human氏へ(代償1)
投稿者: yaenanae01 投稿日時: 2004/01/23 20:46 投稿番号: [12285 / 44985]
>この幕府の犬め!
ギャオス! 私が、当面の矢面か。
>どうやらあんたはキリスト教嫌いのようだ。少なくとも俺は大嫌いだ。
>問題はキリスト教を怖れるがあまりに、その当時目覚しい革新を遂げようとしていた西洋文化に対して蓋を閉じてしまった事だ。
残念でした。私は、キリスト教を高く評価している。交際範囲には、クリスチャンも多い。
私が何故キリスト教を高く評価しているかというと、「その発展過程で余りにも多くの血を流し過ぎたため(ローマ時代に国教となってすぐから、そうでしたからな。いや、正確にはその前からだ)」「それを乗り越えるための、次の時代を切り開く諸思想・諸哲学・諸科学を生み出す苦闘を果敢に行わざるを得ない宿命」を、その信者層自体の中に生んだ、ということだ。
ヴォルテールが、著書の中で言っている。
「日本では、長らく十二の宗教が仲良く平和的に共存していた。ところが16世紀にイエズス会の宣教師達が十三番目の宗教として乗り込み、平和的共存をめちゃくちゃにしかねないことをしでかした。呆れ返った日本の指導者は、イエズス会の連中を国外に追い出し、そのついでに、その他の西洋人達にまで疑いの目を向けるようになった。彼らからしてみれば、我々西洋人は、浅ましい野蛮人なのである(大意←出典が手もとにないので)」(「カラス事件」)
ヴォルテールが何に基づいてこう判断したかは定かではないが、東洋の国日本から見て、「自分達西洋人(キリスト教文明の民)の方が野蛮人かもしれない」という考えはあったのだ。それだけ、キリスト教を乗り越えねばならない、という思いが強かったのだろう。
そもそも、西洋文明の二本の柱が、キリスト教ともう一つ、ギリシア・ローマ文化であることは常識。(俗に言う、ヘレニズムとヘブライズム、だ)だが、ギリシア・ローマ文化は、中世には、アラブ社会にこそ継承されていた。(貴殿には、「釈迦に説法」だな)だが、イスラム社会は、啓蒙思想以降の近代科学の過程を生み出すことはなかった。また、仏教にせよ、儒教にせよ、それに類するものは生み出していない。何故か? 実は、イスラムも、仏教も、儒教も、道教も、キリスト教程には、内部的に克服せざるをえないものが切実になかったからだと、私自身は思っている。(それぞれの宗教で、流血沙汰が皆無だったとは、無論言っていない。十分、あることはあった。だが、キリスト教の「異端審問」などに見られるように、それを、率先して組織化して行ったことまではなかったはずだ)
私の見解では、近代科学は、キリスト教の流血と凄惨の上に成り立っている。だからこそ、貴殿が、
>キリスト教を怖れるがあまりに、その当時目覚しい革新を遂げようとしていた西洋文化に対して蓋を閉じてしまった
と言われるのは、皮相的な考えだと思う。
「全ての物事には値(代償)がある」
とは、さる児童文学の言葉だ。私が、大好きな言葉でもある。
日本において、西洋文明がキリスト教社会の慟哭の中で近代科学を生み出していく過程が欠落したのは、キリスト教的残酷性を回避した代償なのだ。そして、近代科学が咀嚼され、その果実だけに横から手を出してもひとまずの成果が上がる時代まで、日本は、それの流入を待機させていたのだ、というのが、私の見解。(もちろん、上澄みを啜る、という行為にも、それに対する代償はある)
以下は、投稿を改めることとしよう。
追伸:
>そのことについて、伊達政宗に語っている日記も、仙台藩に残っている。
これについて、もう少し詳しく教えてくださらないか。クリスチャンの知人達に、私の従来の仮説、「家康が、きちんとカトリック勢力を弾圧してくれたのは、大きな功績」というのを裏付ける傍証として、カードに取っておきたい。
