台湾についての認識
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Re: 台湾についての認識
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2012/09/26 06:03 投稿番号: [34 / 34]
Branif様:
上げておきます。
これは メッセージ 33 (nachitakao さん)への返信です.
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Re: 台湾についての認識
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2012/09/19 15:38 投稿番号: [33 / 34]
branif様:
基隆港は細長い港で奥が深い形で、向こう側は倉庫が多々あり、その上の方には住宅がありましたね。港の入り口の方には施設がありましたね。奥の丘の上には砲台が見えていました。活気のあるきれいな街でしたね。僅か二度しか訪ねたことがありません。港湾局長さんの官舎にゆきました。向こう岸の丘の上の大邸宅でした。沖縄系の女性がめいどさんでしたね。九州帝大
卒の局長さんはこの港の近代化に大きく貢献したと聞いています。日東汽船
が尊父の勤務社でしたか。日本郵船、大阪商船、高砂汽船、山下汽船の他にまだ出入りした船会社があったでしょうね。宝の島になったフォーモーサはかたるにふさわしい「麗わしの島」だったので、輸出入のトン数では
アジアで2-3番目の繁わしい拠点となりました。お米の輸出は戦時初期には
筆頭でありました。生産トン数は他の国も並ぶものでしたが、輸出する輸送貨物船が日本には豊富で他国をしのぎました。蓬莱米の(台中65号)の全盛期でありました。この種は1972年頃まで栽培され、その後は交配種が
全権を握りましたね。
これは メッセージ 32 (branif さん)への返信です.
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Re: 台湾についての認識
投稿者: giran104 投稿日時: 2012/09/18 11:29 投稿番号: [32 / 34]
nachitakao 様
残りの兵卒は
軍隊と言えないほどの格好で本島人もしらけたそうです。
私は宜欄育ちですが、父が日東汽船に在職していましたので基隆のことはよく覚えています。港の入口付近に海水浴場があって泳ぎに行ったことがあります。その時の部下が現在台北に住んでいまして折りにつけお会いしていますが93歳です。その際「とおさんの桜」を紹介されて読みました。やはり日本人(台湾人)のこころが脈々と流れていました。
蒋介石軍兵については、なべや釜、豚まで引き連れて、こじきの集団みたいだった、と親らが話しているのを聞いたことがあります。
これは メッセージ 31 (nachitakao さん)への返信です.
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Re: 台湾についての認識
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2012/09/18 04:35 投稿番号: [31 / 34]
Branif様:
国民党軍(中華民国軍、国府)の多くが海難島に逃走した挙句、台湾遁走に際してはこの兵団が海難島を出て台湾移ったときいた。そして蒋介石の近衛師団となったときいた。が、この軍団が基隆港に上陸してきた時は、まさしく敗残兵団であった。内地人もこんな藁をも掴みたい時勢になると、やれ陳儀上将の妻が日本人であるとか、蒋介石は陸士留学で卒した(振武学校、予備校だけ)とか自己満足のための理由付けをして、責任逃れを試みた。上陸してきた憲兵軍団は近衛師団ばりの見事な軍装であったが、残りの兵卒は
軍隊と言えないほどの格好で本島人もしらけたそうです。民兵とゆうのが適当であった。別名「山賊集団」とも呼んだそうです。馬や牛は見たことがあるが、トラックやタンクや近代機銃や航空機、空港などを見たことがない
山奥からの少年兵集団でした。
これは メッセージ 1 (branif さん)への返信です.
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Re: 台湾についての認識
投稿者: giran104 投稿日時: 2012/09/18 01:05 投稿番号: [30 / 34]
nachitakao 様
五摂家筆頭が没していく様が、なんと切ないです。コピーをとって老人会で歴史講和の資料にさせて頂いています。有難う御座います。
これは メッセージ 29 (nachitakao さん)への返信です.
