>悲しすぎる・・
投稿者: moriya99 投稿日時: 2004/01/27 08:10 投稿番号: [31052 / 118550]
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人心をまとめるのは、形式的な、権力者からの押し付けではなくて、各個人個人の内なるところから出てくる相互に共存していることの認識であり、実感である。このリアリティが無いところに、本当の意味でのナショナリズムは育たない。
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ナショナリズムについては、定義もしっかりさせないといけないし、軽々しくは言えませんが、基本的にはこの考え方が必要だと思う。
指導者は権力的であってはならない。これが大原則だと思う。創造的な指導者にしか、人は本気でついていかない。
これは、一家にたとえてみると、分かると思う。一家のリーダーである主、大抵は父親ですけど、その人が誰のお蔭で喰っている…、俺の稼ぎに喰っている以上、俺の言うことは無条件に聞け…。一家の主を讃えよ。挙げ句に気に入らないと殴る、蹴る…。家族の言い分は聞かない…。
そういう 父親の率いる家庭は、一見纏まっているが、健全だろうか。違うと思う。
お父さんについていけば、間違いない。問題が出れば、大抵のことは解決してくれるし、困ったときは相談することができる。そのときは無視しないで、必ず相手をしてくれる。一家が危急に瀕したときは、先に立って闘ってくれるし、家族の心も汲んでくれる。結束して闘うことができる。
多分、前者は権力的は指導者ですね。強制によって人を従えようとする。人はいやいや、ついていく。心からじゃない。仕方がない、生きるために心ならずも従う。食べられないと、怖いから従う。
後者は違う。人は心からついていく。尊敬があるから離れない。この人についていけば間違いない。この人の言うことを聴いていれば間違いない、この人についていけば安全に生きられる、未来もある。辛いことを訴えれば無視しない、一緒になって解決方法考えてくれる。そう信じられるからついていく。問題や困難にぶつかれば、知恵を出してくれる。努力もしてくれる。先に立って困難を引き受けてくらる。一緒に闘える。
創造的なリーダーですね。
これは、家庭でも、国家でも、その他、会社でも、どんな集団にでも当てはまることじゃないですか。今や、世界は同じ困難を抱えていますから、世界でも重要な問題に関しては同じかも知れない。
ナショナリズムの問題は定義もしっかりしておかないと難しいですけど、上からのナショナリズムと下からのナショナリズムの違いですね。
強制されたナショナリズムか、自然に沸き上がってくるナショナリズムか。
国旗や国歌などのような、指導者のシンボルも、創造的な指導者ならば、強制しなくても、人は集まり、いつの間にか、指導者と同じ旗を振り、歌を謳っている、というのが、本当の姿じゃないですか。
それが好ましく、力になるからと言って、権力的な支配者が形を真似して、国旗、国歌の重要性を説くのは、違うと思う。欺瞞だと思うし、精神的な暴力にもなりえますね。国ならば、内部で衰退が始まっている…。
何かといえば、暴力、武力行使という姿はまさしく権力的な支配者…。今の世界を覆っていませんか。
本当にクリエティブな指導者がいない。だから国旗、国歌などを弄んで喧嘩しているのじゃないですか。
この世界も本当に創造的な指導者を生み出せるようになれば、気がつけば、世界中の人が同じ歌を謳っているかも知れない…。指導者の謳う歌を自然に謳っている…。
そうした指導者を生み出す努力を重ねないで、国旗、国歌を持ち出すのは虚しいんじゃないですか。
人心をまとめるのは、形式的な、権力者からの押し付けではなくて、各個人個人の内なるところから出てくる相互に共存していることの認識であり、実感である。このリアリティが無いところに、本当の意味でのナショナリズムは育たない。
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ナショナリズムについては、定義もしっかりさせないといけないし、軽々しくは言えませんが、基本的にはこの考え方が必要だと思う。
指導者は権力的であってはならない。これが大原則だと思う。創造的な指導者にしか、人は本気でついていかない。
これは、一家にたとえてみると、分かると思う。一家のリーダーである主、大抵は父親ですけど、その人が誰のお蔭で喰っている…、俺の稼ぎに喰っている以上、俺の言うことは無条件に聞け…。一家の主を讃えよ。挙げ句に気に入らないと殴る、蹴る…。家族の言い分は聞かない…。
そういう 父親の率いる家庭は、一見纏まっているが、健全だろうか。違うと思う。
お父さんについていけば、間違いない。問題が出れば、大抵のことは解決してくれるし、困ったときは相談することができる。そのときは無視しないで、必ず相手をしてくれる。一家が危急に瀕したときは、先に立って闘ってくれるし、家族の心も汲んでくれる。結束して闘うことができる。
多分、前者は権力的は指導者ですね。強制によって人を従えようとする。人はいやいや、ついていく。心からじゃない。仕方がない、生きるために心ならずも従う。食べられないと、怖いから従う。
後者は違う。人は心からついていく。尊敬があるから離れない。この人についていけば間違いない。この人の言うことを聴いていれば間違いない、この人についていけば安全に生きられる、未来もある。辛いことを訴えれば無視しない、一緒になって解決方法考えてくれる。そう信じられるからついていく。問題や困難にぶつかれば、知恵を出してくれる。努力もしてくれる。先に立って困難を引き受けてくらる。一緒に闘える。
創造的なリーダーですね。
これは、家庭でも、国家でも、その他、会社でも、どんな集団にでも当てはまることじゃないですか。今や、世界は同じ困難を抱えていますから、世界でも重要な問題に関しては同じかも知れない。
ナショナリズムの問題は定義もしっかりしておかないと難しいですけど、上からのナショナリズムと下からのナショナリズムの違いですね。
強制されたナショナリズムか、自然に沸き上がってくるナショナリズムか。
国旗や国歌などのような、指導者のシンボルも、創造的な指導者ならば、強制しなくても、人は集まり、いつの間にか、指導者と同じ旗を振り、歌を謳っている、というのが、本当の姿じゃないですか。
それが好ましく、力になるからと言って、権力的な支配者が形を真似して、国旗、国歌の重要性を説くのは、違うと思う。欺瞞だと思うし、精神的な暴力にもなりえますね。国ならば、内部で衰退が始まっている…。
何かといえば、暴力、武力行使という姿はまさしく権力的な支配者…。今の世界を覆っていませんか。
本当にクリエティブな指導者がいない。だから国旗、国歌などを弄んで喧嘩しているのじゃないですか。
この世界も本当に創造的な指導者を生み出せるようになれば、気がつけば、世界中の人が同じ歌を謳っているかも知れない…。指導者の謳う歌を自然に謳っている…。
そうした指導者を生み出す努力を重ねないで、国旗、国歌を持ち出すのは虚しいんじゃないですか。
これは メッセージ 31049 (assaraamaaleicomnjp さん)への返信です.
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