>>反日運動のタイミング
投稿者: neo_con_spiracy 投稿日時: 2005/04/17 17:31 投稿番号: [1330 / 1657]
>死者を悼む心が祈りを必要としている限り、
>祈りの場は必要だろう、と考えます。
>彼らの戦が終わったことを心に刻み、
>未来へ向かう契機とするのがよいと。
まずは乃木大将の神社の件、
ご教示ありがとうございました。
上記のようなお考えにはまったく同意するのですが、
トミーさんの「依り代」「鎮める」といった
神道教義にそった投稿に自分の無知もかえりみずに
からかい口調の投稿でからんだのには理由があります。
私が理解している限り、
神道には神社の組織ネットワークはあるけれど
教義をコントロールをするシステムがありません。
つまりカトリックならヒエラルキーがあって、
ガリレオガリレイの名誉回復とか進化論の肯定とか
ローマ法王発で修正が可能だし、数百年かかってますが実際に修正している。
神道にはそれがない。
私が神道を日本人の伝統以上にするべきでないというのはそこにあります。
私たち日本人は、小津安二郎の映画に出てくるような
清潔に清掃された日本家屋のたたずまいになにがしかの神々しさを感じます。
それは、清めるということを重視する神道と明らかに通底する心情です。
そこまではいいし、伝統として大事にしたい感情なのです。
で、清めるのが重要なのはいいとして、
その裏返しとして"不浄"の民として
神道上も差別してきた被差別部落に対して
現代においてどのように教義上の修正を加えるのか?
現状そういう問題意識を持っている人間が
神道の信者にはいないように思います。
「被差別部落民が祟ったらどーすんだよ?」と質問されて
現代の日本人が納得するように教義にもとづいて返答できる神道関係者はいないんじゃないですか?
ましてや靖国についても
教義をコントロールする機関がないせいで、
「政教分離に反しない」といいわけするのがせいぜい。
だったら、靖国神社に関しては枠組みを見直すのが当然といえるわけです。
これは メッセージ 1312 (tommy39dec3 さん)への返信です.
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