秋浦歌 李白
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/27 01:59 投稿番号: [385 / 735]
秋浦歌
李白(盛唐・701〜762)
白髪三千丈 白髪三千丈
縁愁似箇長 愁いに縁って箇の似(ごと)く長し
不知明鏡裏 知らず明鏡の裏(うち)
何處得秋霜 何れの処にか秋霜を得たる
鏡に映る我が姿を見れば白髪は三千丈もあろうかと思われるほど長い
積もり積もった愁のためにこんなに長く伸びたのだ
澄んだ鏡のなかの白髪頭
この、秋の霜のような白髪はいったいどこからやって来たのだろう
★秋浦・・・安徽省長江下流の水郷地帯
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★「白髪三千丈」は大風呂敷か ?
「白髪三千丈」はたしかに、
中国人特有の大風呂敷を広げた表現としてよく引用されます。
けれどもよく考えてみれば、この場合「千」ですが、その上の桁の
「万」だって、中国にしろ日本にしろ、いくらでも大げさな表現はあります。
「千人力」「一日千秋のおもい」「一騎当千の兵(つわもの)」「万能」
「万雷の拍手」「万年筆」「千客万来」「千差万別」など、いくらでも。
で、「白髪三千丈」の詩は・・・・・
この場合、絶対に「三千丈」でなければならない理由があるのです。
他の数字では置き換えができないのです。
簡単に一言でいえば、「平仄」の関係で他の表現は考えられないから。
もう少し詳細にいえば・・・
漢詩は、時代とともにいろいろ細かなきまりができてきます。
朗誦したときに耳に美しく聞こえるメロデイにするためのきまりが平仄です。
白髪三千丈 ●●○○●
縁愁似箇長 ○○●●○
○は平声(ヒョウショウ)。明るくのびやかな印象のメロデイ。
●は仄声(ソクショウ)。ちょっと陰気でせからしく険しい感じのメロデイ。
上記の聯は、
起句と承句の平仄がみごとに反転しているのがひと目でわかります。
例外もあるにしろ、こうでなければならないのです。
そして問題の「三千」の部分ですが、
「三を除く一から十までの数」はすべて仄声・●です。
「三」だけが、平声・○なのです。
だから、○であるために使える数詞は「三」しかないのです。
もう少し詳しくいうと、
一般の現代中国人には平仄(ヒョウソク)はわかりません。
北京官話ではすでに滅亡した「入声(ニッショウ)」という仄声が、
現代漢語の四声にまんべんなく散らばって存在しているからです。
(一部南方方言には残っています)
ところが、日本ではこの音が生き残っているので、
日本人にはこれが識別できるのです。
「入声」とは、P・T・K で終る音節で、
日本語では「フ・ツ・チ・ク・キ」で終る音節の語です。
「一」は北京語では「イー」ですが、日本語では「イチ」ですね。
同様に、「七」「八」も「チー」「バー」で、一声で、
平声のように思われますが、
「シチ」「ハチ」で「チ」で終る音節の語ですから仄声です。
「二・四・五・六・九」は、現代中国語の四声から連想しても、仄声です。
では、残った「十」はどうか。現代中国語では二声だし、
日本語では「ジュウ」だから平声じゃないかと、思ってしまう。
けれども「ジュウ」の表記は、昔は「ジフ」だった、
すなわち「フ」で終っている仄声です。
つまり、ここで使える数字は「三」しかない。
次に「千」ですが、ここも平声・○でなければならない。
「十」「百」「万」「億」、すべて仄声で、使える数詞は「千」しかない。
そして「丈」以外の頭髪の長さの単位として考えられるのは、
「尺」「寸」ですが、「シャク」は仄声、「寸」もまた仄声ですが、
平仄以前に「三千寸」では詩にならない。
というわけで、技術的にここは「三千丈」しかないのです。
決して、李白が大風呂敷を広げたわけではありません。
「三千丈」といえば、およそ10km くらいの長さになりますが、
この詩の中で言いたいことは白髪の長さにあるのではなく、
心中の愁の深さにあるのですから、妥当な表現であるといえます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
~
★村山孚訳「秋浦歌」
白髪が伸びも伸びたり三千丈
これぞまさに嘆きのあまりだわい
鏡のなかに見る己れの顔よ
この秋の霜は いったいどこから降ってきたんだ
2219
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白髪三千丈 白髪三千丈
縁愁似箇長 愁いに縁って箇の似(ごと)く長し
不知明鏡裏 知らず明鏡の裏(うち)
何處得秋霜 何れの処にか秋霜を得たる
鏡に映る我が姿を見れば白髪は三千丈もあろうかと思われるほど長い
積もり積もった愁のためにこんなに長く伸びたのだ
澄んだ鏡のなかの白髪頭
この、秋の霜のような白髪はいったいどこからやって来たのだろう
★秋浦・・・安徽省長江下流の水郷地帯
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★「白髪三千丈」は大風呂敷か ?
