文革についての考証 2
投稿者: tokagenoheso 投稿日時: 2005/02/05 21:04 投稿番号: [23543 / 66577]
こんにちは。
お話をうかがってふと思ったのですが、中国人にとって文革は人災ではなく天災だったのではないかと言うことです。
自分たちの力が及ばない、というより無関係な災害であり、首を縮めて堪え忍んでいればそのうち過ぎ去ってゆくからまた再建してゆくしかないとう感覚を持っているのではないかと思ったのです。
唯一の方法は、いかにその災害に慣れ、順応し、過ぎ去った後の生活の再建を素早くやるか、できるならその災害を予知し、災害の来ない場所にあらかじめ非難しておければなお良いと言うことでしょうね。
これはまるで地震や台風に対する日本人の心構えと全く同じです。阪神大震災や中越震災で大きな被害をうけ肉親を亡くした人は大勢居ますが、誰を恨んでいるわけではありません。運が悪かった、少しでも早く立ち直ろうという事です。
なぜ中国人にとって文革は天災なのか。わたしなりの考えですが、中国という国の成り立ち、歴史にありそうです。
太古の昔から中国は王朝が代わるたびに大規模な戦争があり兵員数は数万から数十万に及びます。
日本でも数々の戦がありましたが兵員数は数千から数万、最大規模の関ヶ原の戦いでも10万単位です。
しかし、そのころの人口は日中それほど変わりなく徳川綱吉はインテリで国際状況を正確に把握した結果中国の人口は日本より少ないので脅威ではないという結論を出しています。
つまり、中国の数十万単位の兵数というのは日本では考えられないのですが、ちゃんと理由があります。つまり、中国では兵隊は別に褒賞をもらってなるのではなく、勝った方に付けば略奪が出来たという事です。従って、常に兵隊は勝つ方に付くのであり、これは裏切りという概念はありません。生きてゆく手段なのです。その時々で知らない間に兵力は増えます。大将も自分の兵力を知りません。勝っていれば自然に増えるし負けていれば自然に離れてゆくからです。給料も要りません。兵隊達が自分たちで略奪しているからです。
中国では良い鐵は釘にならない、良い人間は兵隊にならないというのはそのためでしょう。
中国では匪賊も軍閥も区別が無く単に武力集団と言うことですが、毛沢東が民心を得たのは略奪を戒めそのかわり資産家を襲撃してその資産を分けたからです。その結果、貧しい農民は熱狂的に毛沢東を支持し、その軍列に加わりましたが、その結果地方自治や警察機構が完全に破壊され生産流通機構も無くなってしまいました。
それまで地方の資産家が行っていたそれらの機構が資産家と共に消えたからです。
毛沢東が政権を執ったとき、それまで全く経験のない農民達がそれまでのインテリ資産家のやっていた地方自治や生産流通をやったわけですが結果はご存じの通りです。
話がずれましたが、もうすこしおつき合い下さい。
四面楚歌というのは、楚の項羽が四方から楚の歌声が聞こえてきて自分の負けを悟ったと言う故事ですが、最初はどうしてだろうと思いました。味方の歌声が聞こえたら勇気が出るはずだがと考えたからですが、知らない間に楚の兵隊が漢の側に寝返ったからだ理解したのは後で中国の歴史の知識を深めてからです。
中国人にとっては運不運は勝つ方に付いたか負けた方に付いたかであり正しい方に付いたか否かは問題ではないと言うことでしょう。
文革も当時弾圧される側に居た自分が不運なのであり弾圧した方に付いた紅衛兵を別に恨むことではない、毛沢東を恨むことではないという考え方なのではないでしょうか。
結局今の中国のあり方を見ていると本質的に文革の時と、いやこの数千年全く変わっていないとしか思えません。
大部分の貧しい中国人にとって政府は天災でしかなく、文革同様過ぎ去るまで首をすくめて堪え忍ぶということです。
長くなりそうなので、この辺で止めます。
