台湾についての認識

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Re: 台湾についての認識

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2012/09/04 10:28 投稿番号: [16 / 34]
Branif様:
お互い同級生がおおいのですね。100人単位で国民学校、中等学校の
同級生がいました。自分たちを内地人と呼び、小数の台湾出身の同級生を
含めて本島人とよびました。学内では台湾人とはよびませんでした。台湾は
日本の県の一つと認識していたので、台湾人とゆう国意識はなかったのです。国なら人種は台湾人と呼んだでしょうが。之が内地に留学すると、本土の人たちは、彼等を台湾人と区別しました。便宜上の呼び名でありました。
叔父上が東京高等商船を出て山下汽船にのり31歳で船長となり、戦後直ぐ
台湾からの引き揚げ船の(米船Liberty)船長で田辺港に3回も来ています。ご両親の故郷がこのあたりでしょうか・私は愛媛県へ持っていかれて、列車で
南紀にかえりました。後、叔父上は外国船の水先案内人主任となり神戸駐在となりました。引き揚げ法規を作ったのは在台米国大使館で施行役目は中華民国(憲兵隊)であったが、さっぱり両者の連絡がついていなくて、高雄の
あの赤レンガの領事館に聞きに参ったものです。ここには条文で明細に記載されていました。氷川丸とか興安丸と数隻しかないので、米国から借りた輸送船Libertyでした。倉庫の下で唸るタービンの音がうるさくてね。でも銀飯が食べれて嬉しかったですな。甲板上で寝てしまい、目が覚めたら羊羹二本が消えていました。久々に盗難にあいました。やがて現れるおそろしい日本を想像しました。友人としては、本島人の数が断然内地人よりおおいですね。戦後、台湾を訪問したとき、台湾を案内してくれ得たのは午後の遊び相手の本島人たちでした。英語を話すビジネスマンになっていました。
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