リスクの容認
投稿者: oxnardnokakashi 投稿日時: 2004/02/18 11:01 投稿番号: [32291 / 118550]
>杞憂(取り越し苦労)だけど、これって下手をすると、「犠牲者を軽く見ている」とかという、極端な誤解に陥る人が出るかも・・
>俺が言いたいのは、戦争の有利・不利のトレード・オフの話とは違う。
ニードさんが、いくらトレードオフの話しをしているのではない、と言っても現実にこの世の中はなんでもトレードオフである。この事実から逃げることは出来ない。例えば身近な例をあげれば、我々は毎日車の運転をして出勤するが、運転には常に危険が伴う。毎年アメリカでは交通事故の死亡者が4万人に登ると言う。しかし我々は社会としてこの危険を容認する選択をした。なぜなら、車の交通によって得られる利益のほうが車によってもたらされる害よりも遥かに多いからであり、一年に4万人の犠牲をだすことは容認出来る数であると決めたからだ。
だからといって我々一般市民は交通事故で亡くなる人々の命を軽々しくおもっているだろうか?
ひとりでも事故で亡くすのは心苦しいと思っているはずだ。しかし世の中が完璧ではない以上、我々の生活のうえでこのリスクは仕方ないと受け入れている。
生活の便利さのために年に4万人の犠牲を受け入れる社会が、国の安全を保つために、一時的な戦争で1万人程度の犠牲者は容認できるとしたとしてもそれが非情な選択だとは思わない。
どうして反戦派は、戦争での犠牲者のことばかり考えて、フセイン政権下で犠牲に鳴っていた何十万人というイラク市民の犠牲者を無視するのだろう?
このままフセイン政権が続いていれば、10年後には少なくとも10万人が殺されただろうし、拷問されたり拘留されたりするひとの数もいれたら膨大な犠牲者の数が予想されたのだ。フセインによって侵略されたであろう隣国や、フセインの武器をつかってテロリストの犠牲になったであろう犠牲者のことも無視してはいけない。そういう犠牲者のことを何故考えないのだろう。それが私には凄く不思議だ。
これは メッセージ 32269 (need2003jp さん)への返信です.
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