Re: 『蕭蕭』 沈従文
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/10/17 00:34 投稿番号: [665 / 735]
歌の含意は、幼夫にはまったくわからない。
歌い終わって蕭蕭に、どうだった ? と尋ねた。
蕭蕭はほめたが、同時に、いったい誰に教わったのかときいた。
蕭蕭は花狗(ホアゴウ)が教えたことを知ってはいたが、わざと幼夫に聞きただした。
「花狗にいちゃんが教えてくれたよ。
にいちゃんはまだまだいっぱい歌を知ってるってさ。
大きくなったらもっと習って歌うんだ」
花狗が歌が上手だと聞いて、蕭蕭は言った。
「花狗にいさん、花狗にいさん、わたしにいい歌、うたってきかせて」
花狗という男は、あまりまっとうには成長しなかった、
人相に性根の卑しさが現れている。
蕭蕭に歌を所望され、蕭蕭がもうじき歌の含意がわかる年齢になるのだと
わかった。そこで「十歳の娘に一歳の夫」という歌を歌って聞かせた。
その歌は、妻が年上で勝手気儘に外で不品行をやってのける。
つまり、夫は幼くただおっぱいを飲むことを知っているだけ、
夫にはおっぱいを飲ませるだけという歌詞だった。
幼夫にはまったく理解不能だが、蕭蕭には少しだけわかった。
歌を聴いてしまってから蕭蕭は「すべて理解した」ふうを装い、
ある種の背伸びをして、怒ったふりをして花狗に言った。
「花狗にいさん、これはよくないよ。人の悪口の歌じゃん! 」
花狗はわけしり顔で言う。
「人の悪口の歌じゃない」
「うち、わかるもん。人の悪口の歌だよ」
花狗は多辯ではなく、歌はすでに歌われてしまっていた。
謝罪しそこない、もう二度と歌うことはしなかった。
花狗は、蕭蕭がもうある程度のことがわかることを見てとった。
蕭蕭が家に戻り祖父に告げ口をし、祖父に口汚くどやしつけられるであろう
ことをおそれ、そこでお茶を濁し、話を「女学生」に持って行った。
花狗は蕭蕭に尋ねた。
女学生が体操をし外国の歌を歌うのを見たことがあるか、と。
もしも花狗が提起しなかったら、蕭蕭はもうほとんどこのことについて
忘れていた。
この時また「女学生」を持ち出され、蕭蕭は花狗に、最近女学生が通ったか
どうかを尋ねた。蕭蕭は女学生を見たいと思ったのだ。
花狗はカボチャをアンペラ小屋のそばから垣根の角まで抱えて運びながら、
蕭蕭に女学生が歌を歌う話をして聞かせた。
この話の由来も出所はやはり蕭蕭の祖父だった。
花狗は蕭蕭に聞かせるのに少しばかり話を拡大した。
かつて公道で女学生を四人見たことがある。
彼女たちはみな手に旗をもっていた。
汗を流し息を切らして長い道のりを歩いていてもずっと歌を歌っていた。
軍人の歌う歌とまったく同じだ。
わざわざ言う必要のない、これはまったくの口からでまかせだ。
けれどもその物語は蕭蕭を非常に楽しくさせた。
なぜなら、花狗は、これが「自由」だといったからだ。
してやったり、と花狗、一石二鳥だ。
口も八丁、手も八丁のやつだ。
蕭蕭が、うらやましそうな口ぶりで言った。
「花狗にいさんってさあ、腕のつけ根がずいぶん太いね」
それを聞いてすぐにきりかえす。
「もっと太くなるさ」
「がたいもでかいよ」
「俺の全身で小さなところはないよ」
蕭蕭には、こういう話の含意はまだあまりよくわからない。
ただ無邪気にへらへらと可笑しがっただけだった。
つづく
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歌い終わって蕭蕭に、どうだった ? と尋ねた。
蕭蕭はほめたが、同時に、いったい誰に教わったのかときいた。
蕭蕭は花狗(ホアゴウ)が教えたことを知ってはいたが、わざと幼夫に聞きただした。
「花狗にいちゃんが教えてくれたよ。
にいちゃんはまだまだいっぱい歌を知ってるってさ。
大きくなったらもっと習って歌うんだ」
花狗が歌が上手だと聞いて、蕭蕭は言った。
「花狗にいさん、花狗にいさん、わたしにいい歌、うたってきかせて」
花狗という男は、あまりまっとうには成長しなかった、
人相に性根の卑しさが現れている。
蕭蕭に歌を所望され、蕭蕭がもうじき歌の含意がわかる年齢になるのだと
わかった。そこで「十歳の娘に一歳の夫」という歌を歌って聞かせた。
その歌は、妻が年上で勝手気儘に外で不品行をやってのける。
つまり、夫は幼くただおっぱいを飲むことを知っているだけ、
夫にはおっぱいを飲ませるだけという歌詞だった。
幼夫にはまったく理解不能だが、蕭蕭には少しだけわかった。
歌を聴いてしまってから蕭蕭は「すべて理解した」ふうを装い、
ある種の背伸びをして、怒ったふりをして花狗に言った。
「花狗にいさん、これはよくないよ。人の悪口の歌じゃん! 」
花狗はわけしり顔で言う。
「人の悪口の歌じゃない」
「うち、わかるもん。人の悪口の歌だよ」
花狗は多辯ではなく、歌はすでに歌われてしまっていた。
謝罪しそこない、もう二度と歌うことはしなかった。
花狗は、蕭蕭がもうある程度のことがわかることを見てとった。
蕭蕭が家に戻り祖父に告げ口をし、祖父に口汚くどやしつけられるであろう
ことをおそれ、そこでお茶を濁し、話を「女学生」に持って行った。
花狗は蕭蕭に尋ねた。
女学生が体操をし外国の歌を歌うのを見たことがあるか、と。
もしも花狗が提起しなかったら、蕭蕭はもうほとんどこのことについて
忘れていた。
この時また「女学生」を持ち出され、蕭蕭は花狗に、最近女学生が通ったか
どうかを尋ねた。蕭蕭は女学生を見たいと思ったのだ。
花狗はカボチャをアンペラ小屋のそばから垣根の角まで抱えて運びながら、
蕭蕭に女学生が歌を歌う話をして聞かせた。
この話の由来も出所はやはり蕭蕭の祖父だった。
花狗は蕭蕭に聞かせるのに少しばかり話を拡大した。
かつて公道で女学生を四人見たことがある。
彼女たちはみな手に旗をもっていた。
汗を流し息を切らして長い道のりを歩いていてもずっと歌を歌っていた。
軍人の歌う歌とまったく同じだ。
わざわざ言う必要のない、これはまったくの口からでまかせだ。
けれどもその物語は蕭蕭を非常に楽しくさせた。
なぜなら、花狗は、これが「自由」だといったからだ。
してやったり、と花狗、一石二鳥だ。
口も八丁、手も八丁のやつだ。
蕭蕭が、うらやましそうな口ぶりで言った。
「花狗にいさんってさあ、腕のつけ根がずいぶん太いね」
それを聞いてすぐにきりかえす。
「もっと太くなるさ」
「がたいもでかいよ」
「俺の全身で小さなところはないよ」
蕭蕭には、こういう話の含意はまだあまりよくわからない。
ただ無邪気にへらへらと可笑しがっただけだった。
つづく
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これは メッセージ 664 (ajisai110701 さん)への返信です.
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