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日本の国債市場の現状(五)

投稿者: japancockroach 投稿日時: 2005/07/26 15:06 投稿番号: [39716 / 66577]
第2章   国債と金融自由化

(1) 戦後の国債発行の歴史

財政法第4条は赤字国債どころか、国債発行に頼らない財政運営原則として掲げている。「国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以って、その財源としなければならない」と定めている。これは、戦時中のインフレの元凶が日銀引受けによる赤字国債の増発に対する反省からきているものと思われる。しかし、「公共事業費、出資金及び貸付金の財源については、国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行し又は借入金をなすことができる」として、国の資産に残るものに限って国会の議決という条件付で発行を認めている。これが4条国債、第1章でも述べた建設国債である。4条の第2項では「その償還の計画を国会に提出しなければならない」としたうえで、第3項では「公共事業費の範囲については、毎会計年度、国会の議決を経なければならない」としている。「国債は建設国債に限る」という原則は、本来、放漫な国債発行に対する歯止めとなるべきものだった。しかし戦後の日本では逆に、後世に資産が残るうえ、経済発展に役立ち、税収も増加するという強気論を背景に、「建設国債なら、大量発行しても害はない」といった考えが常識化するまでになった。政府や国民も、社会資本整備は道路などの建設事業という考えに固執し、まさに公共事業偏重型財政へと突き進んでいくことになる。建設国債に限って発行するという規定すら現実には踏みにじられ、資産の裏づけのない単に歳入不足を賄う目的で発行される特例国債(赤字国債)が増発されてきた。

赤字国債が戦後初めて発行されたのは65年度補正予算で、佐藤栄作首相、福田赳夫蔵相のもとであった。発行額としては2590億円であり、65年不況による税収減を乗り切る緊急措置という名目であった。その後赤字国債が本格的に発行され始めたのは、オイルショック以降の深刻な不況で税収が激減した75年度補正予算からである。この時は三木武夫内閣の大平正芳蔵相が「財政危機宣言」を発し、年末に赤字国債発行のための特例法が成立した。発行額は2、2900億円にのぼった。一方、建設国債は66年度予算から発行された。発行額は7300億円であった。これは、有効需要拡大という積極的な意義付けのもとで実施され、国民の貯蓄を有効に活用するという側面も強調された。この時期から日本経済が「国債を抱いた経済」へと転換していく。日本経済は原油のほとんどを海外に依存していたため、石油危機の影響を受け不況に陥った。このような経済の転換期においては、財政面からの景気対策が必要なのは言うまでもない。しかし大規模な景気対策を行うにしても財源がない状態ではそのファイナンスをどうするかが大きな問題である。そこで注目されたのが資金調達を国債発行によって補う手段であった。不況が深刻化した76年から国債発行額は年々増加し、80年にピークを迎えたあとも引き続き高水準を持続した。

88年3月には国債残高は153兆円にも達し、GNPの43.6%を占めるまでになり、国債依存度は21%と高く、国債発行抜きにしては財政が成り立たない状況が出来上がってしまった。歳入の中に占める国債依存度が高くなり、歳出との間に構造的ギャップできてしまったが、一方で国債の大量発行を抵抗なく行わせた経済的背景があったことは事実だ。それは貯蓄・投資のバランス面で個人の貯蓄率も高く、低経済成長移行期にみられた投資低迷による貯蓄超過が、大量の国債を吸収し、本来ならば強まるデフレ圧力を大きく和らげたことである。そして不況に陥った場合には、政府による公共事業で有効需要を創出し、景気回復を図るというケインズ理論が推進された。名目的にも、国債発行は景気回復には必要という考えが政府や国民にも浸透した。戦後の国債発行はまさに景気対策として、財政出動を行うためのツールとなってしまい、国債発行という本来的には財政的禁じ手を恒常化させていった。
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