Re: チベットにおける大虐殺事件③
投稿者: tsunami_sturm 投稿日時: 2006/02/19 10:59 投稿番号: [52052 / 66577]
チベットは中国に対して、1911年の辛亥革命で中華民国の建国が宣言
された際にも完全独立宣言を発し、大東亜戦争の時も、中国国民党や共産党
が日本軍と交戦する最中、チベットは中立を保ち、我が国とチベットは一度
も戦火を交えていない。
そして戦後の1947年、印国のニューデリーで開値された第一回亜細亜
諸国会議にもチベットは一国家として参加、チベット政府発行のパスポート
を英国や米国ほか各国が承認しており、名実ともに独立国であった。
毛沢東も同年にチベット独立を認める発言をしていたが、1949年、国
民党を大陸から追い払い、中共による中華人民共和国が成立するや中共は北
京放送を通じ、次の様に宣言した。
「チベットは中華人民共和国の一部に他ならず、人民解放軍はチベット人
民を外国の帝国主義の手から解放する為に、チベットに進駐する。」
これに対し、チベット政府は強く抗議し、次の声明を発表した。
「チベットが、かつて中国の一部だった事は一度も無い。我が国を支配す
る外国勢力などは存在せず、従って解放される必要は全く無い。」
当時のチベットには、先進国の人間は6名しかおらず、「外国の帝国主
義」というものは存在する筈も無かったのが現実である。
しかも、中共はチベットが元朝や清朝の一員だったから中国の一部だと主
張したが、これはとんでもない詭弁であり、元も清も漢民族が支配した中華
帝国ではなく、元はモンゴル人、清は満州人の帝国であり、現在の中共の漢
民族はチベットとのつながりは無いのである。
そして、元や清の皇帝は、チベット仏教に帰依していたので、言うなれば、
「お寺と檀家」としての関係があったのであり、この意味からすれば、むし
ろ中国の方がチベットの一員だったと言えるのではないだろうか。
そして、中共は自民族の移民や旧体制下の朝頁の事実を以って、今も台
湾・沖縄を中国領だと主張している。
沖縄で日の丸を焼いたり、君が代を教えなかったり、反基地を主張してい
る様子を中国はどの様に眺めているのだろうか。
話を戻すが、中共はチベットに対する「解放宣言」を行なった後、空気の
薄いチベットを攻める為、軍を標高1000メートルの場所で戦闘訓練さ
せ、それに慣れると2000メートルに、更に3000メートル、4000
メートルと高度を上げて訓練させた。
そして、運命の1950年10月、「人民解放軍」はチベットに侵攻した
のである。
侵略は始まった。平和を愛好し、軍隊や武器の近代化が遅れていた8000人の
チベット軍は壊滅。チベットを独立国として幾つもの条約を交わしていた英
国や印国、そして国際連合もこの軍事侵攻に対応出来ず、結局は黙認する形
となってしまった。
された際にも完全独立宣言を発し、大東亜戦争の時も、中国国民党や共産党
が日本軍と交戦する最中、チベットは中立を保ち、我が国とチベットは一度
も戦火を交えていない。
そして戦後の1947年、印国のニューデリーで開値された第一回亜細亜
諸国会議にもチベットは一国家として参加、チベット政府発行のパスポート
を英国や米国ほか各国が承認しており、名実ともに独立国であった。
毛沢東も同年にチベット独立を認める発言をしていたが、1949年、国
民党を大陸から追い払い、中共による中華人民共和国が成立するや中共は北
京放送を通じ、次の様に宣言した。
「チベットは中華人民共和国の一部に他ならず、人民解放軍はチベット人
民を外国の帝国主義の手から解放する為に、チベットに進駐する。」
これに対し、チベット政府は強く抗議し、次の声明を発表した。
「チベットが、かつて中国の一部だった事は一度も無い。我が国を支配す
る外国勢力などは存在せず、従って解放される必要は全く無い。」
当時のチベットには、先進国の人間は6名しかおらず、「外国の帝国主
義」というものは存在する筈も無かったのが現実である。
しかも、中共はチベットが元朝や清朝の一員だったから中国の一部だと主
張したが、これはとんでもない詭弁であり、元も清も漢民族が支配した中華
帝国ではなく、元はモンゴル人、清は満州人の帝国であり、現在の中共の漢
民族はチベットとのつながりは無いのである。
そして、元や清の皇帝は、チベット仏教に帰依していたので、言うなれば、
「お寺と檀家」としての関係があったのであり、この意味からすれば、むし
ろ中国の方がチベットの一員だったと言えるのではないだろうか。
そして、中共は自民族の移民や旧体制下の朝頁の事実を以って、今も台
湾・沖縄を中国領だと主張している。
沖縄で日の丸を焼いたり、君が代を教えなかったり、反基地を主張してい
る様子を中国はどの様に眺めているのだろうか。
話を戻すが、中共はチベットに対する「解放宣言」を行なった後、空気の
薄いチベットを攻める為、軍を標高1000メートルの場所で戦闘訓練さ
せ、それに慣れると2000メートルに、更に3000メートル、4000
メートルと高度を上げて訓練させた。
そして、運命の1950年10月、「人民解放軍」はチベットに侵攻した
のである。
侵略は始まった。平和を愛好し、軍隊や武器の近代化が遅れていた8000人の
チベット軍は壊滅。チベットを独立国として幾つもの条約を交わしていた英
国や印国、そして国際連合もこの軍事侵攻に対応出来ず、結局は黙認する形
となってしまった。
これは メッセージ 52051 (tsunami_sturm さん)への返信です.
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