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Re: 台湾についての認識
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2012/09/17 07:07 投稿番号: [29 / 34]
branif様:
大体宮家の将校は前線には出さずに、大本営とか学校教育(陸士、大學)とに従事させましたね。ですから首相にでもならぬ限り責任問題はでてきませんでした。近衛さんの大政翼賛会、皇民化運動、三国同盟、日ソ不可侵条約、汪精衛を引っ張りだして南京政府樹立、が目立ち多くが失敗に終わっています。汪精衛の遺体を小牧空港から送り返した1944年暮れ以後、彼の活動は暫く静かになり、再度1945年春頃より、鈴木貫太郎首相の相談を受けています。終戦工作とよび国体維持に勢力を出し切っています。上記の運動は聨合国には邪魔であったので、本人は戦犯を覚悟していましたね。
戦火の時代に生まれた不幸な五摂家筆頭でありました。青酸カリで出頭前日
自殺しましたね。おしい方でした。新聞ニュースを当時見てかなしい思いをしましたね。布団に眠る近衛さんの顔がきれいでありました。
これは メッセージ 28 (branif さん)への返信です.
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Re: 台湾についての認識
投稿者: giran104 投稿日時: 2012/09/16 18:43 投稿番号: [28 / 34]
nachitakao 様
前線では宮様が近くにいるのでやりにくかったそうです。
そうでしたか、有難う御座います。戦犯が天皇に及ばなかった理由には軍部の独走の外にも皇族の中にこのような言動があったからなのでしょうか。結構終戦工作に奔走した方々もいらっしたようですね。近衛文麿公爵にもそのような動きがあったと聞きましたが。
これは メッセージ 27 (nachitakao さん)への返信です.
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Re: 台湾についての認識
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2012/09/16 15:34 投稿番号: [27 / 34]
branif様:
昭和天皇の末弟の三笠宮参謀は満州、中国の参謀として活躍したかった。だが前線へは出れなくて参謀として大尉、少佐として日本軍の軍規の施行に
非常な模範を絶えずしめした。関東軍、中国派遣軍が羽目を外した計画には
注視して意見を吐いた。特に住民の被害、安全、悪態、抑圧などの日本軍の醜態を暴き、前線では宮様が近くにいるのでやりにくかったそうです。昔の武士道(侍道)を厳しく履行させた宮家であった。蒋介石に直接会えて話が
できる参謀、宮家では三笠の宮しかいなかったそうです。こんな軍人の姿が
だんだん薄らいでいったのは残念でしたね。戦後もちろん戦犯にならなかった。傍にいた辻政信、東条、田中、あぶない戦犯並の連中でした。
これは メッセージ 26 (branif さん)への返信です.
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Re: 台湾についての認識
投稿者: giran104 投稿日時: 2012/09/15 17:14 投稿番号: [26 / 34]
nachitakao様
軍部というのは独走しがちでしょうか。大陸では三笠宮崇仁親王が関東軍将校に講和した内容は、関東軍にとって不都合と無視した経緯があったと聞きます。軍政優先で、日本の文化国家への道が大きくブレーキがかかったことになりますね。私も、進学していればもう少し詳細な歴史観が持てたと思いますが、それでも矢内原忠雄先生、滝川事件、古くは天皇機関説などが新聞を賑わしていた頃の様子は覚えています。早速、矢内原忠雄教授の「帝国主義下の台湾」に目を通したいと思います。いつも有難う御座います。
これは メッセージ 24 (nachitakao さん)への返信です.
