Re: いや 違うだろ
投稿者: randy_bara 投稿日時: 2006/12/16 16:38 投稿番号: [37862 / 44985]
>「利益の共有」を図る事と価値の共有は異なるものだ。
>価値を共有しなくとも「利益の共有」はできる。
う〜ん
さすがに限界・・・
つまり価値の共有とはリスクであり、利益の共有はコストと見れば、
国家安全保障のような非生産性分野にコストは適合しないわけだ。
すなわち国家の存在意義はリスクによって担保される。
具体的に言えばアメリカ第442歩兵連隊。
国家に於ける最もリスクある外交が戦争であり、このリスクを
払う事が出来る者だけが、その共同体に於ける構成員と認められる。
ようするに、日本と北朝鮮が戦争となった場合、日本の為に北朝鮮
と戦う事が出来るか、この決断を在日に迫るのは社会という構造上
必要不可欠なものとなる。
従って共生論でしばしば見られる「日本加害者論」を前提とした情緒で
「共生」を促せば反発を食らうのは当然。
善に普遍性がない以上、共同体はその共同体の利益が優先されるのだ。
つまり歴史問題で日本を加害者認定しても意味はない。
ただ一方、日朝間に於いて安寧かつ安定が担保されれば、その限りでは
ないという事は指摘させてもらいたい。
以前このトピでナゴヤン氏がゲマインシャフトとゲゼルシャフトを
発言している。
原始血脈主義から近代資本主義への発展プロセスに於いて
国益が血脈によって維持できるという前提はなくなると
言えるわけだが、もっともこれを国家単位に適用すると「平時」が
前提なのだろう。
これは メッセージ 37861 (attoko12345 さん)への返信です.
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