Re: 于山島=独島説の検証①
投稿者: h369jp 投稿日時: 2010/09/09 09:08 投稿番号: [2239 / 2382]
>韓国は公式に独島は于山島と認識しているようですが、それを明確に示すような文書なり地図なりありますか?
>>韓国の歴史書に于山島(独島)は古くから記載がみられます。主なものでは「三国史記」「高麗史」「太宗実録」などがあります。中でも重要なのが「世宗実録地理誌」です。
>>>韓国や貴方の主張では「于山、武陵二島、・・・」を、于山が于山島(竹島)で武陵が現在の鬱陵島という解釈ですね。しかしこれは誤りである。上記漢文の主語は「江原道襄陽縣」の条に書かれている。つまり于山や武陵と呼ばれていた現在の鬱陵島は、江原道から晴れた日に見えると解釈するのが正当である。
>>>>確かにその地理誌は「江原道蔚珍縣」の記録ですが それが文中の 二島相去不遠 風日清明則可望見 に関してどこから見たのかということとは無関係ですよ。二島が半島から見えると判断できないのは 二島が半島から見えないから。鬱陵島は見えますが その他に東海にある島は見えません。
>>>>>どこから見たのか関係なければ、なぜ韓国の主張は、鬱陵島から見たと特定できるのですか?
>>>>>>鬱陵島から独島を見たのかもしれないのですが そうとも限りません。鬱陵島と独島の間の海上から見たことかも知れません。いずれにしても「二島相去不遠、風日清明、則可望見」ですから。
>>>>>>>いずれにせよ、貴方の解釈は規式を無視して、鬱陵島から独島を見たと特定は出来ないわけですね。では、何を根拠に于山島が独島と断言できるのでしょう?
>>>>>>>>「二島相去不遠 風日清明 則可望見」という文から読み取れるのは「二島は互いに遠くはなく、風日清明であれば望み見ることが出来る」ということ。どこから望み見ることが出来るのかは記載されていないけど「二島相去不遠 風日清明 則可望見」なの。
「于山と武陵は蔚珍県の東の海中にあり、二島は互いに遠くなく 風日清明であれば 望み見ることが出来る」という文章から于山が独島だと断言できるんだよ。上記のような位置関係にあるのは鬱陵島と独島以外にはないからね
>>>>>>>>>本文に見た場所が書いてなければ、規式通りに「江原道蔚珍縣」から見たと解釈するのが自然ではないですか?なぜ断言できるのですか?
于山、武陵二島、在県正東海中、二島相去不遠、風日清明、則可望見
>>>>>>>>>>二島を表す順番が最初に于山、次に武陵となっています。我々には独島と鬱陵島の大きさも位置も理解できているのですが、当時の編纂者には二島の大きさも位置もはっきり理解できていません。
二島について理解できているのは上記文章程度です。上記文章では于山が最初にあるので、武陵よりも于山を中心に考えていたわけですね。
「規式(ギュシック)」では半島から見た記述とする規定になっていたわけですが、于山島は半島からは見えません。 半島から見えないので「在県正東海中」(県の東の海の中にある)という記述になっているのです。
于山島は半島からは見えないので「二島相去不遠、風日清明、則可望見」という一文を半島から見たものだとするのは無理なんですよ。
ここまでは間違いなく世宗実録地理誌に関しての論議です。
>>韓国の歴史書に于山島(独島)は古くから記載がみられます。主なものでは「三国史記」「高麗史」「太宗実録」などがあります。中でも重要なのが「世宗実録地理誌」です。
>>>韓国や貴方の主張では「于山、武陵二島、・・・」を、于山が于山島(竹島)で武陵が現在の鬱陵島という解釈ですね。しかしこれは誤りである。上記漢文の主語は「江原道襄陽縣」の条に書かれている。つまり于山や武陵と呼ばれていた現在の鬱陵島は、江原道から晴れた日に見えると解釈するのが正当である。
>>>>確かにその地理誌は「江原道蔚珍縣」の記録ですが それが文中の 二島相去不遠 風日清明則可望見 に関してどこから見たのかということとは無関係ですよ。二島が半島から見えると判断できないのは 二島が半島から見えないから。鬱陵島は見えますが その他に東海にある島は見えません。
>>>>>どこから見たのか関係なければ、なぜ韓国の主張は、鬱陵島から見たと特定できるのですか?
>>>>>>鬱陵島から独島を見たのかもしれないのですが そうとも限りません。鬱陵島と独島の間の海上から見たことかも知れません。いずれにしても「二島相去不遠、風日清明、則可望見」ですから。
>>>>>>>いずれにせよ、貴方の解釈は規式を無視して、鬱陵島から独島を見たと特定は出来ないわけですね。では、何を根拠に于山島が独島と断言できるのでしょう?
>>>>>>>>「二島相去不遠 風日清明 則可望見」という文から読み取れるのは「二島は互いに遠くはなく、風日清明であれば望み見ることが出来る」ということ。どこから望み見ることが出来るのかは記載されていないけど「二島相去不遠 風日清明 則可望見」なの。
「于山と武陵は蔚珍県の東の海中にあり、二島は互いに遠くなく 風日清明であれば 望み見ることが出来る」という文章から于山が独島だと断言できるんだよ。上記のような位置関係にあるのは鬱陵島と独島以外にはないからね
>>>>>>>>>本文に見た場所が書いてなければ、規式通りに「江原道蔚珍縣」から見たと解釈するのが自然ではないですか?なぜ断言できるのですか?
于山、武陵二島、在県正東海中、二島相去不遠、風日清明、則可望見
>>>>>>>>>>二島を表す順番が最初に于山、次に武陵となっています。我々には独島と鬱陵島の大きさも位置も理解できているのですが、当時の編纂者には二島の大きさも位置もはっきり理解できていません。
二島について理解できているのは上記文章程度です。上記文章では于山が最初にあるので、武陵よりも于山を中心に考えていたわけですね。
「規式(ギュシック)」では半島から見た記述とする規定になっていたわけですが、于山島は半島からは見えません。 半島から見えないので「在県正東海中」(県の東の海の中にある)という記述になっているのです。
于山島は半島からは見えないので「二島相去不遠、風日清明、則可望見」という一文を半島から見たものだとするのは無理なんですよ。
ここまでは間違いなく世宗実録地理誌に関しての論議です。
これは メッセージ 2235 (h369jp さん)への返信です.
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