attoko12345氏【正面=トピ合致】再度
投稿者: clionomiko 投稿日時: 2007/01/06 04:12 投稿番号: [38107 / 44985]
妙な時間に目が醒めてしもうたのでレス仕りましょうぞ。
>中国史では漢末で古代は終わり
なるほど。
だからかつて巡り合わせたとあるゲームで諸葛孔明が「中世人」として登場してくるわけですか。
>三国史から漢族はほとんど絶滅し
わらわが読んだ書籍のうちもっとも詳細に人口論について論じていたものでは絶滅説は取っていなかった。それによると、三国時代の実人口は後漢時代の約半分だそうじゃ。それにしても激減したものですな。
>五胡の新しい歴史が始まりますのでここでいったん切り、次に隋唐までを第二古代史とも言うべきで、質的には繰り返しだと思うのです。
判断が難しいところですな。ここでは保留させていただく。
>再び日本史との関連で言うと、建武の親政の後醍醐天皇の政治思想は宋の皇帝絶対思想だという意見が主流のようで、皇帝権が強化される宋代、元代をまとめて捕らえるようです。
それから言うと、宋、元、明、清は中世の繰り返しということになります。
>日本史との関連で言うと、そうかなとは思いますが。
わらわの知り合いの上海出身者は宋代こそが中国史上市民レベルでもっとも経済が発展したとき、と言う。同じ説を中国文学者の中野美代子氏も唱えておる。
わらわ自身は、宋代に経済的発展があったとしたらそれは元のフビライ時代を準備したものではなかったろうかと推測する。
14世紀〜16世紀前半までは東シナ海から南シナ海・インド洋にまで広がる東南アジア貿易圏(日本も当然その1部)というものがあったのではないか、との説をわらわは立てている。そのため(結果か原因かはおくとして)中国の各王朝の首都も次第に沿岸へと近付いていく。その意味でも宋元時代は前時代とは区分を別にすべきだと愚考致す。が、わらわが元代をエポック・メーキングだと申し上げるのは別の事情による。
元はあくまでもモンゴル帝国の1部に過ぎなかった。フビライ・ハーンはモンゴル帝国の盟主だったが帝国全土を直接統治していたわけではない。すなわち、中国の王朝ははじめて「世界の中心」=中華ではなくなったのだ。中国人自身が気付いているかどうかはわからぬがこの意味は大きい。
また、元から明へと王朝が代わってもモンゴル人の国家そのものはその後も存続する。そしてここでも満州の存在が関わってくる。
>李王朝の祖は満州族だとどこかで読んだことがあります。
わらわはモンゴル貴族の出身だったという説を読みましたぞ。もっとも出典は朝鮮日報だったか中央日報だっただったので、
「またはじまった」
と眉にツバをつけただけだったが。しかし、「満州」という土地に着目すると上の説もあながち眉唾ものと切り捨てるだけではすまないのかもしれぬ。
>新羅は稲作をしていたと思いますが、満州族では稲作は関係ないでしょう。
当然言語的にも異なるはずで、
>朝鮮人自身の歴史観ではその辺がどうなってるのか?
