差別
投稿者: dadaogongfei 投稿日時: 2004/01/19 21:34 投稿番号: [3786 / 66577]
>さほどの他意はなかったが、中国系の方が使うなといったらツベコベ言わないで使うなと、その後ろに”井の中の蛙”とか”島国根性とか”日本鬼子”とか言う日本人に対する罵倒を入れてくるので、何が真相なのか聞いてみたくなって。
お気持ちは十分理解できる。
>芥川龍之介に限らず、当時の小説、報道は全て「支那」という表現を使っていて、当時の支那を素晴らしい桃源郷だと誉めたものは見たことが無い。
芥川の時代はすでに、シナや朝鮮から
夥しい難民が流れ込んできており、
もともと住んでいた日本人との間で、日本の各地で摩擦・トラブルが生じている。明治10年から20年の間がまさに日本人のシナ・朝鮮に対する価値観の
大変換期であったとされる。それまでの
大陸は、文化的先進地域であり、日本人にとって、あこがれの対象であった。
江戸時代、頻繁に日本に来た朝鮮通信使は最大限の尊敬と歓迎を受けている。
ところが、この時期を境に日本は西洋文明を吸収し、軍事的にも経済的にも発展をし始め、片や大陸の方は封建体制から
脱皮できず、西洋を拒んだ結果、かえって西洋の侵略するところとなった。事情を見た日本はますます富国強兵の策をとり、西洋に伍して列強の側に立つようになった。彼我の差は日を追うごとに激しくなり、上述のごとき生活上のトラブル、言語の不通、衛生上の問題などにより、日本人は次第にシナ人や朝鮮人を疎んじ、嫌い、差別するようになった。まさにこの時代に、すでに「シナ人」「朝鮮人」という言葉が使われていたため、この2つが後世、差別用語とされるようになったのだ。つまり、歴史にIFはないが、もしこの時代に「中国人」、「韓国人」などと称していたならば、この2つが、今日最大の差別用語になっていたはずだ。
差別は人の心にこそ宿るものであって、
ひとつひとつの単語に内在するものではない。
>パール・バックの大地でさえ、清朝末期〜辛亥革命の凄い大飢饉と駅に溢れる乞食の様子が、chinaという地名と共にかかれているはずです。
異郷の民に初めて接する時の違和感や不便、場合によっては危機感などは、当然
差別の心を生みやすい。
シナ語の北狄・西戎・南蛮・東夷という
古い差別用語も、往時、先進地域だったシナが後発の異民族と接したときに生まれている。
お気持ちは十分理解できる。
>芥川龍之介に限らず、当時の小説、報道は全て「支那」という表現を使っていて、当時の支那を素晴らしい桃源郷だと誉めたものは見たことが無い。
芥川の時代はすでに、シナや朝鮮から
夥しい難民が流れ込んできており、
もともと住んでいた日本人との間で、日本の各地で摩擦・トラブルが生じている。明治10年から20年の間がまさに日本人のシナ・朝鮮に対する価値観の
大変換期であったとされる。それまでの
大陸は、文化的先進地域であり、日本人にとって、あこがれの対象であった。
江戸時代、頻繁に日本に来た朝鮮通信使は最大限の尊敬と歓迎を受けている。
ところが、この時期を境に日本は西洋文明を吸収し、軍事的にも経済的にも発展をし始め、片や大陸の方は封建体制から
脱皮できず、西洋を拒んだ結果、かえって西洋の侵略するところとなった。事情を見た日本はますます富国強兵の策をとり、西洋に伍して列強の側に立つようになった。彼我の差は日を追うごとに激しくなり、上述のごとき生活上のトラブル、言語の不通、衛生上の問題などにより、日本人は次第にシナ人や朝鮮人を疎んじ、嫌い、差別するようになった。まさにこの時代に、すでに「シナ人」「朝鮮人」という言葉が使われていたため、この2つが後世、差別用語とされるようになったのだ。つまり、歴史にIFはないが、もしこの時代に「中国人」、「韓国人」などと称していたならば、この2つが、今日最大の差別用語になっていたはずだ。
差別は人の心にこそ宿るものであって、
ひとつひとつの単語に内在するものではない。
>パール・バックの大地でさえ、清朝末期〜辛亥革命の凄い大飢饉と駅に溢れる乞食の様子が、chinaという地名と共にかかれているはずです。
異郷の民に初めて接する時の違和感や不便、場合によっては危機感などは、当然
差別の心を生みやすい。
シナ語の北狄・西戎・南蛮・東夷という
古い差別用語も、往時、先進地域だったシナが後発の異民族と接したときに生まれている。
これは メッセージ 3753 (gogai3000 さん)への返信です.
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