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Re: 新華僑(iisamuさんへ)

投稿者: cobapics0506z 投稿日時: 2007/11/26 17:58 投稿番号: [63689 / 66577]
  前後レスを拝見しました。

  角田教授の結論付け、仰る通り、ある認識過程のパターン化の発見として一理あるとは思いますが、ただし

  鳴く【虫の音】について言えば、角田教授の実験というものは、完全に現代人の脳について言及したものであり、古代日本人に当てはめるかと言うと、非常にあやういと思います。

  【虫の音】に敏感に反応したのはどちらかといえば、古代人の方です。

  笑〜

  時には、それは幻聴、幻視の形として現れるのです。要は実際にはありもしない【虫の音】を、古代人が聞こえそうになって、あたかも聞いたように詩歌や文章に書くのです。
 
  ですから【右脳】か【左脳】かの議論は、もしかすると強引しすぎるじゃないかと?

  【心習い】という古語があります。
  心習いというのは、心性、心理、文化的習慣ともいえます。例えば

きけはゝや/うら枯にけり/あさち原/虫の音まても/霜や置らん

  これは藤原定家の子孫為世の歌ですが、この歌の意味は
  もし虫のなく声を聞けば、あなたも断腸の思いになるなるにちがいない。あさぢ原の虫の啼き声を。その声にこの月夜なら霜まで置いて、寒くてたまりません。

  なぜ此れは幻聴だといえると、場所はあさぢ原ですから、藤原為世がこの歌を読んだ時、宮中にいて、別に奈良の浅茅原まで行ってもいなかった。

  もう一つ、この幻聴感覚がさらに幻視の色調が帯びてきます。

  実際に聞いてもいない虫の鳴き声に霜の白い色が置くとは、何事か?

  しかし古代人には此れが通念として通用します。これは【心習ひ】です。

  虫は恐らくどこでも同じような鳴き声をするに違いないが、歌人には浅茅原の虫が啼くと、もうたまらない。浅茅原の虫以上には寂しく啼く虫はありますまいと、勝手に決めた。
 
  このような例は無数にある。和歌にしても俳諧にしても、物語にしても。

  私になら、長安ふるさとの晩秋はどこの秋よりも寂しいが、古代の日本人は京都よりも奈良の方がより寂しい。

  要は【虫の音】に対して、恐らく歴史的文化的美意識が作用していて、そうなったに過ぎない。別に右脳か左脳かの問題に限定してどうかと思う。

  西洋の秋は寂しくない、だけど中国の秋は寂しい。
  それとはなしに秋の夕暮れは寂しい。つまり理由は要らない。

  私は、【中国の秋は寂しい】が中国特有の文化だというと、あなたはどう思いますか?多分あなたはへ〜?日本の秋も寂しいと主張するだろう!

 

 

 

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