Re昭和10年代の台湾人と日本人(3)
投稿者: taiwanboom 投稿日時: 2005/12/21 10:50 投稿番号: [7578 / 10346]
cafe様
<人力車>
当時台湾にはタクシーもあったが、主要な乗り物は人力車で、台湾人の車夫が
引いていた。日本人にはこの職業は許されていなかったようだ。
人力車の車夫は、白い法被のような上着に白いパンツをはき、頭に笠を
かぶっていた。番号を打ったアルミのプレートを、背中につけていた。
ほとんどが裸足で走っていた。
台南では花園小学校(現公園国民小学)と台南公園の交差点に、人力車の
プールがあり、20台ほどが客待ちをしていた。
「トーチャー」と呼ぶと、2、3台が競争して駆けつけてきた。
私の家では特定の車夫(18番と54番)を決めていた。「自家用車」の
ようなものか。
この2台だけは、私たち子供だけでも乗ることが許されていた。
我が家が成功路の方に引っ越したとき、18番と54番もその近くのプールに
移ってきた。母がときどきチップをやっていたようだ。
公園の近くの陸軍官舎のO大尉が、人力車で連隊に通勤していた。
O大尉は人力車に乗ると、サーベルで車夫の肩を叩いて急がせ、連隊に着くと
料金を値切り、うまくいかないと、番兵を呼んで車夫を追い払っていた。
だから、O大尉がプールにやってくると、車夫はみんな逃げていた。
プールで車夫たちは、ドンブリに入れた「愛玉」に白砂糖をかけて
食べていた。これが主食だといわれていた。
台湾を引き上げる直前に、母がこれを作ってくれた。予想外に美味しかった。
いまの台湾の愛玉は水っぽくていただけない。
東京上野の谷中墓地の近くに、この愛玉の専門店がある。先日訪れたが
愛想のよくない店だった。テレビに出たときはそうでもなかったが。
昭和15年ごろ、日産の「ダットサン」がタクシーとして、台南にデビュー
した。600ccの可愛い車で、女性(日本人?)が運転していた。
襟足のほつれ毛が印象に残っている。
これは メッセージ 7576 (taiwanboom さん)への返信です.
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