Re: 韓国の妄言を否定する根拠-1
投稿者: azusa2008jp 投稿日時: 2010/09/13 21:09 投稿番号: [2286 / 2382]
>>①「世宗実録 地理志」を地域表示と規式に従い読めば、半島側からの記述と分かる。
>地理志の編纂は記述に統一性をもたせるため一定の規式を地方官庁に提示し、
例えば君が、地図帳を見る時、地域表示を無視して、いきなり無作為にページ開く馬鹿は居ないよね。(笑)「世宗実録 地理志」も同様に、地域表示から見ていけば、本文に見た場所が書いてなくても規式に基き、半島側から見たものと解釈できる。それは「新筯東國輿地勝覽」でより明確になっている。もし君がその時代に生きていたとして、役人に君の解釈を述べたら、即座に「規式を知らず、地理志も読めぬ愚か者!」馬鹿にされただろう。
>しかし、于山島はこれに反して簡単にこう記述されました。
君の解釈では、規式に反しながら、なぜ本文に見た場所の記述がないんだ?鬱陵島と于山島を良く分からない理由だけで、見た場所が書いてない事にならないよ。であればその後の「風日清明であれば 望み見ることが出来る」の記述をどう説明する?鬱陵島と于山島の島の実態が良く分からないのに、なぜ見た場所を半島以外と分かるわけ?
この地理書を読むには、いきなり本文から入るのではなく、地域表示から入るのだろ?その手順を無視し、自説に都合よく本文だけに固執するから解釈に無理が出るのだ。(笑)
>地域表示ってのは于山島と鬱陵島がどの県に含まれるかってことを現すもので、上記文中の「二島相去不遠、風日清明、則可望見」という記述の立ち位置を示すものではありません。
なぜそんな事がいえる?本文に見た場所が書いてなければ、規式に従い地域表示(半島側)から見たものと普通は判断するでしょう。・・・でなければ、地理志=地理見聞録にならないでしょうが!それとも、当事の朝鮮の役人は、地理書もまともに編纂できない馬鹿だったとう事かね?(失笑)
>“二島相去不遠”という一文は于山島と鬱陵島の距離を示していますので、その後に続く“どれくらい離れているのか”という説明文は当然、于山島と鬱陵島の距離を示しています。
という事は、「二島相去不遠」で距離を示し、その後にも「風日清明、則可望見」で、二重に距離感を示しているわけ?可笑しな文章だね。(笑)・・・致命的なのは、その望み見える筈の独島について、後に詳しい資料がないのはなぜ?
それが珍解釈の出発点!(笑)君の解釈が正しいとすると、「互いに遠くない」と書きながら、「天候が良ければ・・・」という前後が矛盾した記述になる。本来なら、①「○○より、天候が良ければ・・・」という見た場所の記述が無ければ不自然。②その半面、「互いに遠くなく」を裏付けるように、于山島と鬱陵島は島名が時期により変わる混乱があっても、常に近くの島として地図に描かれている。それに対し、③君の解釈を裏付ける2つの島からなる独島を示す古地図はどこにも存在しない。でも④日本側の地図にはちゃんと2つの島として描かれている。・・・その①〜④までの疑問をどう回答する?いつものように都合の悪い指摘は無視かね?(失笑)
>朝廷は于山島と鬱陵島の詳細な情報を入手できていません。その位置も情報不足であり、だからこそ後に描かれた八道総図には半島側に于山島が、その次に武陵島が描かれています。
それは流山國島という島から半島に来た人が、武陵島という附属島があると述べた事に由来するんだろ?後はリンクを参考にしろ!
つまり、その地図から分かるのは、島名の区別が出来ず、ただ東の海の中に、二つの島がある事と、「新筯東國輿地勝覽」の記述から、半島から船で2日かかる距離にある事が分かるだけです。これらの状況から、視点は半島に置いているのが分かります。それを裏付けるように、半島から鬱陵島の山々や木々が見える記述になっているのです。
「新筯東國輿地勝覽」の解説
http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2008/08/1530liancourt-rocks.html
>于山・武陵の二島が半島からどれくらい離れているのか、当時はわからなかったので規式通りの記述はできなかったのでしょう。
いいえ、規式に従い読めば、半島から望み見れる事で、その感覚的な遠さを記述してる。それは「新筯東國輿地勝覽」で、風が良ければ2日かかるという具体的な記述で裏付けられている。上記のリンクを良く見ろ!
