紫陽花亭日乗

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Re: 白髪三千丈

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/10/12 22:40 投稿番号: [651 / 735]
>支那南部では学問は生まれなかった。<


そんなバカな。乱暴な。
湖南省のあたり、古代楚であったあたりですが、ここには有名な嶽麓書院があります。
朱熹はここの先生でした。
楚の国は、古代、中原諸国とは異なる南方異民族の国でした。


>唐の滅亡によって学問の進歩が終わった。支那の学問に科
学がなかったのは、唐滅亡で学問の進歩が終わったからである。<


惜しいことに科学の発展はストップしてしまいましたが、国学(漢学)の研究は
連綿と続き、清代には古典についての新しい発見など見るべきものがありました。
こういった学問は、注釈の増益という形で成果が残されています。


>漢人は地球を知らず、地球が太陽を公転するという知識もなかったにもかか
わらず、正確な暦を作りあげた。<


はあ・・・。
ちょっと面白いことがあります。
わたしは確認していないのですが、高島俊男先生が、
「沈括(北宋)『夢溪筆談』を読むと、地球が丸くて太陽のまわりをまわっている
ことを、当時の知識人たちは当然のこととして知っていた。
コペルニクスやガリレオより何百年も前のことだ」
と書いておられます。


>日本は支那の学問を輸入したけれども、暦の作りかたがわかった者は一人も
なく、宮廷の暦博士の別名は陰陽師であった。<


吉備真備が717年に遣唐留学生として入唐、このとき23歳。
735年、17年間の留学生活を終えて帰国。
この人が唐で暦の勉強をしてきました。

暦朔を奉ず、という言葉がありますが、他国の暦をそのまま使用することは、
属国となることを意味します。
日本は、吉備真備が勉強してきたことをもととして、まがりなりにも
一応独自の暦を制定、独立国としての面目を保つことができました。


つづく
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