ギャオス! 私が、当面の矢面か。
>どうやらあんたはキリスト教嫌いのようだ。少なくとも俺は大嫌いだ。
>問題はキリスト教を怖れるがあまりに、その当時目覚しい革新を遂げようとしていた西洋文化に対して蓋を閉じてしまった事だ。
残念でした。私は、キリスト教を高く評価している。交際範囲には、クリスチャンも多い。
私が何故キリスト教を高く評価しているかというと、「その発展過程で余りにも多くの血を流し過ぎたため(ローマ時代に国教となってすぐから、そうでしたからな。いや、正確にはその前からだ)」「それを乗り越えるための、次の時代を切り開く諸思想・諸哲学・諸科学を生み出す苦闘を果敢に行わざるを得ない宿命」を、その信者層自体の中に生んだ、ということだ。
ヴォルテールが、著書の中で言っている。
「日本では、長らく十二の宗教が仲良く平和的に共存していた。ところが16世紀にイエズス会の宣教師達が十三番目の宗教として乗り込み、平和的共存をめちゃくちゃにしかねないことをしでかした。呆れ返った日本の指導者は、イエズス会の連中を国外に追い出し、そのついでに、その他の西洋人達にまで疑いの目を向けるようになった。彼らからしてみれば、我々西洋人は、浅ましい野蛮人なのである(大意←出典が手もとにないので)」(「カラス事件」)
ヴォルテールが何に基づいてこう判断したかは定かではないが、東洋の国日本から見て、「自分達西洋人(キリスト教文明の民)の方が野蛮人かもしれない」という考えはあったのだ。それだけ、キリスト教を乗り越えねばならない、という思いが強かったのだろう。
そもそも、西洋文明の二本の柱が、キリスト教ともう一つ、ギリシア・ローマ文化であることは常識。(俗に言う、ヘレニズムとヘブライズム、だ)だが、ギリシア・ローマ文化は、中世には、アラブ社会にこそ継承されていた。(貴殿には、「釈迦に説法」だな)だが、イスラム社会は、啓蒙思想以降の近代科学の過程を生み出すことはなかった。また、仏教にせよ、儒教にせよ、それに類するものは生み出していない。何故か? 実は、イスラムも、仏教も、儒教も、道教も、キリスト教程には、内部的に克服せざるをえないものが切実になかったからだと、私自身は思っている。(それぞれの宗教で、流血沙汰が皆無だったとは、無論言っていない。十分、あることはあった。だが、キリスト教の「異端審問」などに見られるように、それを、率先して組織化して行ったことまではなかったはずだ)
私の見解では、近代科学は、キリスト教の流血と凄惨の上に成り立っている。だからこそ、貴殿が、
>キリスト教を怖れるがあまりに、その当時目覚しい革新を遂げようとしていた西洋文化に対して蓋を閉じてしまった
と言われるのは、皮相的な考えだと思う。
「全ての物事には値(代償)がある」
とは、さる児童文学の言葉だ。私が、大好きな言葉でもある。
日本において、西洋文明がキリスト教社会の慟哭の中で近代科学を生み出していく過程が欠落したのは、キリスト教的残酷性を回避した代償なのだ。そして、近代科学が咀嚼され、その果実だけに横から手を出してもひとまずの成果が上がる時代まで、日本は、それの流入を待機させていたのだ、というのが、私の見解。(もちろん、上澄みを啜る、という行為にも、それに対する代償はある)
以下は、投稿を改めることとしよう。
追伸:
>そのことについて、伊達政宗に語っている日記も、仙台藩に残っている。
これについて、もう少し詳しく教えてくださらないか。クリスチャンの知人達に、私の従来の仮説、「家康が、きちんとカトリック勢力を弾圧してくれたのは、大きな功績」というのを裏付ける傍証として、カードに取っておきたい。
これは メッセージ 12222 (worst_human83 さん)への返信です.
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