Re: 『蕭蕭』 沈従文
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/10/17 00:36 投稿番号: [666 / 735]
蕭蕭が幼夫を抱いていってしまうと、花狗と一緒に南瓜の収穫をしている
唖巴(ヤーバ)と呼ばれているものが、平素は開かない口を開いて言った。
「花狗、あんた、ちょっといかんじゃないの。あの娘は十三の生娘だ。
お床入りにはまだ十年はかかる ! 」
花狗は黙ったまま、唖巴にガッと拳骨をお見舞いし、棗(なつめ)の木の下に
行き地面に落ちていた棗を拾って立ち去った。
瓜の収穫どきの秋がくれば、指折り数えて、
蕭蕭がこの幼夫の家で暮らすようになってから一年半がすぎていた。
何度か霜がおり、雪が降った。数回の清明穀雨があった。
家の人はみな、蕭蕭はおとなになったと言った。
天の助けか、冷水を飲み、粗末な食事をしていても、
四季に病なく、成長ぶりは速かった。
姑は、うまれつきハサミのような切れものであったが、
おおよそ蕭蕭に対しての嫁いびりの機会はいつもはさみで除去していた。
田舎の日々は空気と同じくただ人の成長を助けはするものの、
苦しみの到来を阻止することまではできない。
蕭蕭が少し成長するにつれ、家事もまた少し増えた。
麻の機織り、糸紡ぎ、洗濯、幼夫の守りの他に、豚の飼料にする
青まぐさを刈り、他にもやらなければならないことが少しばかりあった。
加えて、綿糸の糊づけと機織りの仕事もあった。
おおよそを習い、ちょっと習えばすぐに上手にできた。
田舎の習慣でほとんどの場合、仕事をして余力があれば労働の中から
自分の内緒を貯えることができる。
ここ二三年来わずかづつ蕭蕭が自分の分として貯めた粗細麻とつむいだ綿糸
も、蕭蕭が旧来の機(はた)に座って投げた梭(ひ)の三ヶ月間の余力だった。
蕭蕭が十五歳のとき、もう大人と同じだけの背丈はあったが、
心は相変わらず曖昧模糊のままだった。
幼夫はとっくに断乳していた。
姑は次子を生み、この五歳の男の子は蕭蕭が独り占めしたようになった。
何をするにも、どこに行くにも、幼夫は常に蕭蕭のそばにいた。
幼夫はある部分では非常に蕭蕭をおそれてはいたがまた蕭蕭を母とも思い、
わるさをしなくなった。
蕭蕭と幼夫は真実心が通じ合っていた。
こんな田舎でも、わずかに進歩はしている。
祖父のからかいはもっぱら、
「蕭蕭、おさげを切り取るのも自由なんだぞ」
というような話題に転じた。
この話をきいている蕭蕭は、ある夏の日に一度女学生を見たことがあり、
祖父の冗談が真面目なものだとは受け取らなかったが、祖父がこの話をする
たびに、水辺に行くと必ずなんとはなしに手でおさげの先をつまみ、おさげ
のない人がどんな精神状態なのかを想像するのは、少しばかり面白かった。
まぐさを刈りに、幼夫を伴い螺螄山(ルオスーやま)の北に行くのは常のこと。
幼な子はわけもわからず、人の歌っていた歌を歌う。
歌は花狗(ホアゴウ)を引き寄せる。
★唖巴(ヤーバ)
「おし」の意味。無口なのでそういうあだ名がつけられている。
★お床入り
原文「圓房」。
童養<女息>(トンヤンシー)が幼夫と実質上の新婚生活に入ること
★清明・・・清明節。二十四節気のひとつ。
四月四日〜六日ころ。墓参りに行く。
★穀雨・・・二十四節気のひとつ。四月二十日ころ。
つづく
5879
唖巴(ヤーバ)と呼ばれているものが、平素は開かない口を開いて言った。
「花狗、あんた、ちょっといかんじゃないの。あの娘は十三の生娘だ。
お床入りにはまだ十年はかかる ! 」
花狗は黙ったまま、唖巴にガッと拳骨をお見舞いし、棗(なつめ)の木の下に
行き地面に落ちていた棗を拾って立ち去った。
瓜の収穫どきの秋がくれば、指折り数えて、
蕭蕭がこの幼夫の家で暮らすようになってから一年半がすぎていた。
何度か霜がおり、雪が降った。数回の清明穀雨があった。
家の人はみな、蕭蕭はおとなになったと言った。
天の助けか、冷水を飲み、粗末な食事をしていても、
四季に病なく、成長ぶりは速かった。
姑は、うまれつきハサミのような切れものであったが、
おおよそ蕭蕭に対しての嫁いびりの機会はいつもはさみで除去していた。
田舎の日々は空気と同じくただ人の成長を助けはするものの、
苦しみの到来を阻止することまではできない。
蕭蕭が少し成長するにつれ、家事もまた少し増えた。
麻の機織り、糸紡ぎ、洗濯、幼夫の守りの他に、豚の飼料にする
青まぐさを刈り、他にもやらなければならないことが少しばかりあった。
加えて、綿糸の糊づけと機織りの仕事もあった。
おおよそを習い、ちょっと習えばすぐに上手にできた。
田舎の習慣でほとんどの場合、仕事をして余力があれば労働の中から
自分の内緒を貯えることができる。
ここ二三年来わずかづつ蕭蕭が自分の分として貯めた粗細麻とつむいだ綿糸
も、蕭蕭が旧来の機(はた)に座って投げた梭(ひ)の三ヶ月間の余力だった。
蕭蕭が十五歳のとき、もう大人と同じだけの背丈はあったが、
心は相変わらず曖昧模糊のままだった。
幼夫はとっくに断乳していた。
姑は次子を生み、この五歳の男の子は蕭蕭が独り占めしたようになった。
何をするにも、どこに行くにも、幼夫は常に蕭蕭のそばにいた。
幼夫はある部分では非常に蕭蕭をおそれてはいたがまた蕭蕭を母とも思い、
わるさをしなくなった。
蕭蕭と幼夫は真実心が通じ合っていた。
こんな田舎でも、わずかに進歩はしている。
祖父のからかいはもっぱら、
「蕭蕭、おさげを切り取るのも自由なんだぞ」
というような話題に転じた。
この話をきいている蕭蕭は、ある夏の日に一度女学生を見たことがあり、
祖父の冗談が真面目なものだとは受け取らなかったが、祖父がこの話をする
たびに、水辺に行くと必ずなんとはなしに手でおさげの先をつまみ、おさげ
のない人がどんな精神状態なのかを想像するのは、少しばかり面白かった。
まぐさを刈りに、幼夫を伴い螺螄山(ルオスーやま)の北に行くのは常のこと。
幼な子はわけもわからず、人の歌っていた歌を歌う。
歌は花狗(ホアゴウ)を引き寄せる。
★唖巴(ヤーバ)
「おし」の意味。無口なのでそういうあだ名がつけられている。
★お床入り
原文「圓房」。
童養<女息>(トンヤンシー)が幼夫と実質上の新婚生活に入ること
★清明・・・清明節。二十四節気のひとつ。
四月四日〜六日ころ。墓参りに行く。
★穀雨・・・二十四節気のひとつ。四月二十日ころ。
つづく
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これは メッセージ 665 (ajisai110701 さん)への返信です.
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