サッカー・アジアカップの反日問題

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補:少し勉強P.9(ウィーン体制等)

投稿者: koukiyumeno 投稿日時: 2004/10/05 23:54 投稿番号: [13721 / 21882]
ナポレオン後のヨーロッパはイギリス、ロシア、オーストリア、
プロイセン(&ちゃっかりフランス)の五大国により革命以前の
状態に引き戻されました。これをウィーン体制といいます。

各国の王侯貴族にすれば、平民が国を運営するなど
許されないことでした。
とここまで書いて、「あら?」と思った方はいらっしゃいませんか?

気がつきました?


気がつきませんか?




気がついた「あなた」はなかなか鋭いです。
kon_do_i様から小龍包のプレゼントがあるそうです…。
あるかもしれません…。
ボーナスが出た時にでも、ひょっとすると…。

そう「イギリス」です。
イギリスは清教徒革命・名誉革命とその後のハノーバー朝の時代に
「国王は君臨すれど統治せず」の状態になっていました。
まして産業革命により大量生産された商品を売りまくらなければ
なりません。
イギリスは(経済活動の)自由を必要としていたのです。
それに、
フランス革命の原因は何だったのかも忘れてはいけません。
イギリスとフランスの富裕層の対立でしたね。
この構図は変わることはありません。
したがって、イギリスもフランスもフランス革命前の状態に
ヨーロッパを戻すことなど(一部のおばかさんを除いて)本気で
考えてはいなかったのです。


その後、1830年代にはフランスでも産業革命が始まります。
また、七月革命、二月革命によってウィーン体制は崩壊していきます。

ドイツは長い間分裂状態に置かれていましたが、ドイツ人の国民国家
創設の機運がようやく高まってきました。
問題はどこを中心にドイツを統一するかです。
伝統あるハプスブルク家が支配するオーストリアか?
実力のプロイセンか?
雌雄を決する戦争が1866年のプロイセン・オーストリア戦争です。
結果はプロイセンの完勝でした。
7週間で終わってしまったのですから。

こうしてプロイセンを中心としてドイツが一つとなることになったの
ですが、邪魔が入ります。
フランスです。
一般にお隣の国は強いよりは弱いほうが安心していられます。
バラバラの状態ならなお好ましいです。
自国の安全保障上の観点からすればそういうことです。

当時のフランスはナポレオン・ボナパルトの甥が皇帝でした。
彼は偉大なナポレオンの名前で皇帝になれた人ですから、国民の
人気取りをし続けなければなりません。
メキシコにちょっかいを出し、インドシナを植民地にし、そして
今度はドイツです。
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