16日社説、多民族国家だから復興出来る?
投稿者: rykutukgi 投稿日時: 2001/09/16 20:29 投稿番号: [1819 / 28311]
16日の両者の社説、
・朝日
■テロの傷跡――がんばれニューヨーク
「あの日の衝撃から、米国民が懸命に立ち直ろうとしている。
ニューヨークの世界貿易センタービルやワシントン郊外にある国防総省の事件現場では、消防士らが多くの同僚を失った悲しみに耐えながら、昼夜兼行で救出活動を続けている。全米からボランティアが駆けつけ、献血を申し出る人も絶えない。ドライバーの交通マナーが良くなり、事故が減ったという報道もあった。粛々とした気分がそうさせたのだろう。
航空便が徐々に再開し、休んでいた学校や商店、劇場も再び活動を始めた。週明けには、ニューヨーク証券取引所が開き、野球のメジャーリーグなどプロスポーツも再始動する。星条旗の下で一致団結する、米社会の強さを感じる。
それにしても、テロの傷跡は想像を絶する深さである。多数の人の安否がなお分からず、身もとが判別できない遺体も少なくない。事件から時間がたつにつれ、人々の悲しみ、焦り、怒りは増すばかりだ。事件の後、ニューヨークやワシントンなどでは、駅や大学に対する爆破予告があり、人々の怒りと不安を増幅した。
事件に遭遇した人だけでなく、テレビでせい惨な映像を繰り返して見せられた人たちも、心に深い傷が残るのでは、と心配されている。とりわけ、子どもたちの心のケアは大事だろう。
イスラム過激派指導者にかかわる組織の関与が指摘されたため、米国内700万人ともいわれるイスラム系住民への風当たりが強くなっている。彼らが脅されたり、殴られたりすることが相次いだ。イスラム教施設や商店に火炎瓶が投げ込まれる事件も起きた。恐怖で外出できない子どもも少なくないという。ブッシュ大統領がイスラム教徒への偏見を戒めたのは、当然のことだろう。復興に尽くす美しい姿を、ゆがんだいら立ちで汚してはならない。
事件現場の周辺で、家族や知人の手がかりを必死に捜す人々が話す英語には、いろいろな「なまり」がある。テロの犠牲者は米国人だけでない。アジア、中南米、欧州など世界各地から集まって来た人々だから当たり前のことだが、この国が多民族国家であることを改めて実感させる。ボランティアにいそしむ人たちも多様である。韓国系住民はニューヨーク市内の夜警を買って出た。イスラム教徒の団体も医療支援に汗を流している。在住の日本人も、もちろん活動している。
外部には唯一の超大国としての振る舞いが批判されがちな米国だが、その社会には様々な民族や文化を受け入れる懐の大きさがある。それが、いざというときに発揮される底力にもなる。
米国の悲劇はひとごとではない。私たちも、できるだけのことをしたい。」
正直何が言いたいのかよく分からない社説ですが、興味深くもあるので全文引用しました。マスコミとしてやらなければいけないことは読者を喜ばすことです。この社説のどこで読者を喜ばそうとしているのかが一見よく見えない社説です。
「私たちも、できるだけのことをしたい」。具体的に何をするかを言わない点がすばらしい。読者たるもの「できるだけのことをしたい」と考えつつも労力も使いたくないし金も使いたくないのです。その点を見据えて、具体的な行動を提示せず、被害者をために尽くす人間と同じ気持ちを、読者に共有させています。きれいでかつ中身のない空文句ほど読者を満足させることを朝日はよく心得ています。ただ、このフレーズはおもしろくはありますが、深みがありません。この社説で朝日が主張したい主題ではないように思います。
ではここで朝日はなにを主張したいのでしょうか。「その社会には様々な民族や文化を受け入れる懐の大きさがある」というフレーズに注目して下さい。つまり、日本在住の朝鮮人の方々への参政権付与に賛成し、指紋捺印に反対し、教科書・靖国問題では在日朝鮮人団体と協調し、在日中国人の犯罪をひた隠し、時には犯罪を犯した中国人に同情を引くような論調を行う朝日、つまり日本も外国人を受け入れろという論調に読めます。
そもそも米国の多民族性が「いざというときに発揮される底力にもなる」という結論を無理にこじつけているあたりに今回の社説の恣意性を感じます。復興に努力するのは多民族か否かが条件になることは、いうまでもなくありません。民族にかかわらず、人間として、国民として協力しあうのです。神戸の震災の時、日本は単一民族だから復興が遅れたなどと言うことはありません。多くの被災者が、消防隊や自衛官等の公務員が、多くのボランティアが、はてはやくざまでは助け合ったのです。
テロからの復興を多民族の結果のごとく書き上げる朝日。自分のほしい結論にロジックを誘導し、捏造に近い解釈も辞さない、朝日ならではのすばらしい社説でした。
