Re: 新華僑(コバさんへ、続き)
投稿者: isamu309 投稿日時: 2007/11/26 14:19 投稿番号: [63688 / 66577]
ちょっと先の話が長くなりましたが、謎かけについてお答えします。
日本には大きな町はあったが、都市は存在していなかった。というのは、大陸の都市の成り立ちと日本の中世の大都市の成り立ちの違いについて言及しています。
中国の古代から中世にかけての都市(洛陽、長安、など)や西洋のパリ、ロンドン、ハンブルグなどのひとつの特徴として、街区全体が城壁に囲まれ、外部の農地と遮断されていたことが上げられます。
これは外部からの侵入を阻み、街全体を守る、という発想から来ているのでしょうが、併せて文明と自然を相容れない別個の存在、として位置づける意識を醸成する原因となったか、或いは、そういった発想があったが故に人が住む場所を自然と隔絶することを選んだ様に感じられます。
一方で、日本の中世の街を見ると、戦国期のごく一部の例外(戦国初期の大阪の堺、戦国後期の小田原城、大阪城)を除けば、基本的に町全体を取り囲む城壁は存在しませんでした。大陸の発想にもっとも近かったのは大阪の堺ですが、そもそも街の機能が当時の日本としては極めて異例な存在ですし、他の町と同列には語れない部分でもあります。また日本の思想史に巨大な足跡を残した茶人を輩出した点では特異と言って良いと思われます。
日本の巨大な街は、特にその創成期には、周辺の里山を併呑する形で形成されていきました。また拡張された街の外はさらに里山が形成され、食料の供給や都市の排出物の受けてとして機能し、里山が自然連続することで、街が自然との明確な境界を持たなかったことが特徴になっています。
ちなみに日本の里山は、よく自然と表現されますが、あれは100%の人工的に自然の活動を制御した一種の人工物です。ただ明確に言えるのは、日本人は自然を敵対者、或いは異物として扱うのでは無く、共生するものとして捉えていたと言えます。
まぁ日本に都市が無かったとは多少意地悪な謎かけでしたね。正確に言うなら都城という形の都市は、一部の例外を除いて存在しなかった。が、正しいです。
ただ、この都市形成の違いというのは、日本人と大陸人(西洋も含みますよ)の自然観の違いの、大きな要因と言えるのではないか、と思います。
日本には大きな町はあったが、都市は存在していなかった。というのは、大陸の都市の成り立ちと日本の中世の大都市の成り立ちの違いについて言及しています。
中国の古代から中世にかけての都市(洛陽、長安、など)や西洋のパリ、ロンドン、ハンブルグなどのひとつの特徴として、街区全体が城壁に囲まれ、外部の農地と遮断されていたことが上げられます。
これは外部からの侵入を阻み、街全体を守る、という発想から来ているのでしょうが、併せて文明と自然を相容れない別個の存在、として位置づける意識を醸成する原因となったか、或いは、そういった発想があったが故に人が住む場所を自然と隔絶することを選んだ様に感じられます。
一方で、日本の中世の街を見ると、戦国期のごく一部の例外(戦国初期の大阪の堺、戦国後期の小田原城、大阪城)を除けば、基本的に町全体を取り囲む城壁は存在しませんでした。大陸の発想にもっとも近かったのは大阪の堺ですが、そもそも街の機能が当時の日本としては極めて異例な存在ですし、他の町と同列には語れない部分でもあります。また日本の思想史に巨大な足跡を残した茶人を輩出した点では特異と言って良いと思われます。
日本の巨大な街は、特にその創成期には、周辺の里山を併呑する形で形成されていきました。また拡張された街の外はさらに里山が形成され、食料の供給や都市の排出物の受けてとして機能し、里山が自然連続することで、街が自然との明確な境界を持たなかったことが特徴になっています。
ちなみに日本の里山は、よく自然と表現されますが、あれは100%の人工的に自然の活動を制御した一種の人工物です。ただ明確に言えるのは、日本人は自然を敵対者、或いは異物として扱うのでは無く、共生するものとして捉えていたと言えます。
まぁ日本に都市が無かったとは多少意地悪な謎かけでしたね。正確に言うなら都城という形の都市は、一部の例外を除いて存在しなかった。が、正しいです。
ただ、この都市形成の違いというのは、日本人と大陸人(西洋も含みますよ)の自然観の違いの、大きな要因と言えるのではないか、と思います。
これは メッセージ 63639 (cobapics0506z さん)への返信です.
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