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Re: 台湾についての認識
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2012/09/13 13:53 投稿番号: [24 / 34]
branif様:
日本国憲法との整合性は徐々に改善しつつ民間総督(田総督)などに落ち着いてきたが、やんぬるかな、昭和15年頃より台湾の皇民化運動の影響で総督と台湾軍団の指揮官が同一の人物にしめられ(指揮系統の統一化のため)軍政が優先されて初期の殖民化ー内地直結型行政がみのりませんでした。私も国民学校5年生の終わりから、中学1年生の終わりまで、教室、鉛筆、教科書は見られなくなりました。後10年つずけば、かなり実った行政となったでしょうが。
書物は元東京帝大教授、総長の矢内原忠雄の「帝国主義下の台湾」です。昭和13年に出版。戦前この人は教授でキリスト教伝道者で「国家の理想」を出版した内容で反戦的とひはんされ(矢内原事件)教授職を辞職させらています。こうゆうタイプの学者、政治家、ジャーナリストなどは戦後人気沸騰ででした。矢内原さんは真面目なひとで、戦後この著書は人気がありました。
京都帝大の滝川教授も「憲法論」(?)で反国家的だと批判されて、辞職
しています。確か滝川事件と呼んだかな?
これは メッセージ 23 (branif さん)への返信です.
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Re: 台湾についての認識
投稿者: giran104 投稿日時: 2012/09/13 11:21 投稿番号: [23 / 34]
nachitakao
様
台湾政策の法律上の整合性に苦悩する政府の姿があられているものでしょうか。結局大正に入っても憲法との整合性は見出せなかったのでしょうか。教授の名が思い浮かびましたら教えて下さいませ。
これは メッセージ 22 (nachitakao さん)への返信です.
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Re: 台湾についての認識
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2012/09/11 03:47 投稿番号: [22 / 34]
Branif様:
1896年に日本議会は台湾総督に6-3法とゆう権限を与えたが、日本国憲法の
立法権限に抵触する恐れありとなり、1905年ですか、もっと幅の広い権限、
3-1法を総督にあたえた。両方とも確か時限法なので1910年に天皇直裁で
内地の法律(憲法が主)で法3号を与えた。内地型内政の始まりであった。時限法ではなくて敗戦まで維持した。しかし、時期とともに徐々に変革をしていった権限関係法は進展したが始めからこんな法をあてがうことは無理であった。仏の植民主義はこの国内型を初期からあてがいおおくの失敗をしでかした。名前ばかりの法律が現地で一人歩きしてしまった。この三つの法をよければ紐解いてくださいね。戦後、東大の学長になった学者の著書があります。後で紹介してみましょう。記憶が薄くなり間違いを書くのを恐れます。
これは メッセージ 21 (branif さん)への返信です.
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Re: 台湾についての認識
投稿者: giran104 投稿日時: 2012/09/10 17:53 投稿番号: [21 / 34]
nachitakao様
有難う御座います。9-4法ですか、早速仲間の台湾通の先生方??に提起してしてみたいと思います。台湾総督府関連資料で宜しいのでしょうか。総督府に樺山、桂、乃木、児玉、補佐で後藤新平などの配置は、台湾政策を重要視して、官僚や政治家の策略を避けたいための大物人事なんでしょうか。ところで、戦後、引揚者を迎えた各自治体は対応に迫られましたが、地元から出てきた言葉は「台湾から来た連中は内地よりはいい思い、いい生活をしている。なり(服装?)を見れば分かる。」と、時には皮肉られたと聞きましたが。まだ学生でしたので軋轢は感じませんでした。
これは メッセージ 20 (nachitakao さん)への返信です.
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Re: 台湾についての認識
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2012/09/09 10:43 投稿番号: [20 / 34]
Branif様:
台湾総督府の行政仕組みで紐解くとわかるのが6-4法とゆう、帝国議会が
台湾総督に与えた行政権限付与の法律です。戦後の日本でこの法はかなり
非難をあびました。植民行政の骨子ですからね。しかし、欧米諸国の行政法
は最もきびしい法で人権、投票権、立法権、選挙権が無視された本国の法と遊離したものであったそうです。
一度は読んでみてください。あるいは、既に読書であれば失礼します。
これは メッセージ 17 (branif さん)への返信です.
