Re: 大失敗Re: 西遊記
投稿者: cobapics0506z 投稿日時: 2006/12/12 09:54 投稿番号: [61842 / 66577]
あっらら、やっとそれらしいことを言い始めたね?
つまるところ、最初からこんな具体的な部分を指摘したら、今までの一点張りを何回も、何回も繰り返す必要は、どこにあるのだろうか?
半ば推測で、君とのやり取りを続けなかったのだろう?
>『大唐西域記』は、僧玄奘の記録だ。
これは歴史といえよう。<
>「西遊記」は、小説であり、戯曲である。
それこそ、民衆芸能から出てきたものだ<
では、お聞きします。
あなたは、「西遊記」にある主人公の一人、勿論これは『西遊記』のストーリーを規定するほど重要な人物である三蔵法師の人間像を、ただ虚構とみなすのでしょうか、それとも歴史的人物の玄奘法師(『大唐西域記』に記された)とタブって観るのでしょうか?
西遊記にあるさまざまの人物の中に、玄奘法師ほど現実性を背負った主人公がそれほどいないが、玄奘法師が天竺へ仏教へ、信仰上の理由でお経を取ってくることは、けっしてそのまま虚構ではなく、むしろ歴史的事実に裏付けられている。
「西遊記」は小説だから、虚構だからと言って、玄奘法師も取経の経過も虚構だと見るバカがいるのだろうか?
歴史事実があっての文芸、小説である「西遊記」、西遊記の三蔵法師像はあくまで二次的なものだ。歴史上に実在した人物を捨象して、虚像しか追わないバカがいるのだろう?
西遊記を読む際にしてもだ。
>いつから中国人は、歴史と虚構を区別できなくなったのか??<
これはこちらが問い返したい質問だ。
いつから日本人は、歴史と虚構を区別できなくなったのか?????
それともう一つ、こちらこそ聞きたい質問だ?
お前のいう【小説】とは、一体何なんのかよ?
それをある程度限定しないで、ただ単に【歴史と小説の区別】云々するほど不毛だ。
舶来の小説理論を、機械的に一元的に古典小説に当てはめようとするバカが自覚できない問題だ。
浅薄すぎて論にはならない。以下は却下。
笑・・・
>
だから、魯迅の後、まともに読むに足る文学作品は、中国から出なくなってしまった。<
日本こそ西洋的概念を手にしてから、自前の文芸を一つも育たなくなった。数こそあれ、小説の殆ど読むに値しないゴミばかりになった。
教えようか。17世紀以降の日本文学作品を、俺はあまり読まないのよ。なぜかと言えば、それを読めば日本古典の清雅、繊細、流暢のイメージが崩れるのじゃないかと、古典をお前らの手に入れば、全部現代文芸のゴミ処理同様の作業を施してしまいますからね。
西洋の似非理論に、文献資料の物的要素に耳を傾けるしかな〜にも分からないお前は、古典を語る資格ない。
つまるところ、最初からこんな具体的な部分を指摘したら、今までの一点張りを何回も、何回も繰り返す必要は、どこにあるのだろうか?
半ば推測で、君とのやり取りを続けなかったのだろう?
>『大唐西域記』は、僧玄奘の記録だ。
これは歴史といえよう。<
>「西遊記」は、小説であり、戯曲である。
それこそ、民衆芸能から出てきたものだ<
では、お聞きします。
あなたは、「西遊記」にある主人公の一人、勿論これは『西遊記』のストーリーを規定するほど重要な人物である三蔵法師の人間像を、ただ虚構とみなすのでしょうか、それとも歴史的人物の玄奘法師(『大唐西域記』に記された)とタブって観るのでしょうか?
西遊記にあるさまざまの人物の中に、玄奘法師ほど現実性を背負った主人公がそれほどいないが、玄奘法師が天竺へ仏教へ、信仰上の理由でお経を取ってくることは、けっしてそのまま虚構ではなく、むしろ歴史的事実に裏付けられている。
「西遊記」は小説だから、虚構だからと言って、玄奘法師も取経の経過も虚構だと見るバカがいるのだろうか?
歴史事実があっての文芸、小説である「西遊記」、西遊記の三蔵法師像はあくまで二次的なものだ。歴史上に実在した人物を捨象して、虚像しか追わないバカがいるのだろう?
西遊記を読む際にしてもだ。
>いつから中国人は、歴史と虚構を区別できなくなったのか??<
これはこちらが問い返したい質問だ。
いつから日本人は、歴史と虚構を区別できなくなったのか?????
それともう一つ、こちらこそ聞きたい質問だ?
お前のいう【小説】とは、一体何なんのかよ?
それをある程度限定しないで、ただ単に【歴史と小説の区別】云々するほど不毛だ。
舶来の小説理論を、機械的に一元的に古典小説に当てはめようとするバカが自覚できない問題だ。
浅薄すぎて論にはならない。以下は却下。
笑・・・
>
だから、魯迅の後、まともに読むに足る文学作品は、中国から出なくなってしまった。<
日本こそ西洋的概念を手にしてから、自前の文芸を一つも育たなくなった。数こそあれ、小説の殆ど読むに値しないゴミばかりになった。
教えようか。17世紀以降の日本文学作品を、俺はあまり読まないのよ。なぜかと言えば、それを読めば日本古典の清雅、繊細、流暢のイメージが崩れるのじゃないかと、古典をお前らの手に入れば、全部現代文芸のゴミ処理同様の作業を施してしまいますからね。
西洋の似非理論に、文献資料の物的要素に耳を傾けるしかな〜にも分からないお前は、古典を語る資格ない。
これは メッセージ 61830 (nao759kyon さん)への返信です.
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