natsumesousaki_hk さん
投稿者: wangjunhe720 投稿日時: 2005/09/21 01:22 投稿番号: [43902 / 66577]
あなたにいえること、既に僕の予測通りになっている。
>「読み下し」という「レ点で読み順を示し、訓読みする」という世界に類をみない特異な方式。<
どこまで言えるか?それは。
漢訳佛典は、いかに訳されたか、わかる?
もしそこにもあなたの持ち出した「レ点、帰り点」のような方法があれば、もう「世界に類を見ない」とは、いえなくなる。
まあ、サンスクリット文法の知識が必要ですね。
そもそも「レ点、帰り点」の原点は知っておく必要ですね。
>リズム・韻だけでなく、テンポも変わってしまうので、別世界の作品になってしまう。<
バカでなければ、だれでもわかることです。詩歌の翻訳は再創造である意味を含め、原詩所持した多くのものは失ってしまう。
ただ、韻文と散文の区別を付けておかないと。読み下し文には、多少のリズムはあろうとも韻が無い限り、韻文と看做せるかどうか、いわば「詩」でありえるかどうかの問題が出てくる。
>これにより漢語がそのまま日本語になるという不思議な世界。<
決して「そのまま」にならない。漢語と日本語の語彙が同じ漢字でも意味の軽重が変るし、「そのまま」と勘違いする奴はバカでしかない。
朝鮮ではどう読んでいるんだろうか?
満州人は?
モンゴル人は?
西域人は?
チベット人は?
>比較すべきことは
たくさんあるねー。<
韓国語に訳したら、韓国語になる。読み下しとやや違うのも至極当然。
ただ原詩と読み下し文を混同する人には無理。比較する以上、基準が必要である。基準(原詩、オリジナルー)がないと比較できないし、それこそ日本文化の「特有性」を強調したがるバカが跋扈したい場所。
少なくとも読み下しを自慢する古代日本人はいないだろう。
入るなら実例を挙げてください。この人が自慢した、と。
全く話にならない。原詩を知らずして我々には読み下しがあると、いう奴は無知すぎ。
これは メッセージ 43856 (natsumesousaki_hk さん)への返信です.
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