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Re: 台湾についての認識
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2012/09/05 17:26 投稿番号: [19 / 34]
branif様:
1年降ろして新制中学に行ったのは昭和8年生まれの学生で1952年に
高校卒ですね。東京に東京水産講習所が発足して専門学校(戦後)となり、新制度で東京水産大学とゆう海洋学の優秀校でありました。台湾にも基隆市にあります。その後、土浦の高等商船学校が昇格した商船大学と併合して東京海洋大学(?)となりましたね。水産大学は難しくて友人が不合格となり、三重大の水産学部と鹿児島大学にはいり自衛官になりました。今人気の魚の先生(黄色いハットをかぶっていていつも笑いの種)がここの講師をしていますよ。「君帰国するのか」は何でもない挨拶だが、台湾出身の本島人には堪えるでしょうね。内地人が台湾を去るとき、本島人がよく申したのは、「あなた方は帰るところがあります。だが私には帰るところがありません」と国民党からの圧迫から逃れたいが出来なかったのです。50年一視同仁と教えられてきたのに、自分は違った位置にいたのか、と痛恨の極みでありました。それが内地生まれで内地育ちであればいいですが、台湾生まれで台湾育ちの戸籍が台湾にあった二世連中は逆に内地に帰れといわれても納得できなかったでしょうね。英国がインドを総督制度で仏がアフリカで内地直接制度でおさめました。日本は台湾を始めは英国制度で始め、徐々に仏制度に切り替えてゆく心底でしたが?
これは メッセージ 17 (branif さん)への返信です.
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Re: 台湾についての認識
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2012/09/05 17:24 投稿番号: [18 / 34]
branif様:
1年降ろして新制中学に行ったのは昭和8年生まれの学生で1952年に
高校卒ですね。東京に東京水産講習所が発足して専門学校(戦後)となり、新制度で東京水産大学とゆう海洋学の優秀校でありました。台湾にも基隆市にあります。その後、土浦の高等商船学校が昇格した商船大学と併合して東京海洋大学(?)となりましたね。水産大学は難しくて友人が不合格となり、三重大の水産学部と鹿児島大学にはいり自衛官になりました。今人気の魚の先生(黄色いハットをかぶっていていつも笑いの種)がここの講師をしていますよ。「君帰国するのか」は何でもない挨拶だが、台湾出身の本島人には堪えるでしょうね。内地人が台湾を去るとき、本島人がよく申したのは、「あなた方は帰るところがあります。だが私には帰るところがありません」と国民党からの圧迫から逃れたいが出来なかったのです。50年一視同仁と教えられてきたのに、自分は違った位置にいたのか、と痛恨の極みでありました。それが内地生まれで内地育ちであればいいですが、台湾生まれで台湾育ちの戸籍が台湾にあった二世連中は逆に内地に帰れといわれても納得できなかったでしょうね。英国がインドを総督制度で仏がアフリカで内地直接制度でおさめました。日本は台湾を一は英国制度で始め、徐々に仏制度に切り替えてゆく心底でしたが?
これは メッセージ 17 (branif さん)への返信です.
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Re: 台湾についての認識
投稿者: giran104 投稿日時: 2012/09/04 20:54 投稿番号: [17 / 34]
nachitakao様
nachi様の投稿を読んでいるとつい胸に迫るものがあります。あこがれの高等商船、山下汽船、めったになれないパイラー等など恵まれた環境でスタートしたんでしょうか。私は中学半ばで内地の学校では一年下に組み込まれました。現在の国立大学は整備段階でしたね。水産講習所に在籍していたので続けていれば水産学部に移籍され大学卒の肩書きが取れたかもしれませんが。初めて就いた仕事が宇部興産でした。それからアッという間の年月です。さて台湾認識のワンショットですが、日本に留学し研究室に残って研究を続けていた台湾人が、戦後混乱の中で、室長から聞かれた「君は帰るのか」の言葉が心に突き刺さって寂しい思いをしたと話していました。おそらく目に見えない壁を見たのでしょう。何気ない声掛けですが私には彼の気持ちが分かるような気がします。
これは メッセージ 16 (nachitakao さん)への返信です.
