イラクで日本人拘束

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「人質」4−1

投稿者: shippou_kohaku 投稿日時: 2004/09/23 16:56 投稿番号: [239652 / 280993]
第三章   シャッターを切るまで

カメラマンになったいきさつについて語られています。

カメラマンになったのは「行き当たりばったり。
やりたい事をやっているうちにこうなった」そうです。
「戦場で写真を撮るのがかっこいいなと思っていました」と書かれています。
小学生の頃にベトナム戦争の様子を「アサヒクラフ」で見たのがきっかけで、
紛争地の写真を見ながら「こういう現場に行ってみたい」
「この写真を撮った人はどういう気持ちで撮っているんだろう」
と考え、「現場の音、匂い、雰囲気に直接触れて見たいと思っていた」そうです。

しかしある時期まではそれを忘れていて、
小学校の卒業の頃には将来の夢を「冒険家」としていたそうで、
その影響で高校になって登山と自転車競技を始めたそうです。
自転車の方は、一時期競輪選手を目指していたほどで、
「脚で稼いでポルシェに乗りたかった」そうです。
自転車屋さんのクラブチームの社長から「競輪選手になれるんじゃないか」と言われ
高校卒業後その自転車屋さんで働きながらトレーニングをしていたけれど、
お母様から「1年やってだめだったら言う事を聞きなさい」と言われ
「給料がきちんともらえて安定した生活を送れる公務員が理想だった」
お母様の意思を汲んで、公務員になることにしたけれど、
役所仕事は勤まらないだろうと言うと「警察官か自衛官になれ」と言われたので警察を受け、
「第3希望はどこでもいいと書いたら機動隊に合格した」けれど
奥様が警察官だったので「機動隊はやめた方がいい」と言われ蹴ったそうです。
「次は何にしようかな」と思っていたら
「突然自衛隊募集の勧誘員が来たのであれよあれよという間に入隊」だそうです。

自衛隊には6年いて、「反戦自衛官」と書かれているがまったくそんなことはない、
「ただダラダラいただけ」だそうです。
「自衛隊に入って、もしも戦争が起こったら戦場へ行かなければ行けないとか
死ぬこともありうるとか、そういうことも考えた?」と聞かれ、
「そういうことで気をも揉んだことはなかった、考えたこともなかったし。
その時はその時で辞めればいいや、という感じでした」と答えています。

実際そんなに簡単には辞められないけれど、
「戦争なんか怒るはずないじゃん」と、重く受け止めていなかったそうです。
訓練や規律は「厳しいのははじめの半年だけ」
「肉体的に慣れていない最初の3ヶ月の訓練がつらいだけで、
後は演習意外は楽チン。精神的には最初の1〜2年がつらい。」
「体育系の縦社会なので」先輩からのいじめや悪習がとても強く残っていたと振り返っています。

バブルの時代だったので、「誰でもいいから入れてしまえ」という感じだったそうで、
郡山氏はその中でも
「こんな酷い部隊は今まで見たことがないと言われるくらい悪名高い部隊」
にいたそうで、そこで「敷設作業(地雷・爆薬・建設機材などを扱う)」
の専門で対人用から対戦車用までの地雷の埋設から除去までを
完全にマスターしたそうです。

自衛隊にはお母様との「約束でしぶしぶ入隊したので、最初から辞めたかった」
けれど、結婚していたので辞めるにやめられなかったけれども、
「勉強する内容が自衛隊でしか使わないこと、使えないことばかり」で
「こんなものを頭に詰め込んで何になるんだろう?」という疑問が湧き、
「いいや、もう辞めよう!」となったそうで、
「(自衛隊を)辞めたら別れる」と言われていたため、離婚したそうです。
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