悲しすぎる・・・。
投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2004/01/27 03:42 投稿番号: [31049 / 118550]
なんとなく、トピズレが続いているので、申し訳ない感じがして、レスを控えることもあるけど、何個かまとまったので、お二人にまとめて、レスをつけることにします。
だいたいにおいては、この元投稿のバカテロリストさんのレスに集約しているので、これを元にすることにします。
ちょっとお聞きしたいが、貴方の理論だと、口先で愛国心を誓って、日の丸・君が代を尊重する移民が出てきて、将来的に、日本国籍を取った移民が多数存在するとしますよねえ?
例えばこういう人達が、国籍取得後に、国旗国歌を拒否したとすると、これを国家権力で取り締まるということになるわけですか?
人の心の憶測に存在している、自分だけのもの、人間が個人として固有に持っている尊厳というものに対して、法の力で、権力の力で、本当に縛って、コントロールすることができると考えているのでしょうか?
※ 法的な拘束力に頼らなければならないというのは、それを期待するのは、権力者の幻想であり、施行せざるを得ないのは、権力者の敗北ですよ。
そもそも、ワールドカップで、国旗を振って応援したのは、誰が支持したのでもないですよ。と言うより何かの仕掛け人が仮にいたとしても、そのことによって受け入れたのではなくて、あの応援する人達の日本人としてのナショナリズムが、自然と自分達の内なるところから高揚し、自発的に日の丸が振られたのですよ。あそこで、かつての日本のように、仮に、「ここでは日本国旗を振るべきであり、振らないやつは国家権力によって罰せられるから、国民の義務として、振らねばならない。」などとされていたら、あの自発的な高揚感は全く得られないだろう。北朝鮮の喜び組の、あの女性達の美しさに隠された悲哀を、日本の国内のサポーターに強制されたとしたら、私達は、はたして、本当の意味での日本という国を、純粋に応援できてであろうか?・・どうしてこのことが大事だと思わないのだろうか?
心の空虚な人や、自分の持っているものに対して自信のない人は、何か、形の上でのつじつまが合って、表面上、そのように見えることで、心の安定を持とうと試みるものであるが、これらは全て、空しい自慰行為であり、空虚な幻想でしかないということを、いい加減理解するべきだと思う。
人心をまとめるのは、形式的な、権力者からの押し付けではなくて、各個人個人の内なるところから出てくる相互に共存していることの認識であり、実感である。このリアリティが無いところに、本当の意味でのナショナリズムは育たない。
>国旗・国歌を拒否する権利はもちろんありますが、早い話が、巨人阪神戦で、阪神の応援席にいて、一人巨人を応援しているのと同じ。
これと同じことは、日本の掲示板で、日本の利益を考えるのではなくて、アメリカの利益のための応援を一生懸命している、在米日本人や、日系米国人や、アメリカかぶれの日本人達のことである。しかし、彼らは、バカにされてはいるが、ボコボコにされることはない。阪神の応援席にいる巨人ファンは、じっと静かにしているものである。
本当に巨人の応援をしたいときには、無駄な争いを避けるために、サッサと巨人側の応援席に移動するのだ。
そして、このことは、法によっても、応援団のルール(と言うものがあるとして)によっても強制されないが、自発的にそうなるものなのである。
「国旗国歌を強制されることを拒否」している人達(ここは間違えないようにしたほうが良いと思うが、「国旗国歌を拒否」ではない)は、何も教育現場で、北朝鮮の国歌を歌うわけでも、アメリカ国歌を歌うわけでもないし、星条旗を揚げろと言っているわけでもない。タダその「国家権力によって、自己の内面の自由にまで干渉されて強制される」ことに対しての抗議の意志として、歌うことを拒否しているだけなのである。
どうしてこのことをわかろうとしないのか?不思議でならない。
これを駐車違反や、シートベルトと同列に語る人間の、感性のマヒと、想像力の欠如には、ただただあきれ、その悲しすぎる現実に、同情するのみである。
だいたいにおいては、この元投稿のバカテロリストさんのレスに集約しているので、これを元にすることにします。
ちょっとお聞きしたいが、貴方の理論だと、口先で愛国心を誓って、日の丸・君が代を尊重する移民が出てきて、将来的に、日本国籍を取った移民が多数存在するとしますよねえ?
例えばこういう人達が、国籍取得後に、国旗国歌を拒否したとすると、これを国家権力で取り締まるということになるわけですか?
人の心の憶測に存在している、自分だけのもの、人間が個人として固有に持っている尊厳というものに対して、法の力で、権力の力で、本当に縛って、コントロールすることができると考えているのでしょうか?
※ 法的な拘束力に頼らなければならないというのは、それを期待するのは、権力者の幻想であり、施行せざるを得ないのは、権力者の敗北ですよ。
そもそも、ワールドカップで、国旗を振って応援したのは、誰が支持したのでもないですよ。と言うより何かの仕掛け人が仮にいたとしても、そのことによって受け入れたのではなくて、あの応援する人達の日本人としてのナショナリズムが、自然と自分達の内なるところから高揚し、自発的に日の丸が振られたのですよ。あそこで、かつての日本のように、仮に、「ここでは日本国旗を振るべきであり、振らないやつは国家権力によって罰せられるから、国民の義務として、振らねばならない。」などとされていたら、あの自発的な高揚感は全く得られないだろう。北朝鮮の喜び組の、あの女性達の美しさに隠された悲哀を、日本の国内のサポーターに強制されたとしたら、私達は、はたして、本当の意味での日本という国を、純粋に応援できてであろうか?・・どうしてこのことが大事だと思わないのだろうか?
心の空虚な人や、自分の持っているものに対して自信のない人は、何か、形の上でのつじつまが合って、表面上、そのように見えることで、心の安定を持とうと試みるものであるが、これらは全て、空しい自慰行為であり、空虚な幻想でしかないということを、いい加減理解するべきだと思う。
人心をまとめるのは、形式的な、権力者からの押し付けではなくて、各個人個人の内なるところから出てくる相互に共存していることの認識であり、実感である。このリアリティが無いところに、本当の意味でのナショナリズムは育たない。
>国旗・国歌を拒否する権利はもちろんありますが、早い話が、巨人阪神戦で、阪神の応援席にいて、一人巨人を応援しているのと同じ。
これと同じことは、日本の掲示板で、日本の利益を考えるのではなくて、アメリカの利益のための応援を一生懸命している、在米日本人や、日系米国人や、アメリカかぶれの日本人達のことである。しかし、彼らは、バカにされてはいるが、ボコボコにされることはない。阪神の応援席にいる巨人ファンは、じっと静かにしているものである。
本当に巨人の応援をしたいときには、無駄な争いを避けるために、サッサと巨人側の応援席に移動するのだ。
そして、このことは、法によっても、応援団のルール(と言うものがあるとして)によっても強制されないが、自発的にそうなるものなのである。
「国旗国歌を強制されることを拒否」している人達(ここは間違えないようにしたほうが良いと思うが、「国旗国歌を拒否」ではない)は、何も教育現場で、北朝鮮の国歌を歌うわけでも、アメリカ国歌を歌うわけでもないし、星条旗を揚げろと言っているわけでもない。タダその「国家権力によって、自己の内面の自由にまで干渉されて強制される」ことに対しての抗議の意志として、歌うことを拒否しているだけなのである。
どうしてこのことをわかろうとしないのか?不思議でならない。
これを駐車違反や、シートベルトと同列に語る人間の、感性のマヒと、想像力の欠如には、ただただあきれ、その悲しすぎる現実に、同情するのみである。
これは メッセージ 31043 (baka_terorist さん)への返信です.
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