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Re: 台湾についての認識
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2012/09/04 10:28 投稿番号: [16 / 34]
Branif様:
お互い同級生がおおいのですね。100人単位で国民学校、中等学校の
同級生がいました。自分たちを内地人と呼び、小数の台湾出身の同級生を
含めて本島人とよびました。学内では台湾人とはよびませんでした。台湾は
日本の県の一つと認識していたので、台湾人とゆう国意識はなかったのです。国なら人種は台湾人と呼んだでしょうが。之が内地に留学すると、本土の人たちは、彼等を台湾人と区別しました。便宜上の呼び名でありました。
叔父上が東京高等商船を出て山下汽船にのり31歳で船長となり、戦後直ぐ
台湾からの引き揚げ船の(米船Liberty)船長で田辺港に3回も来ています。ご両親の故郷がこのあたりでしょうか・私は愛媛県へ持っていかれて、列車で
南紀にかえりました。後、叔父上は外国船の水先案内人主任となり神戸駐在となりました。引き揚げ法規を作ったのは在台米国大使館で施行役目は中華民国(憲兵隊)であったが、さっぱり両者の連絡がついていなくて、高雄の
あの赤レンガの領事館に聞きに参ったものです。ここには条文で明細に記載されていました。氷川丸とか興安丸と数隻しかないので、米国から借りた輸送船Libertyでした。倉庫の下で唸るタービンの音がうるさくてね。でも銀飯が食べれて嬉しかったですな。甲板上で寝てしまい、目が覚めたら羊羹二本が消えていました。久々に盗難にあいました。やがて現れるおそろしい日本を想像しました。友人としては、本島人の数が断然内地人よりおおいですね。戦後、台湾を訪問したとき、台湾を案内してくれ得たのは午後の遊び相手の本島人たちでした。英語を話すビジネスマンになっていました。
これは メッセージ 14 (branif さん)への返信です.
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Re: 台湾についての認識
投稿者: giran104 投稿日時: 2012/09/03 21:55 投稿番号: [15 / 34]
実際はそうなんでしょうね。でも、むこうで生まれ育った日本人達も世代別にいろいろな台湾観を持っています。私たちと同世代の台湾人も、子や孫から貴方が仰っていることを言われ、社会の隅に追いやられるようで寂しいと話しています。人々の心のつながりや幸せは、実際の社会状況とは別に存在しているのではないかと考えます。
これは メッセージ 12 (tok*o*cach*to3 さん)への返信です.
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Re: 台湾についての認識
投稿者: giran104 投稿日時: 2012/09/03 21:42 投稿番号: [14 / 34]
nachitakao様
有難う御座います。貴方よりは後輩に当たりますが、台湾には同級生多く2〜3年ごしに同窓会をしています。あったときはいつも楽しい語らいが夜を通して続きます。確かに優越意識からきつい言葉を発する友人もいました。戦後彼らは学校から出られず裏から逃げるように帰っていました。台湾の上級生が制裁しようと待ち構えているのです。でも殆どの生徒はそんなこともなく普通に登下校していました。只、植民地政策とか差別とか聞くと、そんな意識が無かっただけに残念です。そこが台湾で生まれた育った日本人と内地で育った日本人のギャップなんでしょうか。両親たちも台湾で生まれ育っており、引き上げのときは田辺でしたが貴方の言うとおり、異国の地に降り立ったようでしたでしょう。
これは メッセージ 13 (nachitakao さん)への返信です.