・朝日
■テロの傷跡――がんばれニューヨーク
「あの日の衝撃から、米国民が懸命に立ち直ろうとしている。
ニューヨークの世界貿易センタービルやワシントン郊外にある国防総省の事件現場では、消防士らが多くの同僚を失った悲しみに耐えながら、昼夜兼行で救出活動を続けている。全米からボランティアが駆けつけ、献血を申し出る人も絶えない。ドライバーの交通マナーが良くなり、事故が減ったという報道もあった。粛々とした気分がそうさせたのだろう。
航空便が徐々に再開し、休んでいた学校や商店、劇場も再び活動を始めた。週明けには、ニューヨーク証券取引所が開き、野球のメジャーリーグなどプロスポーツも再始動する。星条旗の下で一致団結する、米社会の強さを感じる。
それにしても、テロの傷跡は想像を絶する深さである。多数の人の安否がなお分からず、身もとが判別できない遺体も少なくない。事件から時間がたつにつれ、人々の悲しみ、焦り、怒りは増すばかりだ。事件の後、ニューヨークやワシントンなどでは、駅や大学に対する爆破予告があり、人々の怒りと不安を増幅した。
事件に遭遇した人だけでなく、テレビでせい惨な映像を繰り返して見せられた人たちも、心に深い傷が残るのでは、と心配されている。とりわけ、子どもたちの心のケアは大事だろう。
イスラム過激派指導者にかかわる組織の関与が指摘されたため、米国内700万人ともいわれるイスラム系住民への風当たりが強くなっている。彼らが脅されたり、殴られたりすることが相次いだ。イスラム教施設や商店に火炎瓶が投げ込まれる事件も起きた。恐怖で外出できない子どもも少なくないという。ブッシュ大統領がイスラム教徒への偏見を戒めたのは、当然のことだろう。復興に尽くす美しい姿を、ゆがんだいら立ちで汚してはならない。
事件現場の周辺で、家族や知人の手がかりを必死に捜す人々が話す英語には、いろいろな「なまり」がある。テロの犠牲者は米国人だけでない。アジア、中南米、欧州など世界各地から集まって来た人々だから当たり前のことだが、この国が多民族国家であることを改めて実感させる。ボランティアにいそしむ人たちも多様である。韓国系住民はニューヨーク市内の夜警を買って出た。イスラム教徒の団体も医療支援に汗を流している。在住の日本人も、もちろん活動している。
外部には唯一の超大国としての振る舞いが批判されがちな米国だが、その社会には様々な民族や文化を受け入れる懐の大きさがある。それが、いざというときに発揮される底力にもなる。
米国の悲劇はひとごとではない。私たちも、できるだけのことをしたい。」
正直何が言いたいのかよく分からない社説ですが、興味深くもあるので全文引用しました。マスコミとしてやらなければいけないことは読者を喜ばすことです。この社説のどこで読者を喜ばそうとしているのかが一見よく見えない社説です。
「私たちも、できるだけのことをしたい」。具体的に何をするかを言わない点がすばらしい。読者たるもの「できるだけのことをしたい」と考えつつも労力も使いたくないし金も使いたくないのです。その点を見据えて、具体的な行動を提示せず、被害者をために尽くす人間と同じ気持ちを、読者に共有させています。きれいでかつ中身のない空文句ほど読者を満足させることを朝日はよく心得ています。ただ、このフレーズはおもしろくはありますが、深みがありません。この社説で朝日が主張したい主題ではないように思います。
ではここで朝日はなにを主張したいのでしょうか。「その社会には様々な民族や文化を受け入れる懐の大きさがある」というフレーズに注目して下さい。つまり、日本在住の朝鮮人の方々への参政権付与に賛成し、指紋捺印に反対し、教科書・靖国問題では在日朝鮮人団体と協調し、在日中国人の犯罪をひた隠し、時には犯罪を犯した中国人に同情を引くような論調を行う朝日、つまり日本も外国人を受け入れろという論調に読めます。
そもそも米国の多民族性が「いざというときに発揮される底力にもなる」という結論を無理にこじつけているあたりに今回の社説の恣意性を感じます。復興に努力するのは多民族か否かが条件になることは、いうまでもなくありません。民族にかかわらず、人間として、国民として協力しあうのです。神戸の震災の時、日本は単一民族だから復興が遅れたなどと言うことはありません。多くの被災者が、消防隊や自衛官等の公務員が、多くのボランティアが、はてはやくざまでは助け合ったのです。
テロからの復興を多民族の結果のごとく書き上げる朝日。自分のほしい結論にロジックを誘導し、捏造に近い解釈も辞さない、朝日ならではのすばらしい社説でした。
これは メッセージ 1813 (rykutukgi さん)への返信です.