>現代のように鬱陵島と独島が半島からどれほどの距離があるかを理解した上で その情報を元に記述を解釈すれば日本人たちの好む解釈もできるのでしょうが
それは違うね。「世宗実録」では、半島から望み見るだけで距離は示されず、「新筯東國輿地勝覽」では、「風便則二日可到 =風が良ければ2日で到\xC3
>地理志の編纂は記述に統一性をもたせるため一定の規式を地方官庁に提示し、
例えば君が、地図帳を見る時、地域表示を無視して、いきなり無作為にページ開く馬鹿は居ないよね。(笑)「世宗実録 地理志」も同様に、地域表示から見ていけば、本文に見た場所が書いてなくても規式に基き、半島側から見たものと解釈できる。それは「新筯東國輿地勝覽」でより明確になっている。もし君がその時代に生きていたとして、役人に君の解釈を述べたら、即座に「規式を知らず、地理志も読めぬ愚か者!」馬鹿にされただろう。
>しかし、于山島はこれに反して簡単にこう記述されました。
君の解釈では、規式に反しながら、なぜ本文に見た場所の記述がないんだ?鬱陵島と于山島を良く分からない理由だけで、見た場所が書いてない事にならないよ。であればその後の「風日清明であれば 望み見ることが出来る」の記述をどう説明する?鬱陵島と于山島の島の実態が良く分からないのに、なぜ見た場所を半島以外と分かるわけ?
この地理書を読むには、いきなり本文から入るのではなく、地域表示から入るのだろ?その手順を無視し、自説に都合よく本文だけに固執するから解釈に無理が出るのだ。(笑)
>地域表示ってのは于山島と鬱陵島がどの県に含まれるかってことを現すもので、上記文中の「二島相去不遠、風日清明、則可望見」という記述の立ち位置を示すものではありません。
なぜそんな事がいえる?本文に見た場所が書いてなければ、規式に従い地域表示(半島側)から見たものと普通は判断するでしょう。・・・でなければ、地理志=地理見聞録にならないでしょうが!それとも、当事の朝鮮の役人は、地理書もまともに編纂できない馬鹿だったとう事かね?(失笑)
>“二島相去不遠”という一文は于山島と鬱陵島の距離を示していますので、その後に続く“どれくらい離れているのか”という説明文は当然、于山島と鬱陵島の距離を示しています。
という事は、「二島相去不遠」で距離を示し、その後にも「風日清明、則可望見」で、二重に距離感を示しているわけ?可笑しな文章だね。(笑)・・・致命的なのは、その望み見える筈の独島について、後に詳しい資料がないのはなぜ?
それが珍解釈の出発点!(笑)君の解釈が正しいとすると、「互いに遠くない」と書きながら、「天候が良ければ・・・」という前後が矛盾した記述になる。本来なら、①「○○より、天候が良ければ・・・」という見た場所の記述が無ければ不自然。②その半面、「互いに遠くなく」を裏付けるように、于山島と鬱陵島は島名が時期により変わる混乱があっても、常に近くの島として地図に描かれている。それに対し、③君の解釈を裏付ける2つの島からなる独島を示す古地図はどこにも存在しない。でも④日本側の地図にはちゃんと2つの島として描かれている。・・・その①〜④までの疑問をどう回答する?いつものように都合の悪い指摘は無視かね?(失笑)
>朝廷は于山島と鬱陵島の詳細な情報を入手できていません。その位置も情報不足であり、だからこそ後に描かれた八道総図には半島側に于山島が、その次に武陵島が描かれています。
それは流山國島という島から半島に来た人が、武陵島という附属島があると述べた事に由来するんだろ?後はリンクを参考にしろ!
つまり、その地図から分かるのは、島名の区別が出来ず、ただ東の海の中に、二つの島がある事と、「新筯東國輿地勝覽」の記述から、半島から船で2日かかる距離にある事が分かるだけです。これらの状況から、視点は半島に置いているのが分かります。それを裏付けるように、半島から鬱陵島の山々や木々が見える記述になっているのです。
「新筯東國輿地勝覽」の解説
http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2008/08/1530liancourt-rocks.html
>于山・武陵の二島が半島からどれくらい離れているのか、当時はわからなかったので規式通りの記述はできなかったのでしょう。
いいえ、規式に従い読めば、半島から望み見れる事で、その感覚的な遠さを記述してる。それは「新筯東國輿地勝覽」で、風が良ければ2日かかるという具体的な記述で裏付けられている。上記のリンクを良く見ろ!
>現代のように鬱陵島と独島が半島からどれほどの距離があるかを理解した上で その情報を元に記述を解釈すれば日本人たちの好む解釈もできるのでしょうが
それは違うね。「世宗実録」では、半島から望み見るだけで距離は示されず、「新筯東國輿地勝覽」では、「風便則二日可到 =風が良ければ2日で到\xC3
これは メッセージ 2281 (h369jp さん)への返信です.
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