内心の自由ドグマ
投稿者: neo_con_spiracy 投稿日時: 2005/04/01 19:53 投稿番号: [521 / 1657]
>「日教組」なるものは、今現在存在しません。
そりゃあめでたい。
>「都知事による強制の現実」に対してはどうお感じですか?・・・
>彼は間違いなく(重心を変化させる)一歩を踏み出していますよ?
>ここにどうして寛容になれるのでしょうか?
明らかに私の言葉がたりなかったんだけど、
反国旗・国歌運動もそれに対しての国旗・国歌強制行政についても
両方くだらねーと思っています。
「教育現場での醜悪な運動」ってのは反対側強制側双方が醜悪。
まあ無視するのも寛容の一形態だから、
私は双方に対して寛容ってことになる。
じゃあ我慢して、仮に無視しないことにしようか。
で、これは仮に反日の丸・君が代運動ではないという前提をうけいれて、
かつ仮にそれが「内心の自由」を守るための運動だ、
という説明もうけいれることにしようか。
そうすると、疑問が湧いてくる。
子供たちの大事な卒業式をだいなしにしてまで
国旗・国歌を憎むような「内心」っていったいどんな「内心」なの?
どういう人が、どういう理屈でそんなへんてこな「内心」をもつにいたるの?
公の場で胸をはって「内心の自由」を主張できるほど、
正当な「内心」なの?
忘れないでね、
反日の丸・君が代ドグマは
assaraamaaleicomnjpさんの主張にそって
前提から最初に外してますよ。
>貴方にしては意味不明ですねえ?
国家の理念と旗(などのシンボル)の関係については、
↓で書いてあることが私の考えに近いです。
シンボルにいちゃもんをつけるまえに、
シンボルが指し示している内容を充実させようよ、
っていってるだけなんだけど、意味不明かなぁ。
http://www.1101.com/suzukichi/2001-11-13.htmlhttp://www.1101.com/suzukichi/2001-11-16.html
これは メッセージ 510 (assaraamaaleicomnjp さん)への返信です.
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