Re: 于山島=独島説の検証①
投稿者: h369jp 投稿日時: 2010/09/08 22:24 投稿番号: [2235 / 2382]
>>二島について理解できているのは上記文章程度です。上記文章では于山が最初にあるので、武陵よりも于山を中心に考えていたわけですね。
>しかし、鬱陵島と于山島を描いた色々な古地図を見ると、于山島の位置は違っても鬱陵島の附属島として描かれているのは共通してます。
世宋実録地理誌(1454)が編纂された後に八道地理誌(1478)が編纂され、これに絵図が登場しました。その後東国輿地勝覧(1481)が編纂され
それは「新増東国輿地勝覧」へと受け継がれます。この新増東国輿地勝覧に付属された八道総図は
日本人から于山島の位置が鬱陵島の西にあるから
という理由で取り上げられていますのであなたもよくご存知ですよね?
http://f.hatena.ne.jp/lunakko/20070506002226于山、武陵二島、在県正東海中、二島相去不遠、風日清明、則可望見
八道総図は
素直にこの文章を絵図にしたものです。
于山島があり、武陵島がある。
あなたの貼り付けた映像は世宋実録地理誌とは無関係ですし、当然「二島相去不遠、風日清明、則可望見」の文章とは無縁です。
>①于山島は、鬱陵島近くの附属島として描かれた地図が多いのはなぜか?
世宋実録地理誌とは関係のない話です。
>②その于山島が独島(竹島)とするなら、実際の2つの島でなく、どれも1つの島として描かれているのはなぜか?
八道総図をご覧あれ。
二つの島が描かれていますよ。
>③以上のことから導かれる結論は、于山島の形から竹嶼と見るべきで、2つの島からなる独島と特定するには無理があるのでは
世宋実録地理誌の話をしてるので八道総図を参考にしましょうね。
>よって、記述の順位だけで、鬱陵島の附属島である于山島を中心に考えていたと解釈するには無理があります。
八道総図を見る限り、全然無理のない解釈ですよ。
これは メッセージ 2232 (azusa2008jp さん)への返信です.
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