イラク戦争

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「チェチェン」(文庫クセジュ)①

投稿者: imonoyamashotengai 投稿日時: 2005/08/16 22:26 投稿番号: [4780 / 5091]
  本書は1998年発行。
つまり、第一次チェチェン戦争が終わり、第二次チェチェン戦争が
始まるまでの戦間期に出版された。
従って当然凄惨な第二次チェチェン戦争には全く触れていない。
それでも、第一次チェチェン戦争が生起したさまざまな政治的、経済的背景、
分析がなされており、それがまた第二次チェチェン戦争を生起する諸条件を
構成しているという意味において、貴重な文献だと思う。

  「収容所列島」であった旧ソ連を美化するつもりなど毛頭ないが、
それでも肯定的要素もなくはなかった。教育はその一つだと思う。
多民族国家ソ連では、各民族が相互に交流した。
ハッサン・バイエフの「誓い」を読むと垣間見えたのだが、民族間の差別も
確かに存在した。
しかし、それでも、例えば、チェチェン人はソ連全土に教育、労働、商業活動
等々で出て行ったし、逆にチェチェンにソ連全土から多くの民族がやって来た。
  チェチェン自治共和国に住んでいたのは、チェチェン民族だけではなかった。
数十万人の他の民族も在住していた。
従って、チェチェン自治共和国の運命を決定する権利はチェチェン人のみが
持っていた訳ではなかった。

  チェチェンの石油は、1971年以降激減した。
しかし、周辺からの石油精製拠点となっていた。
ソ連唯一の石油産業学校がグローズヌイに(バサーエフは卒業生)
ハッジエフはソ連邦石油産業担当閣僚
シベリアのチュメニ油田開発にも貢献(五千人のチェチェン人コミュニティ)
石油パイプライン、鉄道、道路のターミナルとなっていた。
特に、アブハジア紛争の為、黒海沿岸を南下するルートが使えなかったので、
カスピ海沿いに南下し、南コーカサスへ向かう主要なターミナルとなっていた。

・チェチェン工業の75%がグローズヌイに集中
・産業比率:工業:44%
       農業:34%
       建設:11%
       運輸: 4%
(チェチェン人の76%は農村部に在住:ロシアのワインの12%、牛乳25%産出)
また、北部にはコサックも万単位で在住していた。

  ロシア中央政界での権力闘争が、チェチェン情勢にも大いに影響を
及ぼしていたことも本書で学んだ。

・1991年:<ゴルバチョフVSエリツィン>
  大統領選挙で、チェチェンでは、エリツィンが、ロシア全体の平均を
  はるかに上回る80%の得票。
  チェチェン最高会議議長ザブガエフはゴルバチョフ派で、共産党改革派。
  チェチェンを自治共和国から連邦構成共和国へ引き上げることを夢見た。
  しかし、独立派からは「軟弱な」改革派として打倒された。
  ロシア最高会議議長のチェチェン人であるハズブラトフとソ連石油産業相の
  ハッジエフは、エリツィンの意向で、ゴルバチョフ派のザブガエフを更迭し、
  ドゥダエフ政権を成立させた。
  しかし、ドゥダエフの独断により実施された大統領選挙は、
  360か所の投票所の内、70か所でしか行われていない非民主的なもので、
  ロシア最高会議は違法と宣告。
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