朝鮮人自身が満州族は清の征服により、異民族と見ているような感じを受けます。
満州族にとっては長白山が朝鮮民族では白頭山ですからな。
しかし同じ山をそれぞれが聖地と崇めているということはやはり文化的繋がりがあると考える方が自然ではなかろうか。
わらわは満州族もふくめてツングース系の北アジア諸族は基本的に騎馬民族として大陸国家的要素を強く持ち、韓諸国は農耕民族であると同時に海を念頭に置く海洋民族の要素が混じっていたのではないかと推測している。(あくまでも推測)
それが大陸に目をむけることが大であった高麗朝の出現以降バランスが崩れて大陸国家的要素が強まり、モンゴル帝国の1部に組み込まれてもその利を生かすことが出来なかった。そして、先に書いた
>14世紀〜16世紀前半までは東シナ海から南シナ海・インド洋にまで広がる東南アジア貿易圏(日本も当然その1部)というもの
のなかでも重要な位置を占めることがなかったのではないだろうか。
海への関心を失ったこと。これは朝鮮民族にとって大きな曲がり角だったような気がわらわにはしておりまする。
>中国史では漢末で古代は終わり
なるほど。
だからかつて巡り合わせたとあるゲームで諸葛孔明が「中世人」として登場してくるわけですか。
>三国史から漢族はほとんど絶滅し
わらわが読んだ書籍のうちもっとも詳細に人口論について論じていたものでは絶滅説は取っていなかった。それによると、三国時代の実人口は後漢時代の約半分だそうじゃ。それにしても激減したものですな。
>五胡の新しい歴史が始まりますのでここでいったん切り、次に隋唐までを第二古代史とも言うべきで、質的には繰り返しだと思うのです。
判断が難しいところですな。ここでは保留させていただく。
>再び日本史との関連で言うと、建武の親政の後醍醐天皇の政治思想は宋の皇帝絶対思想だという意見が主流のようで、皇帝権が強化される宋代、元代をまとめて捕らえるようです。
それから言うと、宋、元、明、清は中世の繰り返しということになります。
>日本史との関連で言うと、そうかなとは思いますが。
わらわの知り合いの上海出身者は宋代こそが中国史上市民レベルでもっとも経済が発展したとき、と言う。同じ説を中国文学者の中野美代子氏も唱えておる。
わらわ自身は、宋代に経済的発展があったとしたらそれは元のフビライ時代を準備したものではなかったろうかと推測する。
14世紀〜16世紀前半までは東シナ海から南シナ海・インド洋にまで広がる東南アジア貿易圏(日本も当然その1部)というものがあったのではないか、との説をわらわは立てている。そのため(結果か原因かはおくとして)中国の各王朝の首都も次第に沿岸へと近付いていく。その意味でも宋元時代は前時代とは区分を別にすべきだと愚考致す。が、わらわが元代をエポック・メーキングだと申し上げるのは別の事情による。
元はあくまでもモンゴル帝国の1部に過ぎなかった。フビライ・ハーンはモンゴル帝国の盟主だったが帝国全土を直接統治していたわけではない。すなわち、中国の王朝ははじめて「世界の中心」=中華ではなくなったのだ。中国人自身が気付いているかどうかはわからぬがこの意味は大きい。
また、元から明へと王朝が代わってもモンゴル人の国家そのものはその後も存続する。そしてここでも満州の存在が関わってくる。
>李王朝の祖は満州族だとどこかで読んだことがあります。
わらわはモンゴル貴族の出身だったという説を読みましたぞ。もっとも出典は朝鮮日報だったか中央日報だっただったので、
「またはじまった」
と眉にツバをつけただけだったが。しかし、「満州」という土地に着目すると上の説もあながち眉唾ものと切り捨てるだけではすまないのかもしれぬ。
>新羅は稲作をしていたと思いますが、満州族では稲作は関係ないでしょう。
当然言語的にも異なるはずで、
>朝鮮人自身の歴史観ではその辺がどうなってるのか?
朝鮮人自身が満州族は清の征服により、異民族と見ているような感じを受けます。
満州族にとっては長白山が朝鮮民族では白頭山ですからな。
しかし同じ山をそれぞれが聖地と崇めているということはやはり文化的繋がりがあると考える方が自然ではなかろうか。
わらわは満州族もふくめてツングース系の北アジア諸族は基本的に騎馬民族として大陸国家的要素を強く持ち、韓諸国は農耕民族であると同時に海を念頭に置く海洋民族の要素が混じっていたのではないかと推測している。(あくまでも推測)
それが大陸に目をむけることが大であった高麗朝の出現以降バランスが崩れて大陸国家的要素が強まり、モンゴル帝国の1部に組み込まれてもその利を生かすことが出来なかった。そして、先に書いた
>14世紀〜16世紀前半までは東シナ海から南シナ海・インド洋にまで広がる東南アジア貿易圏(日本も当然その1部)というもの
のなかでも重要な位置を占めることがなかったのではないだろうか。
海への関心を失ったこと。これは朝鮮民族にとって大きな曲がり角だったような気がわらわにはしておりまする。
これは メッセージ 38102 (attoko12345 さん)への返信です.
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