提婆達多 ⑤
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/13 22:36 投稿番号: [83 / 735]
では、ラーフラ誕生についてはどうか。
シッタルタ出城六年後のラーフラ誕生に対し、
不倫の疑惑をかけられたヤショダラの弁明。
「この子は、本当に、夫シッタールタ=シャカの子なのです。
シャカが家出した夜に息子ラーフラが私の胎に入ったからです。
そしてその後六年の彼の苦行時代がつづき、成道した夜になってから
ラーフラが生まれたのです」(『雑宝藏経』)
もしもラーフラが不倫の子であれば、ヤショダラの相手、
即ちラーフラの実の父親は提婆達多であるのか。
であれば、シッタルタにとってラーフラは、
まさに罪の子であり悪魔であるといえよう。
しかし、山折哲雄先生はこの解釈をとらない。
先に山折先生はシッタルタの出城を出家ではなく、
人生の第三ステージにおける家出であると解釈された。
家出であるから、その間シッタルタは度々ヤショダラと逢い、
関係を結んでいたと想定しておられる。
その場合も、修行の不徹底である。それでどうして成道がなるものか、との疑念が湧く。
そして、そうであれば、ラーフラがシッタルタの実子であったとしても、
罪の子にかわりはないではないか。求道者が男女の関係を結んでいたのだから。
もうひとつ、後世の人々が聖なるシャカと聖なる子を演出しようとして、
その話を作ったとも考えられる。
即ち、ラーフラの父は、家出前のシッタルタではなく、
成道した仏陀であるとの。
そしてそれは、イエス=キリストが、大工ヨゼフの子ではなく、
精霊の子であるとすることとみごとに重なる。
だが、ラーフラはイエスと違い、
シャカ教団の中では割合に軽く扱われていたようだ。
すると、ラーフラの父親が聖なる覚者である必要性はないように思われる。
まあ、どちらにしろ、いつラーフラが誕生したかはともかく、
シッタルタが修行を決意して城を出るその夜にヤショダラが身ごもった
というのは、なんともしまらない話ではないか。
さらにしまらないのは、山折先生の、家出後のシッタルタにしばしば
ヤショダラとの逢瀬があったとする、この考え方である。
シャバに愛着がある、そんなことで悟りは開けるのかという、
素朴な疑問を持たざるをえない。
シッタルタ自身も誕生七日めにして、産みの母マヤ夫人を失っている。
この点について、シッタルタは捨て子同然だと書いておられるが・・・
というよりも、自分の誕生によって母を死にいたらしめたという点では、
シッタルタもまた生まれながらにして罪の子ではないか、とわたしは思う。
だからこそ、シッタルタはラーフラを捨てることにあまり躊躇がなかった
といえよう。
父親である自分が不在であっても、日々の生活に不自由することは
ありえないのだし。
閑話休題。
ともあれ、物語を小説『提婆達多』にもどそう。
★参照・・・山折哲雄『ブッダはなぜ子を捨てたか』集英社新書
つづく
2353
シッタルタ出城六年後のラーフラ誕生に対し、
不倫の疑惑をかけられたヤショダラの弁明。
「この子は、本当に、夫シッタールタ=シャカの子なのです。
シャカが家出した夜に息子ラーフラが私の胎に入ったからです。
そしてその後六年の彼の苦行時代がつづき、成道した夜になってから
ラーフラが生まれたのです」(『雑宝藏経』)
もしもラーフラが不倫の子であれば、ヤショダラの相手、
即ちラーフラの実の父親は提婆達多であるのか。
であれば、シッタルタにとってラーフラは、
まさに罪の子であり悪魔であるといえよう。
しかし、山折哲雄先生はこの解釈をとらない。
先に山折先生はシッタルタの出城を出家ではなく、
人生の第三ステージにおける家出であると解釈された。
家出であるから、その間シッタルタは度々ヤショダラと逢い、
関係を結んでいたと想定しておられる。
その場合も、修行の不徹底である。それでどうして成道がなるものか、との疑念が湧く。
そして、そうであれば、ラーフラがシッタルタの実子であったとしても、
罪の子にかわりはないではないか。求道者が男女の関係を結んでいたのだから。
もうひとつ、後世の人々が聖なるシャカと聖なる子を演出しようとして、
その話を作ったとも考えられる。
即ち、ラーフラの父は、家出前のシッタルタではなく、
成道した仏陀であるとの。
そしてそれは、イエス=キリストが、大工ヨゼフの子ではなく、
精霊の子であるとすることとみごとに重なる。
だが、ラーフラはイエスと違い、
シャカ教団の中では割合に軽く扱われていたようだ。
すると、ラーフラの父親が聖なる覚者である必要性はないように思われる。
まあ、どちらにしろ、いつラーフラが誕生したかはともかく、
シッタルタが修行を決意して城を出るその夜にヤショダラが身ごもった
というのは、なんともしまらない話ではないか。
さらにしまらないのは、山折先生の、家出後のシッタルタにしばしば
ヤショダラとの逢瀬があったとする、この考え方である。
シャバに愛着がある、そんなことで悟りは開けるのかという、
素朴な疑問を持たざるをえない。
シッタルタ自身も誕生七日めにして、産みの母マヤ夫人を失っている。
この点について、シッタルタは捨て子同然だと書いておられるが・・・
というよりも、自分の誕生によって母を死にいたらしめたという点では、
シッタルタもまた生まれながらにして罪の子ではないか、とわたしは思う。
だからこそ、シッタルタはラーフラを捨てることにあまり躊躇がなかった
といえよう。
父親である自分が不在であっても、日々の生活に不自由することは
ありえないのだし。
閑話休題。
ともあれ、物語を小説『提婆達多』にもどそう。
★参照・・・山折哲雄『ブッダはなぜ子を捨てたか』集英社新書
つづく
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これは メッセージ 81 (ajisai110701 さん)への返信です.
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