対イラク武力行使

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アメリカナイズ≠近代化 1

投稿者: bin5ban5 投稿日時: 2003/07/31 23:54 投稿番号: [26863 / 118550]
> 現在のイラク情勢を踏まえると、イラクの人々が米国製民主憲法を受け入れることはまずないだろう。米国製憲法が受け入れられるとすれば、米国の傀儡が主導権を握り、インチキをやった場合だけだ。彼らには国家の最高法規である憲法ぐらい自分たちの手でつくれるという自負があるはずだ。

アメリカに限らずどこの国についても、自身の立ち位置と限界をわきまえた上で、イラクの近代化を支援することには私は賛成です。けれども、イラクと違って自国の価値観、制度には普遍性がある、と思い込んでそれを押し付けてしまうのは、無知と傲慢さの表れであって、厳に慎まなくてはならないでしょう(テロリスト養成が目的なら話は別ですが)。

> 俺は別に民族主義者じゃない。しかし、海外に出てみると、明らかに他の国の人たちや民族と違う日本人としての自分を発見するのだ。それは、同様に海外に出た多くの人が口にすることだ。

これは「共同性を経由するかどうかは選べず、単に刻印されてしまうものだ」という話、というかそれを実感した経験ですよね。

ちなみに、私自身は、カテゴリー間の差異よりも個人間の差異の方が大きい――どこの国のどの民族にもいろんな人がいるなぁ――というのが、これまでの経験から得られた実感で、他民族との差異として“日本人性”を自覚した経験は少なくとも記憶に残っている範囲ではないのですが、もちろん外部から見れば、日本的な性質というのは間違いなく刻印されているはずです。


○宮台真司著『援交から天皇へ』(朝日文庫, 2002年), p.20-21
九〇年代になって日本でもようやく話題になった、ハナ・アレントの「ニューヨーカー事件」は実に鈴木邦男的だ。
  この事件は、ユダヤ人アレントが『ニューヨーカー』誌上で、アイヒマン裁判をめぐるユダヤ共同体のコミュニケーションをシニカルに茶化した記事を執筆したのに対して、ショーレムが、ユダヤの娘がなにゆえ反ユダヤ的に振る舞うのかと憤激したことに始まる。
  アレントはこれに対し、自分のユダヤ性は自分の文章から振る舞いのすべてにわたって刻印されている。たえずユダヤ的であることを証さないとユダヤ的でありえないなどというのは滑稽だ。ショーレムの物言いはむしろ脆弱なユダヤ性の表れではないのか、と反論した。
  これは加藤典洋が言う「共同性を経由しないで普遍性に到れない」といった主張ではない。そうではなく「共同性を経由するかどうかは選べず、単に刻印されてしまうものだ、だから共同性を経由するという選択をしたかどうかを問うのは馬鹿げている」と言うのだ。


○宮台真司他著『戦争論妄想論』(教育史料出版会, 1999年), pp.21-22
  社会システム理論の立場ではこう整理できます。人が本質的に共同体的存在だとするなら、その人が市民社会でどんな自由な選択をしても、共同性は論理的には「常に既に」貼りついたものとなります。「自由にふるまえば反共同体的になる」というのも「共同体的でありえない」というのも、たんなる無知です。
  カール・マンハイムも伝統主義について同じことを裏側から言います。もし本当の伝統ならば、伝統を選べなどというまでもなくそこにあるものである。逆に、選べと指示された伝統は「反省された伝統主義」ではあっても、伝統主義とは関係ないと。
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