つづき
投稿者: goryath 投稿日時: 2003/10/19 15:57 投稿番号: [6957 / 44985]
次に、土地申告書の不正によって土地所有権を奪うことができかどうか。
申告書は地主本人が作成するのが原則だが、申告書を調べると、その筆跡から、地主総代など何人かの、文字がわかる人々によって代理作成されたことがわかる。しかし、この代理作成過程で、地主総代が恣意的に土地所有者を変えることは不可能だった。
総督府は土地申告の正確を期し、申告漏れを防ぐため、1910年に作成された課税台帳を土地申告書の基礎とした。課税台帳は1910年から実際の課税に利用されていた帳簿であり、土地申告書が実際の土地所有状況から外れて作成される可能性はほとんどない。
また、地主総代は、彼らの政治的・経済的地位からみて、現実の所有関係を変更できるほどの力はなかった。ある事例研究では、地主総代26人中、1坪の耕地ももっていない者が10人もおり、5町歩以上の土地をもつのは3人にすぎなかった。地主総代は、その名が与えるイメージとは違い、地主階級の代表でも、地域社会の有力者でもなかった。
紛争地はすべて国有とされたか?
申告で紛争が起きた場合、いったん和解を勧め、和解に至らなければ、紛争地審査委員会で査定した。査定に不服な場合は、高等土地調査委員会に申請できた。
紛争地総数は33、937件99、445筆、うち国有地に関連するものは64、570筆(64・9%)で、大きな比重を占める。また、紛争地は200筆あたり1筆の比率で発生し、けっして少ないとはいえない。
紛争地問題は、収奪論の有力な根拠になってきたが、これは日帝が、民有地を強制的に国有地と申告し、そうした「収奪」に反対する朝鮮農民の主張は紛争地審査委員会で一方的に黙殺され、国有地とされたという推論の基礎になっている。
しかし、このような推論もまた事実に反する。
大韓帝国樹立後、政府は財政強化のために「光武査検」といわれる国有地調査を実施した。そのとき、多くの民有地が公土(国有地)に編入され、紛争が発生した。この紛争は、内政院の強圧的姿勢のため解決を見ず、1908年、日帝によりすべて国有駅屯地に編入された。日帝はこの土地に対し駅屯地実地調査を行い、それによって作成された「度支部所管国有地台帳」が「事業」の基準帳簿になった。すなわち、事業における紛争地は、光武査検のときの紛争が持ち越されたものだ。国有地紛争が起こった原因は日帝が事業を通じて民有地を略奪しようとしたからだ、という収奪論の主張には、このような歴史的観点が欠落している。
また、紛争地処理において、総督府が一方的に有利だったわけでもない。京城府の国有地紛争では60%が国有地と査定され、その比率は高いほうだが、金海郡では44%、パチョン郡では8・9%にすぎず、国有地化された比率が低い地域もある。
査定に不服な場合は、高等土地調査委員会に不服申請ができたが、受け付けられた申請の半分以上は、取り下げ、または差し戻され、9、388件(46・6%)が審査対象になった。そして、その92・1%は、不服申請した人の主張が受け入れられた。
また、不服申請地(2、872件)は原紛争地(33、937件)の10%にも満たず、これまで考えられていたのと違い、紛争地の大部分が査定に承服したことがわかる。紛争地調査に不服な農民が大挙不服申請をしたはず、という収奪論の推論は、このような基礎統計の確認さえ怠ったものだ。
「事業」における紛争地調査が、日帝の土地略奪を通した国有地創出に寄与したという収奪論の主張は、誤った事実認識に基づいている。
申告書は地主本人が作成するのが原則だが、申告書を調べると、その筆跡から、地主総代など何人かの、文字がわかる人々によって代理作成されたことがわかる。しかし、この代理作成過程で、地主総代が恣意的に土地所有者を変えることは不可能だった。
総督府は土地申告の正確を期し、申告漏れを防ぐため、1910年に作成された課税台帳を土地申告書の基礎とした。課税台帳は1910年から実際の課税に利用されていた帳簿であり、土地申告書が実際の土地所有状況から外れて作成される可能性はほとんどない。
また、地主総代は、彼らの政治的・経済的地位からみて、現実の所有関係を変更できるほどの力はなかった。ある事例研究では、地主総代26人中、1坪の耕地ももっていない者が10人もおり、5町歩以上の土地をもつのは3人にすぎなかった。地主総代は、その名が与えるイメージとは違い、地主階級の代表でも、地域社会の有力者でもなかった。
紛争地はすべて国有とされたか?
申告で紛争が起きた場合、いったん和解を勧め、和解に至らなければ、紛争地審査委員会で査定した。査定に不服な場合は、高等土地調査委員会に申請できた。
紛争地総数は33、937件99、445筆、うち国有地に関連するものは64、570筆(64・9%)で、大きな比重を占める。また、紛争地は200筆あたり1筆の比率で発生し、けっして少ないとはいえない。
紛争地問題は、収奪論の有力な根拠になってきたが、これは日帝が、民有地を強制的に国有地と申告し、そうした「収奪」に反対する朝鮮農民の主張は紛争地審査委員会で一方的に黙殺され、国有地とされたという推論の基礎になっている。
しかし、このような推論もまた事実に反する。
大韓帝国樹立後、政府は財政強化のために「光武査検」といわれる国有地調査を実施した。そのとき、多くの民有地が公土(国有地)に編入され、紛争が発生した。この紛争は、内政院の強圧的姿勢のため解決を見ず、1908年、日帝によりすべて国有駅屯地に編入された。日帝はこの土地に対し駅屯地実地調査を行い、それによって作成された「度支部所管国有地台帳」が「事業」の基準帳簿になった。すなわち、事業における紛争地は、光武査検のときの紛争が持ち越されたものだ。国有地紛争が起こった原因は日帝が事業を通じて民有地を略奪しようとしたからだ、という収奪論の主張には、このような歴史的観点が欠落している。
また、紛争地処理において、総督府が一方的に有利だったわけでもない。京城府の国有地紛争では60%が国有地と査定され、その比率は高いほうだが、金海郡では44%、パチョン郡では8・9%にすぎず、国有地化された比率が低い地域もある。
査定に不服な場合は、高等土地調査委員会に不服申請ができたが、受け付けられた申請の半分以上は、取り下げ、または差し戻され、9、388件(46・6%)が審査対象になった。そして、その92・1%は、不服申請した人の主張が受け入れられた。
また、不服申請地(2、872件)は原紛争地(33、937件)の10%にも満たず、これまで考えられていたのと違い、紛争地の大部分が査定に承服したことがわかる。紛争地調査に不服な農民が大挙不服申請をしたはず、という収奪論の推論は、このような基礎統計の確認さえ怠ったものだ。
「事業」における紛争地調査が、日帝の土地略奪を通した国有地創出に寄与したという収奪論の主張は、誤った事実認識に基づいている。
これは メッセージ 6956 (goryath さん)への返信です.
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