戦争という手段を選択したくない。
投稿者: Kazanami 投稿日時: 2003/05/04 13:19 投稿番号: [26154 / 118550]
それを肯定とするのか否定とするのかは良く解りませんが、
例えば民主主義の議会では、多数決が決定の手段として用いられます。
しかし国と国との場合、人口が違ったり、数では図りきれない場合が多々あります。
そうなると、別の手段が必要でしょう。
戦争にはルールもありますし、ヘビー級とフェザー級の国同士でも、自らリングに上がることを決めたのなら戦い合い、そいて勝った方が自分の意見を通す。まぁ、どっちが正しいだのなんだのと延々とと会議をするよりも、はっきり結果が出てしまう手段だとボクは認識しています。
ただ、それが嫌な手段で、使いたくないと言っているのです。
人の命が大事というのは、イラクも米英も関係ありません。
「OKなんて誰だって思っていないでしょう。」とpialine8さんはおっしゃいましたが、ならなんで戦争やりたがる人がいるのでしょうか?
リスクを覚悟しているから、リスクを払う覚悟があるから、といってそういう状況を容認できてしまうのです、アメリカは。
それとボクは戦争をして死んだ人が、無駄な死だとは思いません。
今回の戦争では、実際にフセイン独裁政権は崩壊し、あるのかないのか怪しいですが、イラクが世界に与えていた大量破壊兵器への恐怖は取除かれたといってもいいかもしれません。
それもこれも、ほぼ勝てないにもかかわらず戦争、死というリスクを背負ったイラクの行動の結果です。
それを何に対して無駄だと思われるのでしょうか。そのような価値付けをしていいものでしょうか、特に今回の日本が。
>場合によっては戦うという選択肢を持ってる
日本も持っています。国民一丸となれば憲法は変えられます。自衛隊ではなく、軍を持つこともできます。今は持たないことを選択しているのです。もともと、根っこから。
だから日本は戦争に対して、常に不支持を選択し続けないとその選択と矛盾してしまうのです。
そして直接的に人は死にませんが、支持するだけでも影響
感情的、理論的、どっちで説得しても(そりゃ、有効な方がいいでしょうが)〜〜的「なに」なのかが大切です。〜〜的「参戦論」、それとも〜〜的「反戦論」なのか。
国際社会に通じるか通じないか、そりゃ、通じた方がいいでしょうが、思ったことは通らなくても主張していかないことには、社会の形成に参加していないことになって、日本は本当に国際社会の蚊帳の外になってしまうでしょう。
もともと、国際社会の秩序維持しようと思わなければ、支持だの不支持だのを明らかにする必要もないのです。
ここまで考えてきて、
戦争をやるかやらないか、いいのかわるいのか、
それをじっくり考えた思考の土台があれば、戦争に反対だとか賛成だとか言えるのではないでしょうか。ボクはそう思いました。
どちらの選択をしたのかは、関係ない。
例えば民主主義の議会では、多数決が決定の手段として用いられます。
しかし国と国との場合、人口が違ったり、数では図りきれない場合が多々あります。
そうなると、別の手段が必要でしょう。
戦争にはルールもありますし、ヘビー級とフェザー級の国同士でも、自らリングに上がることを決めたのなら戦い合い、そいて勝った方が自分の意見を通す。まぁ、どっちが正しいだのなんだのと延々とと会議をするよりも、はっきり結果が出てしまう手段だとボクは認識しています。
ただ、それが嫌な手段で、使いたくないと言っているのです。
人の命が大事というのは、イラクも米英も関係ありません。
「OKなんて誰だって思っていないでしょう。」とpialine8さんはおっしゃいましたが、ならなんで戦争やりたがる人がいるのでしょうか?
リスクを覚悟しているから、リスクを払う覚悟があるから、といってそういう状況を容認できてしまうのです、アメリカは。
それとボクは戦争をして死んだ人が、無駄な死だとは思いません。
今回の戦争では、実際にフセイン独裁政権は崩壊し、あるのかないのか怪しいですが、イラクが世界に与えていた大量破壊兵器への恐怖は取除かれたといってもいいかもしれません。
それもこれも、ほぼ勝てないにもかかわらず戦争、死というリスクを背負ったイラクの行動の結果です。
それを何に対して無駄だと思われるのでしょうか。そのような価値付けをしていいものでしょうか、特に今回の日本が。
>場合によっては戦うという選択肢を持ってる
日本も持っています。国民一丸となれば憲法は変えられます。自衛隊ではなく、軍を持つこともできます。今は持たないことを選択しているのです。もともと、根っこから。
だから日本は戦争に対して、常に不支持を選択し続けないとその選択と矛盾してしまうのです。
そして直接的に人は死にませんが、支持するだけでも影響
感情的、理論的、どっちで説得しても(そりゃ、有効な方がいいでしょうが)〜〜的「なに」なのかが大切です。〜〜的「参戦論」、それとも〜〜的「反戦論」なのか。
国際社会に通じるか通じないか、そりゃ、通じた方がいいでしょうが、思ったことは通らなくても主張していかないことには、社会の形成に参加していないことになって、日本は本当に国際社会の蚊帳の外になってしまうでしょう。
もともと、国際社会の秩序維持しようと思わなければ、支持だの不支持だのを明らかにする必要もないのです。
ここまで考えてきて、
戦争をやるかやらないか、いいのかわるいのか、
それをじっくり考えた思考の土台があれば、戦争に反対だとか賛成だとか言えるのではないでしょうか。ボクはそう思いました。
どちらの選択をしたのかは、関係ない。
これは メッセージ 26125 (pialine8 さん)への返信です.
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