中国

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

日本の国債市場の現状(六)

投稿者: japancockroach 投稿日時: 2005/07/26 15:06 投稿番号: [39717 / 66577]
(2) 金融の国債化と国債管理政策の変化

  金融自由化を推し進めた要因はいわゆる2つの「コクサイ化」である。1つは国際化であり、国外の金融情勢や圧力が日本国内の金融の規制緩和や自由化を促したことである。もうひとつは国債の大量発行が国債市場の発達を促し、そのほかの市場や金利などに影響を及ぼした国債化である。この章では特に後者の国債化に焦点をあてていく。

我が国が国債大量発行に踏み切り、「国債を抱いた金融体制」へ移って行くのは、石油危機以降のことである。大量に発行された国債を消化・流動させるには流通市場や発行市場の発達が不可欠であるのは当然である。まずは本格的な国債市場の発達(75年以降)をみる前に、75年までの国債発行・流通市場がどのようであったかをみていきたい。まず発行された国債は、国債引受シンジケート団(シ団)と資金運用部で一括引き受けられた。発行条件は建前上、発行者とシ団との協議によって決定することになっていた。しかし、国債の金利は市場実勢を下回り、実際は低利によるシ団内での割当消化であった。流通市場においては、発行条件と市場実勢との乖離が顕在化しないように、事実上国債の価格支持政策がとられた。具体的には、銀行の保有国債は市中売却禁止の指導がとられ、流通市場の量的拡大が阻止された。国債は規制だらけの狭い取引所取引で取引され、大手証券会社によって国債上場相場の価格管理が行われた。国債発行の7〜8割を引き受けた金融機関も引き受けた国債を市中消化できず、発行後1年経過して買いオペの対象になってから日銀に吸い上げてもらっていた。日銀としても国債発行額が比較的少なかったので、銀行保有国債の大部分を成長通貨供給として買いオペを実施した。このように国債発行・流通市場を人為的管理下に置こうとする「市場乖離型」政策がとられていた。
これに対し、75年以降の国債大量発行によって、発行・流通市場を規制管理化に置くことが困難になるにつれて、自由な価格メカニズムを活用した「市場機能重視型」政策がなされていくことになる。まずは流通市場の整備、自由化が積極的に進められた。銀行保有など大量に滞留している国債の市中売却規制が緩和され、発行後1年たてば自由に売却できるようになった。銀行保有国債の市場流入によって売買高も増加した。実際に国債流通市場の量的拡大は、主として証券会社の店頭取引という形をとったが、自由市場としての店頭市場拡大と、そこでの市場実勢利回りの顕在化によって、大手証券会社による国債上場相場の価格管理操作はなし崩し的に解消された。さらに取引所取引は小口の国債売買が大半を占め、大口売買はもっぱら証券会社の店頭取引によって行われてきたが、79年に取引所に国債大口売買取引制度を導入し、額面1000万円以上の大口取引も取引所で集中的に処理できるようになった。

次に発行市場をみてみると、市場実勢を反映した国債流通利回りが形成されることによって、発行市場においても、国債の市中消化円滑化のために、発行条件が市場実勢にあわせて弾力化されていった。また国債の発行条件と流通利回りの乖離は、引受け時点で銀行にすでに含み損を発生させていたことを意味する。このため銀行は新発債の発行条件をめぐって大蔵省と粘り強く交渉し、発行条件がのめなければその引受け交渉は決裂し、81年6〜8月などの10年物国債はシ団引受けが成立せず、休債した。このように市場環境などによって起債が見送られる事態は発行市場の弾力化を顕著に表していると言える。

さらに国債の種類や発行方式も多様化されていった。77年1月から割引国債が発行され、78年6月には中期国債(3年債)、79年6月に2年債、さらに80年6月には4年債が発行された。中期国債はともに公募入札制が導入された。また83年2月に変動利付債(15年債)や83年9月に20年債なども発行された。このような国債大量発行以降の国債管理政策の変化が国債市場の発達・自由化を促し、次節で触れる金利の自由化、規制緩和へと波及していった。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)