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Re: 台湾についての認識
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2012/09/03 18:59 投稿番号: [13 / 34]
branif様:貴方はもっと時間がほしいでしょう。自分の意見もどんどん出してくださいよ。この命題は幅の広い深いものです。書物を読んでも著者の
持論が違い迷うことが多々ありますね。私も読んだものですが、もう台湾の
教育機関へ寄付をしてしまいました。戦前、戦時中、戦後しばらく中華民国の教育を受けた体験から考えなおしてみると大分以前と違う結論も出てきます。
でも間違いがわかるのは10年、20年先になるかもしれません。台湾行政は植民地行政であったと頻繁に見る記事ですが、植民地とは、植民地行政とはまったく体制といい、内容といい、質といい温度差が羅列しています。特に戦後のメデヤの解釈が横行しています。これらのメデヤ人も戦時中は植民
行政を真っ先に指導した連中が反転しただけです。奥の深い命題を提供された貴方の熱意に敬服しています。ゆっくり考えて、ゆっくり交信しましょう。
これは メッセージ 7 (branif さん)への返信です.
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Re: 台湾についての認識
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2012/09/03 12:07 投稿番号: [12 / 34]
⑤彼らは1945年まで日本人だったが、…。
⑥日本人の生活が定着していた台湾人には、…。
***************
これも正確ではないように思う。やはり、朝鮮半島の人々は「朝鮮人」、台湾の島民は「台湾人」であって、「日本人」とは言わなかったのではないか。さらに、当時の台湾人が「日本人の生活」をしていたのかといえば、やはり、日本人の習慣とは違う、伝統的な「台湾人の生活」をしていたのである。戦時になって台湾の「媽祖」信仰、その他の台湾の宗教は相当に弾圧され、「神社参拝」の強制が、さらに、「売るも国語、買うも国語」というスローガンで台湾語の抑圧が行われ、日本人の生活を真似た「国語家庭」なるものが宣伝されたが、それはあくまでも当局による戦争遂行のためのプロパガンダに過ぎなかった。
これは メッセージ 1 (branif さん)への返信です.
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Re: 台湾についての認識
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2012/09/01 20:29 投稿番号: [11 / 34]
②台湾は九州、北海道と同じ日本国の一部だった。
*****************
もし、その通りだとすれば、台湾は「内地」と完全に同一だったということになります。しかし、台湾は朝鮮と同じく、日本帝国の版図にあっても「憲政」が存在せず、天皇の命令で赴任する絶対権力者である「総督」が統治する植民地であったことは議論の余地もありません。それが、抑圧と搾取のみを謀った欧米の植民地統治とは異質な面があったことは事実かもしれませんが、やはり、世界の強国が軍事力を背景にした帝国主義、植民地主義の時代に、それとは本質的に異なった「同化政策」で統治したと言いきることはできません。早い話、台湾人に対する教育の分離や機会不均等、いっさいの参政権を与えない等々、あらゆる面で不当な差別があり、とうてい、「九州、北海道と同じ」とうことはなかったのです。
これは メッセージ 1 (branif さん)への返信です.
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Re: 台湾についての認識
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2012/09/01 06:59 投稿番号: [10 / 34]
branif様:
台湾人は中国人ではない」とゆう問題の一端を見せてくれたのが、高雄医学院の教授のすごい数の検視の結果、ミトコンドリヤDNAの差異が見られて、発表されました。ベトナム人、日本人、韓国人は非常に小さな差異のあるDNA構造内の人種だそうです。台湾原住民と戦前から住む台湾人と中国人は似たDNA構造をもつそうです。台湾原住民のルーツはおよそ、比島から来ているそうです。北鮮の人々は中国大陸人と同じDNA構造を持つそうで、いつも北朝鮮が韓国人を「我が同胞」と呼んでいるが、案外違った人種を呼んでいるのでは?
純粋性の高い構造を持つのは韓国系だそうで、日本人はD系統構造を多くが持っているそうです。ほぼ同じDNA構造にも多少の差異があるのは、別人種と呼ぶそうです。ですから、原住民も含めた台湾人は中国人にあらずとは
当を得ているわけです。科学的根拠はあまり嘘や出鱈目を表示しません。
DNAから見た人種絵図です。
これは メッセージ 7 (branif さん)への返信です.
