事実の切り貼りは、その結果を変える(1)
投稿者: battamother 投稿日時: 2008/12/29 15:27 投稿番号: [115716 / 118550]
過日映画『靖国』を見て、事実の切り貼りは、その結果を変えるものだと痛感したことは以前このトピで述べた。
つまり、たとえ部分部分が事実であったとしても、それをある意図の元にベクトルを向けて繋ぎ合わせると、事実を歪曲することも可能だということだ。
今回それと同様の感慨を得たので、件名をそのようにした。
この投稿はmessi19氏の投稿にレス付けた形になっているが、これは張作霖爆殺がコミンテルンの仕業であったということを主張することを目的としてのレスではないことを先にお断りしておく。
messi19氏が一部紹介された2006年の「正論」5月号と、同年出版の「諸君」6月号に載っていたとされる瀧澤一郎氏のコメントについての誤解を生みかねない表記の仕方に対して、それを正すことを目的としたものである。
昨日購入した櫻井よしこ女史著の『日本よ、「歴史力」を磨け』(2007年9月15日初版)の中に、くだんの対話の全容が載っていたので、その部分をそのまま転写することにする。
これは【「河本大佐供述書」の信憑性】という項目のところにあり、中西輝政・瀧澤一郎・北村稔・櫻井よしこ・伊藤隆氏ら5人による対談の形式を取っている。
【中西】
実は私は前々から単純に河本大作ら関東軍の仕業と言うには、国際的な背景が強すぎる、何かが今だに隠されているのでは、という心証を抱いていました。さらにごく最近、『蒋介石日記』(未訳)から明確になったことですが、張学良がすでに父作霖の爆殺の前年7月に国民党に極秘入党していた(産経新聞2006年4月17日参照)。これは爆殺の背景として、学良=蒋=コミンテルンのつながりを検討せざるを得ないことを意味しています。モスクワで息子を人質に取られていた蒋が、ソ連とは「四・一二上海クーデター」以後も常に地下でつながっていたことを考えれば、これは爆殺問題に絡む重大な新事実です。
【瀧澤】
もともと日本犯行説は動機が希薄だと指摘されていました。日本では田中義一首相はじめ、多くの政治家、軍人が張作霖との友好関係の維持を重視していましたからね。
【北村】
当時の日本側の政府首脳は事件にたいへんなショックを受けて、田中首相も怒ったし、満鉄総裁の山本条太郎も「何をするんだ」と憤激していたことは、台湾に逃れた国民党の関係者が書き残しています。関東軍の中堅がやったことになっていますが・・・。
【瀧澤】
関東軍高級参謀、河本大佐ですね。でも「私が張作霖を殺した」と題された彼の手記(「文藝春秋」昭和29年12月号)とされるものもあやしいんですよ。この手記は河本氏の自筆ではなく、義弟で作家の平野零児が後述をもとに筆記したと言っているものですが、この義弟は戦後、中共の強制収容所に長くいたので、マインドコントロールをされていた可能性があるんです。平野は昭和31年に帰国していますが、河本自身は中国の太原収容所で昭和28年に獄死しており、口述テープがあるわけでもなく、本人の死後現れたものが手記と言えるかどうか。
ユン・チアンが「ソ連犯行説」の参考にしたのは、2000年にモスクワで出版されたコウパキヂとプロホロスの共著『GRU帝国第一巻』(未訳)です。GRUとはソ連軍諜報本部情報総局のことです。私はこの原書を読みましたが、『GRU帝国』は張作霖爆殺のソ連犯行説については次のように書いています。
<「グリーシカ」機関の実行したいくつかの工作の中でも、いちばん世間を騒がせたのは1928年6月の張作霖爆殺であったろう。張作霖は北京政権を牛耳り、露骨な反ソ姿勢をとっていた。特別列車が爆破されたとき、張作霖の乗っていた車両の隣の客車にはイワン・ヴィナロフ(エイティンゴンの部下)が乗車しており、事件現場の写真を撮った。謀殺は周到に計画され、日本軍の特務機関がやったように見せかけた>
【北村】
張作霖がソ連にかなり恨まれていたのは事実です。彼は北京を支配していましたが、1927年4月に北京のソ連大使館に踏み込み、国民党とソ連が組んでいることを示す証拠を押収したうえ中国語に翻訳して大部の冊子として公表していましたから、命を狙われる可能性はあったんです。
