白団のつずきです。
投稿者: suzuteri2515 投稿日時: 2005/04/28 23:28 投稿番号: [6926 / 10346]
Lee_tin_ting様:
1950年基隆の円山の蒋介石みずから団長となり円山軍官訓練所を作り一切の訓練は歩兵各個教練からやり直し、部隊の士気と反共精神を高めることを第一とした。
戦勝国の将官が敗戦国の軍人に教わる点で反対もあり、蒋介石はすぐ日本軍式の大演習を2週間で白団に命じた。この大演習後、反対は収まったそうです。裸でやってきた高級将校たちは日本から「歩兵操典」などを取り揃えて4つの柱からなる具体的な教育構想を実地しました。
1)円山軍官訓練団で一般の高、中、下級軍官の短期訓練。
2)実験部隊を設立して、白団から10数名の教官を派遣、部隊と共同生活をさせる。
3)日本陸軍大学同様、高級、中級将校を対象に長期の軍事教練をする。
4)台湾全島の軍、公、民間各機関を統合した動員体制を整備した。
日本軍人にとっては精神面の強化といっても国府軍の反共を教えるのはむずかしかったでしょう。かくして蒋介石の「日本軍に学べ」は実現していきました。
台湾に逃れた国府軍には銃器や弾丸も貧困そのものですので、アメリカ式の軍事物資が豊富なる訓練ではなくて貧乏軍隊が勝てる方法とは、精神面の訓練でもあったのです。忍耐と服従の精神訓練でもありました。
1966年岡村大将がなくなられた時期から白団の運命は終末にむかいました。1968年12月31日最後の蒋介石による最後の招待の後翌年1月に全員が引き上げました。全部で4150人の将校に教授した岩坪博秀は蒋介石に口癖は「よいところは聞く必要がない、悪いと思う点を聞かせてほしい」と彼の如何に白団の軍事訓練に期待していたかを、物語る話です。
アメリカ軍の教練を取らなかったのがよかったと思います。物資の豊富なアメリカ軍の教練と教科はまり役立たないでしょうから。
かくして国府軍は中共軍に対しても勇気と自信が生まれました。
少しは理解の助けになりますか・
これは メッセージ 6921 (suzuteri2515 さん)への返信です.
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