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Re: 台湾についての認識
投稿者: giran104 投稿日時: 2012/08/31 15:28 投稿番号: [9 / 34]
tok*o*cach*to3 様
ありがとう。確かにご指摘の通り台湾でもいろいろな考えがあります。いやいや、保留などしないで、どしどし指摘して欲しい、時系列での指摘や国連追放のいきさつなども既に出ています。貴方のような人がいれぱ日本人の台湾認識も変わってくるはずです。よろしくおねがいします。
これは メッセージ 8 (tok*o*cach*to3 さん)への返信です.
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Re: 台湾についての認識
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2012/08/30 23:17 投稿番号: [8 / 34]
日本人の義務である台湾認識。
①台湾人は中国人ではない、と言うことを絶対認識すること。
************************
貴殿の認識は自由だが、それは台湾の住民が決めることであって、別に日本人全般の権利でも義務でもないはず。いわゆる「内省人」でも中国人意識を持つ人はいくらでもいるし、反対に、強烈な独立志向の人もいるが、両者とも全体的にはかなり少数派であり、自らのルーツと現状維持という切実な希望から「台湾人であって中国人でもある」と考える人が多い。
それ以下の条項も指摘したい点、あきらかな誤りなどが見られるが保留にしよう。
これは メッセージ 1 (branif さん)への返信です.
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Re: 台湾についての認識
投稿者: giran104 投稿日時: 2012/08/30 12:42 投稿番号: [7 / 34]
台湾に特使(椎名悦三郎議員団長で)を派遣して中華民国の国連座席維持を再三説いてきました。だが、蒋介石もアジア人、面子が納まりません。頑固として拒否しましたね。
そうでしたか。台湾の未来への大きなターニングポイントが面子で流れたんですね。そこから台湾人の苦難の歴史が始まったんでしょうが、よく現在の民主国家に辿り着いたと敬服しています。
これは メッセージ 6 (nachitakao さん)への返信です.
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Re: 台湾についての認識
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2012/08/30 11:27 投稿番号: [6 / 34]
branif様:
提言された中で項目7)の部分でちょっとニュアンスが違うのですが。岸か佐藤首相は中華民国の国連常任理事の椅子から外す案二賛成投票しておきながら、その後、台湾に特使(椎名悦三郎議員団長で)を派遣して中華民国の国連座席維持を再三説いてきました。だが、蒋介石もアジア人、面子が納まりません。頑固として拒否しましたね。今国連にいれば種々なる提案を出せるし、改革も参加できますが?所詮、当時の米英が面子のたつ処分を計るべきでした。日本の占領政策に多忙すぎた極東司令部は台湾の将来にもっと
時間と政策を使うべきでした。日本の政界は蒋介石に葉同情的だったが、政府は概して台湾には冷淡であり、今もそうです。日台の親睦関係は全て民間の努力によるものですね。椎名団長が松山空港に降りると、卵やトマトを投げるデモがありました。その中に馬英九とゆう青年がいたのです。
これは メッセージ 5 (branif さん)への返信です.
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Re: 台湾についての認識
投稿者: giran104 投稿日時: 2012/08/30 00:30 投稿番号: [5 / 34]
nachitakao 様
私より先輩です。台湾についての書籍を何冊か読みましたが、最近、「台湾という新しい国」許世偕・慮千恵著(まどか出版)を読んで、感慨を新たにした次第です。ご教授宜しくお願いします。
これは メッセージ 3 (nachitakao さん)への返信です.
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Re: 台湾についての認識
投稿者: air_america2 投稿日時: 2012/08/30 00:14 投稿番号: [4 / 34]
台湾への不義理を考えれば、日本は台湾からどんな無理難題を言われても甘受するしかない。とはいえ心配することはない。物事への対処対応は唯一日本と同じ国だ。
これは メッセージ 1 (branif さん)への返信です.
