Re: 「赤い蜘蛛の巣」???
投稿者: messi19 投稿日時: 2008/12/23 23:02 投稿番号: [115670 / 118550]
>「intelligence source」は直訳すると、「情報筋」「情報源」となります。
そこで、太田氏の「情報筋」が適当でないとして、「情報源」と訳したとしても、結論は一緒なのです。
問題は、太田氏も指摘しているように、「intelligence sources」と複数系になっているところです。
となると、「Kolpadiki & Prokhorov 2000, vol. 1 pp. 182-3 」というのは、複数あったGRUの「資料or情報源or公文書」の中の一つであると解釈する方が自然ではありませんか?
勿論、その他の資料に「張作霖謀殺ソ連説」が書かれてあったかどうかは知りませんよ。
でも、その後何度か触れているように、リンデル著の「赤い蜘蛛の巣」の中でも全く同様の内容が書かれていると私は述べていますね。
情報筋と情報源では全く違います。情報筋とは、情報の近くに身を置く者、情報を入手する立場にいる者の事を言います。
情報源は、人及び物に関する事で、この場合はGRUの文章を指します。そして複数の情報源と言うのなら、通常GRUや…例えば、KGB、CIA,SAS等複数の…と言うべきです。ここでは、GRUの複数の文章を情報源として…と、読みとることが「常識」でしょう。
産経のインタビュー等のプロポフ氏の主張を読んでも…
①事件を示す具体的な内容が殆ど無い。
②ソ連側は、張作霖が二八年、反共・反ソの満州共和国創設を日本政府と協議し始めたために、暗殺計画を再度立案。…と、言っても、当時日本政府と協力して満州共和国創設など協議する情勢には無かった。
③事件は、極東国際軍事裁判(東京裁判)で関東軍元幹部が犯行を認める証言を行い、「日本の犯行」となった。しかし、プロホロフ氏は「その幹部は戦後、ソ連に抑留され、ソ連国家保安省が準備した内容の証言をさせられた。…恐らく田中隆吉の事だと思うが、彼は抑留などされていないし、第一東京裁判でのこの証言以外にも、多くの証言が存在する。
④日本が張作霖を暗殺しなければならない理由はなく、ソ連が実行した。…と結論づけているが、
『関東軍高級参謀河本大作大佐が、満州占領の早道として張作霖の爆殺を決意したのは昭和二年末頃とされているが、決定的証拠となる在京の親友磯谷大佐宛ての書簡が、岡田芳正によって磯谷家資料の中から発掘されたのは十数年前のことである。
二枚の三銭切手を貼った書簡の消印は昭和三年四月十八日となっていて、「満蒙問題の解決は、理屈では誰も出来ぬ。少し位の恩恵を施す術策も駄目なり。武力の外道なし」と断定したのち、河本は、「張作霖の一人や二人ぐらい、野タレ死んでも差支えないじゃないか。今度という今度は是非やるよ。止めてもドーシテも、やって見る・・・・僕は唯々満蒙に血の雨を降らすことのみが希望」とテコでも動かぬ決意を告げていた。』(秦郁彦『張作霖爆殺事件』より )
等…他にも、首謀者の多くの証言が残っている。
到底、河本主犯説を覆す内容では有りません。
そこで、太田氏の「情報筋」が適当でないとして、「情報源」と訳したとしても、結論は一緒なのです。
問題は、太田氏も指摘しているように、「intelligence sources」と複数系になっているところです。
となると、「Kolpadiki & Prokhorov 2000, vol. 1 pp. 182-3 」というのは、複数あったGRUの「資料or情報源or公文書」の中の一つであると解釈する方が自然ではありませんか?
勿論、その他の資料に「張作霖謀殺ソ連説」が書かれてあったかどうかは知りませんよ。
でも、その後何度か触れているように、リンデル著の「赤い蜘蛛の巣」の中でも全く同様の内容が書かれていると私は述べていますね。
情報筋と情報源では全く違います。情報筋とは、情報の近くに身を置く者、情報を入手する立場にいる者の事を言います。
情報源は、人及び物に関する事で、この場合はGRUの文章を指します。そして複数の情報源と言うのなら、通常GRUや…例えば、KGB、CIA,SAS等複数の…と言うべきです。ここでは、GRUの複数の文章を情報源として…と、読みとることが「常識」でしょう。
産経のインタビュー等のプロポフ氏の主張を読んでも…
①事件を示す具体的な内容が殆ど無い。
②ソ連側は、張作霖が二八年、反共・反ソの満州共和国創設を日本政府と協議し始めたために、暗殺計画を再度立案。…と、言っても、当時日本政府と協力して満州共和国創設など協議する情勢には無かった。
③事件は、極東国際軍事裁判(東京裁判)で関東軍元幹部が犯行を認める証言を行い、「日本の犯行」となった。しかし、プロホロフ氏は「その幹部は戦後、ソ連に抑留され、ソ連国家保安省が準備した内容の証言をさせられた。…恐らく田中隆吉の事だと思うが、彼は抑留などされていないし、第一東京裁判でのこの証言以外にも、多くの証言が存在する。
④日本が張作霖を暗殺しなければならない理由はなく、ソ連が実行した。…と結論づけているが、
『関東軍高級参謀河本大作大佐が、満州占領の早道として張作霖の爆殺を決意したのは昭和二年末頃とされているが、決定的証拠となる在京の親友磯谷大佐宛ての書簡が、岡田芳正によって磯谷家資料の中から発掘されたのは十数年前のことである。
二枚の三銭切手を貼った書簡の消印は昭和三年四月十八日となっていて、「満蒙問題の解決は、理屈では誰も出来ぬ。少し位の恩恵を施す術策も駄目なり。武力の外道なし」と断定したのち、河本は、「張作霖の一人や二人ぐらい、野タレ死んでも差支えないじゃないか。今度という今度は是非やるよ。止めてもドーシテも、やって見る・・・・僕は唯々満蒙に血の雨を降らすことのみが希望」とテコでも動かぬ決意を告げていた。』(秦郁彦『張作霖爆殺事件』より )
等…他にも、首謀者の多くの証言が残っている。
到底、河本主犯説を覆す内容では有りません。
これは メッセージ 115667 (battamother さん)への返信です.
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