、アメリカ軍が600人以上を虐殺しているファルージャに、自らの信念に基づいて、イラクの人々を支援するために赴いたジョー・ワイルディングさんという名の女性がいる。彼女の母国イギリスは、言うまでもなく、アメリカの同盟国として占領軍に参加し、アメリカ軍との協力体制にある。ジョー・ワイルディングさんは、もちろんイギリス政府の対イラク政策に反対し、政府の勧告にもかかわらず、ファルージャに入っていたが、日本の高遠さんたちと同じように人質として拘束されたのだった。しかし、彼女が自立した市民としてイギリス政府のやり方に反対しつつ、イラク人の支援のためにやってきたということが理解されるや、彼女は無事に解放された。彼女はイギリスに帰らず、自らの意志で、今も引き続きイラクの地で人道支援に携わっている。
ところで、こうしたワイルディングさんの行動に対して、イギリス政府が非難したりしただろうか? 「迷惑なことをしながら、反省の色がない」などと罵っただろうか? いや、イギリス政府はそんな低劣な行為はしなかった。それが成熟した民主主義国家の当然の義務だからである。そして、政府の方針に反する市民が、自らの信念にもとづいて行動することを、政府は許容し、そうした自立した市民の勇気を、むしろ尊重するからである。そして、イギリス国民もまた、彼女のことを「世間に迷惑をかけたのに反省の色がない」とか、「彼女のために使った費用を弁済させよ」とか、「自分勝手に行ったのだから、死んでも仕方がない」とか、あたかもそれが一つの世論を形成するかのように言い募ったりはしていない。
日常的に砲弾にさらされているファルージャの地で、死と隣り合わせの支援活動を行う彼女の決断に対して、それがたとえ政府の政策に反対する立場から行われているとしても、敬意を払うのが政治家の、あるいは政治家以前の人間の、品格というものである。
ところが、日本の有力な政治家の一人である安部幹事長は、「反省してほしい。政府関係者が命の危険を冒してテロリストと接触したり、危険な場所で交渉しなければいけない可能性もあった。5人にそういう自覚があったか疑問だ」と発言している。危険な目に遭わされるのはイヤだ、という意味だろうか? この政治家には、世界の現実がかけらも見えていないらしい。一個の人間として勇気があるのは、この政治家を名乗る男か? 高遠さんたちの方ではないのか?
これからもイラクで活動したいと述べた高遠さんの言葉を聞かされた小泉首相は、「あんな目に遭いながら、政府の人に迷惑をかけて、まだそんなことを言うものですかねえ」と、いかにも不愉快そうに感想を述べている。また、人も知るとおり、公明党の冬柴幹事長は、「損害賠償請求をするかどうかは別として、政府は事件への対応にかかった費用を国民に明らかにすべきだ」と発言している。
迷惑? 損害賠償? どこからそういう発想が出てくるのか、これは性質の悪い冗談だろうかといぶかしく思われるほどである。彼らは政治家を名乗り、政権を担当する党に所属しているけれども、近代民主主義国家がその基本的要件として負っている国民援護義務の基礎も弁えていないのだ。なんのために費用を公表する必要があるのか? 費用を公表しようなどという発想は、どこから来るのか? どう考えてみても、そうした発言が可能であるためには、「政府に反対する連中のために、なぜ金を出さなくてはならないのか」という意識が前提されなくてはならないだろう。そこで、かかった費用を公表することで、「さあ、国民の皆さん、みんなであの生意気な連中とその家族を、バッシングしてください」とけしかけているわけである。完全なまでに不見識な、無責任極まる発言だと言わなくてはならない。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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