sintyou_337320508さん
投稿者: wangjunhe720 投稿日時: 2005/09/22 10:21 投稿番号: [43970 / 66577]
シンチュウさんの言っていることとは、やや趣旨の違うご発言ではないかと思います。
つまりなつめ氏は、「日本人が漢詩をそのままで読んでいる、中国人と違う味わい方をしている」とご主張。
念のため、43856番をご参考
>中国人が感じる淵明と日本人が感じる淵明は別人かも知れない。
リズム・韻だけでなく、テンポも変わってしまうので、別世界の作品になってしまう。
これは、英語や独語、仏語の詩を翻訳したものとは全く違うし、意訳といったものでもない。
「読み下し」という「レ点で読み順を示し、訓読みする」という世界に類をみない特異な方式。
これにより漢語がそのまま日本語になるという不思議な世界。<
>
これで淵明李杜李白王維白居易、文選四書五経などが、何の変更もなく日本語の延長空間上に写像されてしまった。<
これとは別に、下記のご意見も
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=552019566&tid=cf9q&sid=552019566&mid=43915
僕の日本語力で間に合えば、なつめ氏には
「読み下し =漢詩の原詩」
と主張しているのではないか。
これは無いでしょ、と僕は言いたい。
くどいけれど、僕から見れば
読み下し を 原詩
と混同してはいけないと。読み下しはあくまで翻訳の一種であり、変化が生じたのは目に見えている。
普通の日本人ならそう考えても構いませんが、漢詩を愛好すると連呼している人間がそんなばかげた見方をするには耐え切れない怒りを覚える。
さらにずっと昔から日本人が読み下し方式で漢詩を読んでいた、という勘違いも甚だしい。
周知の事実で行こう。
平安朝前期、中期、漢詩が盛んにかいていたのですね。勅撰漢詩集が先に出て、その後に勅撰和歌集が出てきた実は、何を物語るのだろうか。
道真あたりは、漢詩漢文こそ、人生昇進の道であり、唐土、朝鮮、渤海からの使者と漢詩そのままでやり取りして唱和していたのである。
彼らにとっては、「読み下し」なんかは余計な代物以外の何者ではない。彼らは当時、いわば東アジア文化圏の国際人ですよ。
その後も11世紀当たり、漢詩の享受の仕方も単なる「読み下し」ではない。『和漢朗詠集』もそうですが、藤原定家は『白氏文集』を漢文そのまま読んでいたはずです。(定家、慈円、家隆、後鳥羽院の歌集になぜ漢詩をそのままに記載し、読み下しではないのか、その辺の事情を反映する)
当時和漢三才とか言ったじゃない?和歌も漢詩も管弦もともに優れ、大変名誉なことであった。
読み下しの使用、乃至主流になったのは何時からだろうか。僕もよく分らないが、中世以降と見てよかろう。読み下し式の「詩吟」がいつ主流になったのか、調べれば分ると思いますよ。
兎も角、読み下し方式より、もっと直接に、もっと多種多様な方法で漢詩を消化していたと思います。
勿論、僕の見方が絶対正しい、と思いませんが。だけれども、見ての通り僕は怒っていた。
まあ怒るほどのバカですから。
つまりなつめ氏は、「日本人が漢詩をそのままで読んでいる、中国人と違う味わい方をしている」とご主張。
念のため、43856番をご参考
>中国人が感じる淵明と日本人が感じる淵明は別人かも知れない。
リズム・韻だけでなく、テンポも変わってしまうので、別世界の作品になってしまう。
これは、英語や独語、仏語の詩を翻訳したものとは全く違うし、意訳といったものでもない。
「読み下し」という「レ点で読み順を示し、訓読みする」という世界に類をみない特異な方式。
これにより漢語がそのまま日本語になるという不思議な世界。<
>
これで淵明李杜李白王維白居易、文選四書五経などが、何の変更もなく日本語の延長空間上に写像されてしまった。<
これとは別に、下記のご意見も
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=552019566&tid=cf9q&sid=552019566&mid=43915
僕の日本語力で間に合えば、なつめ氏には
「読み下し =漢詩の原詩」
と主張しているのではないか。
これは無いでしょ、と僕は言いたい。
くどいけれど、僕から見れば
読み下し を 原詩
と混同してはいけないと。読み下しはあくまで翻訳の一種であり、変化が生じたのは目に見えている。
普通の日本人ならそう考えても構いませんが、漢詩を愛好すると連呼している人間がそんなばかげた見方をするには耐え切れない怒りを覚える。
さらにずっと昔から日本人が読み下し方式で漢詩を読んでいた、という勘違いも甚だしい。
周知の事実で行こう。
平安朝前期、中期、漢詩が盛んにかいていたのですね。勅撰漢詩集が先に出て、その後に勅撰和歌集が出てきた実は、何を物語るのだろうか。
道真あたりは、漢詩漢文こそ、人生昇進の道であり、唐土、朝鮮、渤海からの使者と漢詩そのままでやり取りして唱和していたのである。
彼らにとっては、「読み下し」なんかは余計な代物以外の何者ではない。彼らは当時、いわば東アジア文化圏の国際人ですよ。
その後も11世紀当たり、漢詩の享受の仕方も単なる「読み下し」ではない。『和漢朗詠集』もそうですが、藤原定家は『白氏文集』を漢文そのまま読んでいたはずです。(定家、慈円、家隆、後鳥羽院の歌集になぜ漢詩をそのままに記載し、読み下しではないのか、その辺の事情を反映する)
当時和漢三才とか言ったじゃない?和歌も漢詩も管弦もともに優れ、大変名誉なことであった。
読み下しの使用、乃至主流になったのは何時からだろうか。僕もよく分らないが、中世以降と見てよかろう。読み下し式の「詩吟」がいつ主流になったのか、調べれば分ると思いますよ。
兎も角、読み下し方式より、もっと直接に、もっと多種多様な方法で漢詩を消化していたと思います。
勿論、僕の見方が絶対正しい、と思いませんが。だけれども、見ての通り僕は怒っていた。
まあ怒るほどのバカですから。
これは メッセージ 43951 (sintyou_337320508 さん)への返信です.
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