イラク復興

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宗教指導者という存在

投稿者: asean_peace11 投稿日時: 2004/08/12 09:26 投稿番号: [1329 / 1982]
おはようございます

僕は基本的にイスラム教の”宗教指導者(層/会議)”という
存在を余り信用していない。
(何度か此処でも書いていますが)

僕が一番問題視する最大の理由は
やはり”宗教的な理解と政治的な理解”をゴチャ混ぜにした
発言をしてしまうからに他ならないからです。

此処で言う「政治的な理解と発言」とは政治そのものに対すること
ばかりではなく、全ての社会制度迄に及ぶことを指しています。

例えば「仕事や職業、就職」といった分野でも、いわゆる
経済のグローバリゼーションを制度やシステムとしてその国の文化や宗教と
切り離して関わることには別段イスラム教であるが故に出来ない
はずはないのに、彼らの多くはその宗教的な色眼鏡を
通してしか、理解しようとしない。

確かに、就労者である前にムスリムである必要はあるとは
思いますが、そうした認識は自ら働いてその働いた結果の報酬を得る
立場に居る人間(不労所得が無い人間)といわゆる寄進で
生活出来て明日の生活の心配の無い人間(不労所得の有る人間)の
違いを抜本的に理解しているとはちょっと考えられない。

表現は悪いですが多くの宗教指導者と称される人間は
一種の「知的特権階級化した人間」であって必ずしも自分(達)以外の
人間の立場や状況を理解する必要が無い立場に居る人間が
多いのも事実だと考えます。

つまり、彼らの政治的社会的発言で
「その国や国民の脱イスラム化傾向を嘆いている/危惧している」
ように聞こえるモノが
”本当に自分(達)以外の他者の心配をして発っせられたモノなのか?”
という疑問がある。

実際は、
”脱イスラムか傾向が強まることで自分(達)の知的特権階級
としての既得権が無くなる、薄まることを恐れてのモノなのではないか?”
という印象の方が強いと言っても過言ではないのです。

こうした、疑念が湧かないようにする為にも、彼ら自身がイスラム教を
真摯に研究する姿勢と同様に自らにも真摯に問いかけ直さなくては
ならないことではないか?と僕は考えている訳です。

このお話に”私見”というタイトルを付けていないのは
こうした傾向は僕だけの考えではないからです。
その実例を最後にご紹介します。
”じゃかるた新聞”の過去記事ですが、インドネシアで発生した
「味の素事件」のその後、当時のアブドゥルラフマン大統領が
インドネシア・イスラム指導者会議(MUI)に対して発言した内容です。
http://www.jakartashimbun.com/pages/20010110top.html

この記事中でも言われているように、僕はこれ迄、こうした
「宗教指導者(層)からの発言で”批判”以外の具体的で
建設的な民主的提案」を聞いた経験が無い。

”何とか師”と呼ばれる人間(達)が見ているモノは「過去」なのか?
それとも「未来」なのか?・・・今のイラクの現状でも同様の
ことが言えるのはないか?と僕は考えています。

取敢えず
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