Re: nachitakaoさま、三種の本島人
投稿者: taiwanboom 投稿日時: 2005/12/13 12:54 投稿番号: [7549 / 10346]
cafe様
私が台湾にいたときの昭和10年代に、こんな台湾人がたくさんいました。
たとえば、台南市成功路の頼外科医院の横を上がったところに台湾人の
集落がありました。そこには泥水の池があり、その周囲でガチョウと
アヒルと七面鳥などを放し飼いにしていました。
そこの台湾人はすべて支那服を着ていました。
遊んでいる子供(学齢前)は、長ズボン(クーズー?)をはいていました。
このズボンの股の部分は丸い穴になっていました。ズボンをはいたままで
用便をするためです。
このズボンが、いま中国で幼児用にはやっているそうです。
この子供たちは、いつも汚れたままで、地面に直に尻を下ろし裸足でした。
靴を履いた子供を見たことはありません。
家の入り口にちょこんと腰掛けて、大きなドンブリを抱えて汁掛けご飯を
食べている姿をよく見ました。
集落全体は、家禽類の糞尿のにおいと、ニンニクと油と香辛料のにおいが
混ざった空気に包まれていました。一言で言えば「くさい」のです。
そして、いつも喧騒に包まれていました。
この集落のそばを通って、私は小学校(現公園国民小学)に通っていました。
ここの人たちは私たち日本人には、まったく関心を示しません。
私たちが棒切れでガチョウを突付いて怒らせるイタズラをしたとき、
たまに怒鳴ることはありました。
いまの中国の奥地の貧困にあえぐ農民たちの集落を思えばよいでしょう。
当時の私のクラスに台湾人の同級生がいましたが、彼らとこの集落の台湾人
が同じ民族と思ったことはありません。台湾人の同級生は上流クラスの子女で
成績もよく、日本人以上に身奇麗にしていました。
とても、あの集落の人々と同じ民族とは思えません。
日本人が日本時代の台湾人とのふれあいを語るとき、この集落の台湾人のこと
が欠落しているのではないでしょうか。もともと交流がないのだから。
しかし、いまの台湾人の大半の人の祖父母は、このような集落の人の
はずです。日本人とよい付き合いをしていた台湾人は、ほんの一部なのです。
それをもって、日本時代の台湾人を語ることは正確ではありません。
いまの豊かな台湾人の社会のなかに、日本人をちりばめては日本時代の
台湾社会の実相を描くことにはなりません。
これは メッセージ 7519 (cafebangchhunhong さん)への返信です.
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