「白髪三千丈」はたしかに、
中国人特有の大風呂敷を広げた表現としてよく引用されます。
けれどもよく考えてみれば、この場合「千」ですが、その上の桁の
「万」だって、中国にしろ日本にしろ、いくらでも大げさな表現はあります。
「千人力」「一日千秋のおもい」「一騎当千の兵(つわもの)」「万能」
「万雷の拍手」「万年筆」「千客万来」「千差万別」など、いくらでも。
で、「白髪三千丈」の詩は・・・・・
この場合、絶対に「三千丈」でなければならない理由があるのです。
他の数字では置き換えができないのです。
簡単に一言でいえば、「平仄」の関係で他の表現は考えられないから。
もう少し詳細にいえば・・・
漢詩は、時代とともにいろいろ細かなきまりができてきます。
朗誦したときに耳に美しく聞こえるメロデイにするためのきまりが平仄です。
白髪三千丈 ●●○○●
縁愁似箇長 ○○●●○
○は平声(ヒョウショウ)。明るくのびやかな印象のメロデイ。
●は仄声(ソクショウ)。ちょっと陰気でせからしく険しい感じのメロデイ。
上記の聯は、
起句と承句の平仄がみごとに反転しているのがひと目でわかります。
例外もあるにしろ、こうでなければならないのです。
そして問題の「三千」の部分ですが、
「三を除く一から十までの数」はすべて仄声・●です。
「三」だけが、平声・○なのです。
だから、○であるために使える数詞は「三」しかないのです。
もう少し詳しくいうと、
一般の現代中国人には平仄(ヒョウソク)はわかりません。
北京官話ではすでに滅亡した「入声(ニッショウ)」という仄声が、
現代漢語の四声にまんべんなく散らばって存在しているからです。
(一部南方方言には残っています)
ところが、日本ではこの音が生き残っているので、
日本人にはこれが識別できるのです。
「入声」とは、P・T・K で終る音節で、
日本語では「フ・ツ・チ・ク・キ」で終る音節の語です。
「一」は北京語では「イー」ですが、日本語では「イチ」ですね。
同様に、「七」「八」も「チー」「バー」で、一声で、
平声のように思われますが、
「シチ」「ハチ」で「チ」で終る音節の語ですから仄声です。
「二・四・五・六・九」は、現代中国語の四声から連想しても、仄声です。
では、残った「十」はどうか。現代中国語では二声だし、
日本語では「ジュウ」だから平声じゃないかと、思ってしまう。
けれども「ジュウ」の表記は、昔は「ジフ」だった、
すなわち「フ」で終っている仄声です。
つまり、ここで使える数字は「三」しかない。
次に「千」ですが、ここも平声・○でなければならない。
「十」「百」「万」「億」、すべて仄声で、使える数詞は「千」しかない。
そして「丈」以外の頭髪の長さの単位として考えられるのは、
「尺」「寸」ですが、「シャク」は仄声、「寸」もまた仄声ですが、
平仄以前に「三千寸」では詩にならない。
というわけで、技術的にここは「三千丈」しかないのです。
決して、李白が大風呂敷を広げたわけではありません。
「三千丈」といえば、およそ10km くらいの長さになりますが、
この詩の中で言いたいことは白髪の長さにあるのではなく、
心中の愁の深さにあるのですから、妥当な表現であるといえます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
~
★村山孚訳「秋浦歌」
白髪が伸びも伸びたり三千丈
これぞまさに嘆きのあまりだわい
鏡のなかに見る己れの顔よ
この秋の霜は いったいどこから降ってきたんだ
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