お話をうかがってふと思ったのですが、中国人にとって文革は人災ではなく天災だったのではないかと言うことです。
自分たちの力が及ばない、というより無関係な災害であり、首を縮めて堪え忍んでいればそのうち過ぎ去ってゆくからまた再建してゆくしかないとう感覚を持っているのではないかと思ったのです。
唯一の方法は、いかにその災害に慣れ、順応し、過ぎ去った後の生活の再建を素早くやるか、できるならその災害を予知し、災害の来ない場所にあらかじめ非難しておければなお良いと言うことでしょうね。
これはまるで地震や台風に対する日本人の心構えと全く同じです。阪神大震災や中越震災で大きな被害をうけ肉親を亡くした人は大勢居ますが、誰を恨んでいるわけではありません。運が悪かった、少しでも早く立ち直ろうという事です。
なぜ中国人にとって文革は天災なのか。わたしなりの考えですが、中国という国の成り立ち、歴史にありそうです。
太古の昔から中国は王朝が代わるたびに大規模な戦争があり兵員数は数万から数十万に及びます。
日本でも数々の戦がありましたが兵員数は数千から数万、最大規模の関ヶ原の戦いでも10万単位です。
しかし、そのころの人口は日中それほど変わりなく徳川綱吉はインテリで国際状況を正確に把握した結果中国の人口は日本より少ないので脅威ではないという結論を出しています。
つまり、中国の数十万単位の兵数というのは日本では考えられないのですが、ちゃんと理由があります。つまり、中国では兵隊は別に褒賞をもらってなるのではなく、勝った方に付けば略奪が出来たという事です。従って、常に兵隊は勝つ方に付くのであり、これは裏切りという概念はありません。生きてゆく手段なのです。その時々で知らない間に兵力は増えます。大将も自分の兵力を知りません。勝っていれば自然に増えるし負けていれば自然に離れてゆくからです。給料も要りません。兵隊達が自分たちで略奪しているからです。
中国では良い鐵は釘にならない、良い人間は兵隊にならないというのはそのためでしょう。
中国では匪賊も軍閥も区別が無く単に武力集団と言うことですが、毛沢東が民心を得たのは略奪を戒めそのかわり資産家を襲撃してその資産を分けたからです。その結果、貧しい農民は熱狂的に毛沢東を支持し、その軍列に加わりましたが、その結果地方自治や警察機構が完全に破壊され生産流通機構も無くなってしまいました。
それまで地方の資産家が行っていたそれらの機構が資産家と共に消えたからです。
毛沢東が政権を執ったとき、それまで全く経験のない農民達がそれまでのインテリ資産家のやっていた地方自治や生産流通をやったわけですが結果はご存じの通りです。
話がずれましたが、もうすこしおつき合い下さい。
四面楚歌というのは、楚の項羽が四方から楚の歌声が聞こえてきて自分の負けを悟ったと言う故事ですが、最初はどうしてだろうと思いました。味方の歌声が聞こえたら勇気が出るはずだがと考えたからですが、知らない間に楚の兵隊が漢の側に寝返ったからだ理解したのは後で中国の歴史の知識を深めてからです。
中国人にとっては運不運は勝つ方に付いたか負けた方に付いたかであり正しい方に付いたか否かは問題ではないと言うことでしょう。
文革も当時弾圧される側に居た自分が不運なのであり弾圧した方に付いた紅衛兵を別に恨むことではない、毛沢東を恨むことではないという考え方なのではないでしょうか。
結局今の中国のあり方を見ていると本質的に文革の時と、いやこの数千年全く変わっていないとしか思えません。
大部分の貧しい中国人にとって政府は天災でしかなく、文革同様過ぎ去るまで首をすくめて堪え忍ぶということです。
長くなりそうなので、この辺で止めます。
これは メッセージ 23480 (flwsemi さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019566/cf9q_1/23543.html