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Re: 子供 ? 子ども ? こども ?

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/23 01:40 投稿番号: [370 / 735]
子供、子ども、こども
高島敏男『お言葉ですが・・・』④「猿も休暇の巻」より

  さきごろの産経新聞に、校閲部長の塩原経央さんが<コドモは「子供」と
書くべきだ>という論説を書いておられたのを、興味ぶかく読んだ。

  というのが、このコドモという語の表記についてはわたしも一定せず、
「子供」と書いたり、また「子ども」と書いたりしているからである。

  一般には「子供」と書く人が多いだろう。

  コドモのドモは「ともに」「ともなう」「ともだち」などのトモで、
「いっしょ」の意である。上に語がついてドモとにごり、複数をあらわす。
「家来ども」などのドモとおなじだ。したがってコドモは、もともとは複数の
子を言う語である。万葉集、山上憶良の「うりはめばこどもおもほゆ」
(瓜を食べるとこどもたちのことが思われる)はみなさまごぞんじのところ
(このばあいはコ★ドモとコにアクセントをおいて言ったほうがいい)。

  いまでもドモは人をあらわす任意の語に附し得るが、敵意をふくんだ感じになる。
「米兵ども」「役人ども」「ちかごろのガキども」のごとく。

  コドモという語のドモは、現在では、まったくその意義をうしなっている。
複数を意味しない。一人でもコドモである。複数を言うためには
「こどもら」「こどもたち」とさらに語をつけくわえねばならない。


  日本語の「とも」に漢字をあてる際、友、伴、共などを多くもちいる。
言うまでもなく漢字は漢語(支那語)をあらわす文字であり、友(ゆう)、伴(はん)、
共(きょう)はそれぞれ別の語であるが、どれもいくらか日本語の「とも」
と似かよう意味を持っているわけだ。

  上に語のついた「とも」には、「家来共」「女共」のごとく、通常「共」をあてた。
「共」に他の語の下について複数をあらわす意味があるわけではないが、
「共に」のトモだからと流用したのである。「身の丈」の丈を
「それ丈はごかんべん」などのダケに流用したのとおなじアテ字である。

  だから「こども」も「子共」でもいいのだが、この語にかぎって「子供」
と書くことが多い。こう書くようになったのは江戸時代以後のことである
ようだが、特に「供」の字を使わねばならぬ理由があるわけではない。
単なる習慣である。

  漢語の「供」は「供給」「供出」などの「供」であり、何かを(主として目上
の者に)さし出す意である。「供述」や「自供」ならば、ことばをさし出す、
つまり申しあげることだ。無論複数の意味などはない。
コドモを「子供」と書くのは、「家来共」よりいっそう見当はずれのアテ字である。


  さて最初に申しあげた塩原さんの論説だ。はじめにこうある。
〔共同通信社が加盟社を対象に出している新聞の用字用語についての
情報冊子『用語委員会だより』四十七号に、同社社友の上田融氏が
「『コドモ』の表記をどうするか」という論説を寄稿している。
  コドモは「子供」ではなく「子ども」と書くのが望ましいというのが
上田氏の提案である。最近は文部省が出している『教育白書』でも、
「子ども」という表記が採られているとのことだ。
  書店に行った折、コドモについて書かれた本のタイトルを気をつけて
見てみたが、「子供」と「子ども」は相半ばしていて、なるほど「子ども」
の表記が増勢にあるのだなという印象を持った。〕


  アテ字はなるべくやめようというのならけっこうなことだ、と先を読んであきれた。

   〔「子供」と「子ども」と、どこがどう違うのか。
「子どもの表記の源流の一つは上田氏の推論では『供』という字は『お供』
の『供』、付属物の扱いみたいだ」という羽仁説子さんの所説にあるらしい。
“コドモの人権”をズームアップする人々はコドモを「子供」と書かない
ことに自らの良心を見ているのである。〕


つづく
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