つづき2
投稿者: goryath 投稿日時: 2003/10/19 16:01 投稿番号: [6958 / 44985]
最後に地税負担について。
収奪論の立場に立つ研究者は、「事業」によって地税負担が増したことを強調する。
その論拠は、地税賦課方式が変わり、実際に地税収入が増加したこと、地税賦課の基準になる法定地価が時価より高く設定されたことに置かれている。
これもまた、歴史的事実に反した推論だ。
「事業」後の1918年の地税は、17年より13%増えたが、これは18年の米価が17年より60%以上増えたことを考えれば、それほど大幅なものではない。
また、法定地価が時価より高く決められたわけでもない。
日帝は、地価を、その土地から期待できる純収益に基づいて決めた。純収益は、総収穫から経費55%を控除した金額から、租税公課金を引いたもので、収穫量に穀価を乗じて算出する。収穫量はさまざまな斟酌率を掛けるので、実収穫量より低く表れる。穀価は道単位で決められるが、1911−13年の収穫後4か月間の中等品卸売価格の平均が用いられた。収穫後の穀価は1年の中では安い時期だ。総督府のサンプル調査でも、法定地価は全体的に時価より安かった。
地税は、上記の方法で算出された地価に、一律1・3%を賦課した。これは、日本国内に比し、地主に有利だった。地価算定式から逆算すれば、地税は総収益の5%以下で、これは地租改正後の日本と比べ、6分の1の水準にすぎない。
また累進税が適用されなかったため、大土地所有者は負担を相対的に軽く感じたはずである。もっとも、地税賦課方式の変更にともない、地域、地目によっては、税負担が重くなった場合もある。
私は、「事業」により近代的土地所有が確立されたと見る。これにより資本主義が農村に浸透する契機となった。
なお、この評価は「植民地美化論」とは無縁である。
(了)
以上
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これは メッセージ 6957 (goryath さん)への返信です.
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