おお!かかってこいや!
投稿者: worst_human83 投稿日時: 2004/01/23 01:59 投稿番号: [12222 / 44985]
この幕府の犬め!
>私が最も家康を評価するのは、「きちんと」カトリック勢力を弾圧してくれたことだ。(プロテスタントも、似たり寄ったりだが)いいですかな、サン・バルテルミーの虐殺は、1572年のことですぞ。まさに同時代だ。あんなことをやっていた連中が(新旧両派とも)等しく日本への出入りを制限されたおかげで、この日本を舞台に代理宗教戦争を始めてくれなくて、実に良かった。家康は、この辺りの情報を掴んでいたのだと思うな。
どうやらあんたはキリスト教嫌いのようだ。少なくとも俺は大嫌いだ。
問題はキリスト教を怖れるがあまりに、その当時目覚しい革新を遂げようとしていた西洋文化に対して蓋を閉じてしまった事だ。確かにキリスト教の残酷性などについては、家康は熟知していた。ソテロからも聞いただろうし、ウィリアムからも聞いただろう。そのことについて、伊達政宗に語っている日記も、仙台藩に残っている。
確かにキリスト教を怖れたのは分かる。だが、それだからといって、進歩を止める理由にはならん!ましてや自家保全を考えただけ等の理由では!
>だがそのおかげで、各地の大名小名には、「取り潰し」への危機意識から、自領の管理・育成に努めるという緊張感が生まれたと思う。滅多なことをして一揆でも起これば、取り潰しのいい口実ですからな。
管理育成に努めただあ?そんな藩なんかほとんどないよ!殆どの藩は、250年の歴史の中で幾度と無く改易され、大名と民衆の結びつきが濃くなるのを防いだ。これも幕府の保全政策から出たもの。おかげで大名は勝手の知らない土地に「加禄」という名目で飛ばされ、内政に力を使うことも無く、官僚化した侍のじめついたプライドを守るために、必要以上の挑発を民衆に強いた。これが民衆の苦でなくて何だというのだ!
>これは、貴殿の言われることも、確かに尤もかもしれない。ただ、被差別者自体は、江戸時代以前から存在したのではなかったかな?
確かにそれはあった。しかしそれは京にしか存在していなかったのだ。いわゆる河原者がそれであり、時の権力者の道具とされてきた。が、徳川幕府はそれを全国に施行したのが問題なんだ!京の河原者は差別されてはいたが、その生活は決して貧苦に満ちた者ではなかった。徳川以前では「お下賜」という名目で、それなりの仕事を与えられ、それなりの収入を与えられていた。
しかし糞徳川幕府は、それを全国に施行し、なおかつ、それらの人々を作物の育たないような土地に追いやり、徹底的に差別した。これが罪でなくてなんであろう?しかもそれだけでなくで、鳥追いや歌舞伎役者にもそれを強いていたのだ。
松本一家だって、昔は差別階級の中では最下級に属していたのだ。一芸を持って世に立っている人々に対して、これほどの無礼は古今類がない。
>葉隠れ、ですか。
ただ、むしろ江戸時代の武士達は一種の企業戦士であり、ともかくお家を守る、のが大事。で、主君個人への忠節は、どうやら「お家」そのものよりも、優先順位が低かったと思われる節もある。「殿、お身持ち芳しからず」と迫って、お家騒動を引き起こしかねない主を蟄居させた、という話も聞いたような気がする。
それはそうだよ。あくまで自分の禄を守ることが侍の仕事だったんだから。
俺が言ってる「忠義第一」はあくまでお家に対してのこと。主君に対して忠義の心を持っていたのなんてまれだよ。
>私が最も家康を評価するのは、「きちんと」カトリック勢力を弾圧してくれたことだ。(プロテスタントも、似たり寄ったりだが)いいですかな、サン・バルテルミーの虐殺は、1572年のことですぞ。まさに同時代だ。あんなことをやっていた連中が(新旧両派とも)等しく日本への出入りを制限されたおかげで、この日本を舞台に代理宗教戦争を始めてくれなくて、実に良かった。家康は、この辺りの情報を掴んでいたのだと思うな。
どうやらあんたはキリスト教嫌いのようだ。少なくとも俺は大嫌いだ。
問題はキリスト教を怖れるがあまりに、その当時目覚しい革新を遂げようとしていた西洋文化に対して蓋を閉じてしまった事だ。確かにキリスト教の残酷性などについては、家康は熟知していた。ソテロからも聞いただろうし、ウィリアムからも聞いただろう。そのことについて、伊達政宗に語っている日記も、仙台藩に残っている。
確かにキリスト教を怖れたのは分かる。だが、それだからといって、進歩を止める理由にはならん!ましてや自家保全を考えただけ等の理由では!
>だがそのおかげで、各地の大名小名には、「取り潰し」への危機意識から、自領の管理・育成に努めるという緊張感が生まれたと思う。滅多なことをして一揆でも起これば、取り潰しのいい口実ですからな。
管理育成に努めただあ?そんな藩なんかほとんどないよ!殆どの藩は、250年の歴史の中で幾度と無く改易され、大名と民衆の結びつきが濃くなるのを防いだ。これも幕府の保全政策から出たもの。おかげで大名は勝手の知らない土地に「加禄」という名目で飛ばされ、内政に力を使うことも無く、官僚化した侍のじめついたプライドを守るために、必要以上の挑発を民衆に強いた。これが民衆の苦でなくて何だというのだ!
>これは、貴殿の言われることも、確かに尤もかもしれない。ただ、被差別者自体は、江戸時代以前から存在したのではなかったかな?
確かにそれはあった。しかしそれは京にしか存在していなかったのだ。いわゆる河原者がそれであり、時の権力者の道具とされてきた。が、徳川幕府はそれを全国に施行したのが問題なんだ!京の河原者は差別されてはいたが、その生活は決して貧苦に満ちた者ではなかった。徳川以前では「お下賜」という名目で、それなりの仕事を与えられ、それなりの収入を与えられていた。
しかし糞徳川幕府は、それを全国に施行し、なおかつ、それらの人々を作物の育たないような土地に追いやり、徹底的に差別した。これが罪でなくてなんであろう?しかもそれだけでなくで、鳥追いや歌舞伎役者にもそれを強いていたのだ。
松本一家だって、昔は差別階級の中では最下級に属していたのだ。一芸を持って世に立っている人々に対して、これほどの無礼は古今類がない。
>葉隠れ、ですか。
ただ、むしろ江戸時代の武士達は一種の企業戦士であり、ともかくお家を守る、のが大事。で、主君個人への忠節は、どうやら「お家」そのものよりも、優先順位が低かったと思われる節もある。「殿、お身持ち芳しからず」と迫って、お家騒動を引き起こしかねない主を蟄居させた、という話も聞いたような気がする。
それはそうだよ。あくまで自分の禄を守ることが侍の仕事だったんだから。
俺が言ってる「忠義第一」はあくまでお家に対してのこと。主君に対して忠義の心を持っていたのなんてまれだよ。
これは メッセージ 12215 (yaenanae01 さん)への返信です.
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