つまり、たとえ部分部分が事実であったとしても、それをある意図の元にベクトルを向けて繋ぎ合わせると、事実を歪曲することも可能だということだ。
今回それと同様の感慨を得たので、件名をそのようにした。
この投稿はmessi19氏の投稿にレス付けた形になっているが、これは張作霖爆殺がコミンテルンの仕業であったということを主張することを目的としてのレスではないことを先にお断りしておく。
messi19氏が一部紹介された2006年の「正論」5月号と、同年出版の「諸君」6月号に載っていたとされる瀧澤一郎氏のコメントについての誤解を生みかねない表記の仕方に対して、それを正すことを目的としたものである。
昨日購入した櫻井よしこ女史著の『日本よ、「歴史力」を磨け』(2007年9月15日初版)の中に、くだんの対話の全容が載っていたので、その部分をそのまま転写することにする。
これは【「河本大佐供述書」の信憑性】という項目のところにあり、中西輝政・瀧澤一郎・北村稔・櫻井よしこ・伊藤隆氏ら5人による対談の形式を取っている。
【中西】
実は私は前々から単純に河本大作ら関東軍の仕業と言うには、国際的な背景が強すぎる、何かが今だに隠されているのでは、という心証を抱いていました。さらにごく最近、『蒋介石日記』(未訳)から明確になったことですが、張学良がすでに父作霖の爆殺の前年7月に国民党に極秘入党していた(産経新聞2006年4月17日参照)。これは爆殺の背景として、学良=蒋=コミンテルンのつながりを検討せざるを得ないことを意味しています。モスクワで息子を人質に取られていた蒋が、ソ連とは「四・一二上海クーデター」以後も常に地下でつながっていたことを考えれば、これは爆殺問題に絡む重大な新事実です。
【瀧澤】
もともと日本犯行説は動機が希薄だと指摘されていました。日本では田中義一首相はじめ、多くの政治家、軍人が張作霖との友好関係の維持を重視していましたからね。
【北村】
当時の日本側の政府首脳は事件にたいへんなショックを受けて、田中首相も怒ったし、満鉄総裁の山本条太郎も「何をするんだ」と憤激していたことは、台湾に逃れた国民党の関係者が書き残しています。関東軍の中堅がやったことになっていますが・・・。
【瀧澤】
関東軍高級参謀、河本大佐ですね。でも「私が張作霖を殺した」と題された彼の手記(「文藝春秋」昭和29年12月号)とされるものもあやしいんですよ。この手記は河本氏の自筆ではなく、義弟で作家の平野零児が後述をもとに筆記したと言っているものですが、この義弟は戦後、中共の強制収容所に長くいたので、マインドコントロールをされていた可能性があるんです。平野は昭和31年に帰国していますが、河本自身は中国の太原収容所で昭和28年に獄死しており、口述テープがあるわけでもなく、本人の死後現れたものが手記と言えるかどうか。
ユン・チアンが「ソ連犯行説」の参考にしたのは、2000年にモスクワで出版されたコウパキヂとプロホロスの共著『GRU帝国第一巻』(未訳)です。GRUとはソ連軍諜報本部情報総局のことです。私はこの原書を読みましたが、『GRU帝国』は張作霖爆殺のソ連犯行説については次のように書いています。
<「グリーシカ」機関の実行したいくつかの工作の中でも、いちばん世間を騒がせたのは1928年6月の張作霖爆殺であったろう。張作霖は北京政権を牛耳り、露骨な反ソ姿勢をとっていた。特別列車が爆破されたとき、張作霖の乗っていた車両の隣の客車にはイワン・ヴィナロフ(エイティンゴンの部下)が乗車しており、事件現場の写真を撮った。謀殺は周到に計画され、日本軍の特務機関がやったように見せかけた>
【北村】
張作霖がソ連にかなり恨まれていたのは事実です。彼は北京を支配していましたが、1927年4月に北京のソ連大使館に踏み込み、国民党とソ連が組んでいることを示す証拠を押収したうえ中国語に翻訳して大部の冊子として公表していましたから、命を狙われる可能性はあったんです。
これは メッセージ 115696 (messi19 さん)への返信です.
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