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Re: 台湾についての認識
投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2012/08/29 13:24 投稿番号: [3 / 34]
branif様:私も台湾育ちで当時の内地人として台湾で育ち、教育をうけました。暴支庸懲の時代です。昭和14年から眺めた台湾の方向ずれは一部日本政府の中途半途な傍観と一重に極東司令部のミスの結果がもたらした現状で今も是正には米国は無関心です。
参加してたまに書かせていただきたいと思いです。我々の同じ世代は台湾生まれで、台湾育ちで、台湾語を話し、戦後残留したかったが、邪魔になる内地人、結婚で親族になった本島人たちを一刻も早く除去したい蒋介石のいずに
沿って残留は不許可となり始めての未知の外国、日本に引き揚げてきました。彼等の日本語は田舎で通じないもどかしさがありましたよ。改めて今後もよろしくね。米に1980年までBraniff Air Lineとゆう航空会社がありました。ニックネームが似ているので思いだしました。
これは メッセージ 1 (branif さん)への返信です.
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Re: 台湾についての認識
投稿者: nipponndaisuki003 投稿日時: 2012/08/28 23:03 投稿番号: [2 / 34]
新トピ立ち上げおめでとうございます。本島人の一人です。
台湾について、大変に詳しいですね?かなり勉強なされたと、ご察しいたしますが?どこでお勉強なされたのですか?
話し仲間に、加入を許されるのでしたら、いろいろ、談話させてもらいます。
申し送れましたが、よろしくお願いいたします。
これは メッセージ 1 (branif さん)への返信です.
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台湾についての認識
投稿者: giran104 投稿日時: 2012/08/28 21:20 投稿番号: [1 / 34]
日本人の義務である台湾認識。
①台湾人は中国人ではない、と言うことを絶対認識すること。
②台湾は九州、北海道と同じ日本国の一部だった。
③欧米のような植民地政策でなく同化政策だった。
④台湾には、本省人(遠い昔大陸から渡ってきた人々)、台湾人(元々台湾に住んでいた人々)、外省人(1945年以後に毛沢東との内戦で大陸から逃れてきた蒋介石軍とその家族←台湾人から見ればよそ者)が住んでいる。
⑤彼らは1945年まで日本人だったが、同年内地人(日本人)が日本に引き揚げたので、その後外省人が統治(秘密警察等の恐怖統治)するようになった。
⑥日本人の生活が定着していた台湾人には、外省人の統治が馴染めず頑強に抵抗したため、多くの人命が失われ弾圧の下で散々な苦労を強いられる時代が続いた。民主政治(李登輝や陳水扁)を勝ち得たのは極最近(1990年代)のことである。
⑦日本は戦争に負けて4年後に独立して、民主主義の平和路線を維持し自由謳歌していた頃、台湾は恐怖政治が続いたが、そんな同胞だった旧日本人(台湾人・本省人)のことを顧みることなく、逆に国連から追い出す手先になった。
⑧それでも台湾国は日本政府の政策違いであり、日本人民を恨んではいけないと敵対心は取ってない。貧しい復帰前の沖縄県への援助の申出、東北大震災への高額な寄付と救援部隊派遣等の行為を続けている。
⑨このような国は外国ではない、日本の家族と見るべきである。
⑩最近では歩調を合わせて尖閣領有を主張しているが、その内容は韓国や中国とは比べることが出来ないほど異なる。台湾の漁師や日本の漁師が平和に漁ができる漁業協定を何度も呼びかけているのであるが、日本は応じようとしていない。政治と国民の意識の乖離である。
もし、蒋介石軍が海南島に退却していれば、台湾は日本と共に戦争と無縁な素晴らしい国を作り、自由を謳歌していた筈である。
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