Suzuteri様
投稿者: aki_fumika 投稿日時: 2005/02/15 15:40 投稿番号: [7610 / 16409]
Suzuteri様
815事件(辜氏と日本軍との独立?未遂事件)は、戦後台湾の独立運動の中に含まれると私は考えております。
おっしゃるとおり、815から1025までの間は、さまざまな動きのあった時期で(Suzuretiさんの苦労談もこの時期のモノが多いですね)、蒋介石らの台湾統治を決定した時期であるかと思います。その決定的な事件が228であると観ると、なんとなく見えてくるモノもあるんです。
815事件は決定的な台湾と日本との離別を象徴します。
815〜1025までの空白期間は、台湾人のさまざまな意見の交錯した時期で、好日、反日、抗日、好中、反中、抗中などが市民の中でも、知識層や富裕層の間でも出た時期です。この時期の蒋介石軍に対する台湾人の淡い希望が後々の悲劇の前段階を準備したのだと思います。
228事件は、蒋介石軍の統治法としては、ごく自然のやり口であり、暗殺、抹殺、虐殺、弾圧などは、南京を見るまでもなく、蒋介石軍の常套手段であったわけです。ですから、228は象徴的に出発点ではあるが、それは市民側からの見方で、蒋介石軍からの見方では、今まで通りのごく当たり前の方法で統治した、と考えた方が良いでしょう。
そうすることで、台湾人の蒋介石に対する接し方の失敗をきちんと理解できます。
解放者として蒋介石を考えた人もおりますし、協力者、保護者として蒋介石を考えた人もおります。また、惨殺まではやるまい、と楽観視した人もおります。
当時の日本は台湾に対してもっと積極的に責任をもつべきでしたが、時の政府は、蒋介石とならなんとかやっていけるだろう、と考えたようで、これが日本にとっては大きな誤算でした。
いずれにせよ、蒋介石というヤツは、他人を利用して、次々に捨てていったやつがれ。また、利用できるモノは敵味方の区別無く利用した、非常な合理?主義者。
ですから、日本統治時代、815事件などの、日本と台湾の協力図式がそのまま白団になって現れる。
この、815〜1025の期間の台湾人の動き、またその後の228までの動きを仔細に観察すると、その当時の台湾人知識層・富裕層などはいまだに行政管理能力などを持つに至っていないことが分かるわけです。
(これを日本の統治のせいにするのは、独立運動的視点や哲学的視点からすると、責任転嫁です。ですから呂秀蓮的偏向歴史観は責任転嫁と誤謬の塊ということです)
また、この時期、台湾が平穏裡に、自治的にあったというような考えは全くの間違いです。単なる支配者の交代の空白時期に過ぎない。ですから、台湾人が自治能力があったというようなことを、この時期に関して言っているビデオがありますが、その考えは、単なる夢想にすぎません。
独立運動的な見方だと、この時期に、将来の台湾の設計をしなければならなかったわけですが。。。すべてに準備が出来ていなかった。
(まあ、例え、台湾で優秀なリーダーが現れ、蒋介石と交渉をした、と仮定したところで、そのリーダーは蒋介石に殺されたであろう事は、想像できますが。。。)
簡単に言うと、台湾人も日本政府も楽観が過ぎたわけです。
本当の台湾独立運動は、この期間に如実に出た台湾人の失敗をつぶさに分析、検討して、考察を加えることから始めねばなりません。
そうした政治的、哲学的、社会学的な反省から、台湾人のアイデンティティや教育が生まれるはず、なんですが。。。
残念ながらそこまでいっているのは、非常に少ない。李登輝前総統や辜寛敏氏など、ごく一部です。
ですから、Suzuteriさんや、まろやかさんや、Unhooさん、Yabeさん、の当時の体験談が貴重な意見として、私には映るわけです。少なくとも、そのごく一部の人たちには入っているわけですから。。。
815事件(辜氏と日本軍との独立?未遂事件)は、戦後台湾の独立運動の中に含まれると私は考えております。
おっしゃるとおり、815から1025までの間は、さまざまな動きのあった時期で(Suzuretiさんの苦労談もこの時期のモノが多いですね)、蒋介石らの台湾統治を決定した時期であるかと思います。その決定的な事件が228であると観ると、なんとなく見えてくるモノもあるんです。
815事件は決定的な台湾と日本との離別を象徴します。
815〜1025までの空白期間は、台湾人のさまざまな意見の交錯した時期で、好日、反日、抗日、好中、反中、抗中などが市民の中でも、知識層や富裕層の間でも出た時期です。この時期の蒋介石軍に対する台湾人の淡い希望が後々の悲劇の前段階を準備したのだと思います。
228事件は、蒋介石軍の統治法としては、ごく自然のやり口であり、暗殺、抹殺、虐殺、弾圧などは、南京を見るまでもなく、蒋介石軍の常套手段であったわけです。ですから、228は象徴的に出発点ではあるが、それは市民側からの見方で、蒋介石軍からの見方では、今まで通りのごく当たり前の方法で統治した、と考えた方が良いでしょう。
そうすることで、台湾人の蒋介石に対する接し方の失敗をきちんと理解できます。
解放者として蒋介石を考えた人もおりますし、協力者、保護者として蒋介石を考えた人もおります。また、惨殺まではやるまい、と楽観視した人もおります。
当時の日本は台湾に対してもっと積極的に責任をもつべきでしたが、時の政府は、蒋介石とならなんとかやっていけるだろう、と考えたようで、これが日本にとっては大きな誤算でした。
いずれにせよ、蒋介石というヤツは、他人を利用して、次々に捨てていったやつがれ。また、利用できるモノは敵味方の区別無く利用した、非常な合理?主義者。
ですから、日本統治時代、815事件などの、日本と台湾の協力図式がそのまま白団になって現れる。
この、815〜1025の期間の台湾人の動き、またその後の228までの動きを仔細に観察すると、その当時の台湾人知識層・富裕層などはいまだに行政管理能力などを持つに至っていないことが分かるわけです。
(これを日本の統治のせいにするのは、独立運動的視点や哲学的視点からすると、責任転嫁です。ですから呂秀蓮的偏向歴史観は責任転嫁と誤謬の塊ということです)
また、この時期、台湾が平穏裡に、自治的にあったというような考えは全くの間違いです。単なる支配者の交代の空白時期に過ぎない。ですから、台湾人が自治能力があったというようなことを、この時期に関して言っているビデオがありますが、その考えは、単なる夢想にすぎません。
独立運動的な見方だと、この時期に、将来の台湾の設計をしなければならなかったわけですが。。。すべてに準備が出来ていなかった。
(まあ、例え、台湾で優秀なリーダーが現れ、蒋介石と交渉をした、と仮定したところで、そのリーダーは蒋介石に殺されたであろう事は、想像できますが。。。)
簡単に言うと、台湾人も日本政府も楽観が過ぎたわけです。
本当の台湾独立運動は、この期間に如実に出た台湾人の失敗をつぶさに分析、検討して、考察を加えることから始めねばなりません。
そうした政治的、哲学的、社会学的な反省から、台湾人のアイデンティティや教育が生まれるはず、なんですが。。。
残念ながらそこまでいっているのは、非常に少ない。李登輝前総統や辜寛敏氏など、ごく一部です。
ですから、Suzuteriさんや、まろやかさんや、Unhooさん、Yabeさん、の当時の体験談が貴重な意見として、私には映るわけです。少なくとも、そのごく一部の人たちには入っているわけですから。。。
これは メッセージ 7606 (suzuteri2515 さん)への返信です.
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