紫陽花亭日乗

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Re: 『史記』「管晏列傳第二」

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/29 21:04 投稿番号: [216 / 735]
〔原文〕
語曰。將順其美、匡救其惡。故上下能相親也豈管仲之謂乎。
方晏子伏莊公尸、哭之成禮、然後去、豈所謂見義不爲無勇者邪。
至其諫説犯君之顔、此所謂進思盡忠、退思補過者哉。
假令晏子而在、余雖爲之執鞭、所忻慕焉。

〔訓読〕
語に曰く、
其の美に將順し、其の惡を匡救す。故に上下能く相親しむ、とは、豈に管仲を之れ謂うか。
方(なら)びに晏子莊公の尸に伏し、之に哭し禮を成し、然る後に去るは、
豈に義を見て爲さざるは勇無しと謂う所の者か。
其の諫説して君の顔を犯すに、此れ進みて忠を盡くすを思い、
退きて過ちを補うを思うと謂う所の者か。
假(も)し晏子をして在らしめば、余之が爲に鞭を執ると雖も、忻慕(キンボ)する所なり。

〔解釈〕
語に曰く、

「君主の美点をますます立派になるよう助力し伸ばし、君主の欠点を矯正する。
その故に上下(君臣)がよく相親しむのだ」とあるのは、
なんとまさに管仲のことをいったのであろうか。

それに比較して、晏子が莊公の死体に伏し、これに哭礼して後に立ち去った
ということは、まさに「義を見て爲さざるは勇無し」ということであろうか。

君主に諫言するときには、君主の顔色をうかがわなかった。それは
「進んでは忠を盡くすことを思い、退いては過ちを補うことを思う」
ということであろうか。

もし晏子が今生存しているのであれば、わたくし、この司馬遷は
晏子の御者となってもかまわないと思うほど喜び慕うものである。


★語曰・・・古語曰。『孝経』ではこういっている。

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◆『論語』にみる孔子の管仲評価

管仲は孔子より 170〜180 年前の人物です。
管仲は仁者か仁者でないか、孔子の視点をみます。

『論語』はすべて、金谷治訳注『論語』岩波文庫より引用しています。


◆『論語』「巻第二   八イツ巻三」・・・この部分は再掲です。

〔原文〕
子曰、管仲之器小哉、或曰、管仲儉乎、曰、管氏有三歸、官事不攝、
焉得儉乎、然則管仲知禮乎、曰、邦君樹塞門、管氏亦樹塞門、
邦君爲兩君之好、有反<土占>、管氏亦有反<土占>、管氏而知禮、孰不知禮、

〔訓読〕
子(シ)の曰(のたま)わく、管仲の器は小なるかな。
或るひとの曰(い)わく、管仲は倹なるか。
曰(のたま)わく、管氏に三帰あり、官の事は摂(か)ねず、焉(いずく)んぞ倹なるを得ん。
然らば則ち管仲は礼を知るか。
曰(のたま)わく、邦君、樹して門を塞ぐ、管氏も亦た樹して門を塞ぐ。
邦君、両君の好(よしみ)を爲すに反<土占>(はんてん)あり。管氏も亦た反<土占>あり。
管氏にして礼を知らば、孰(たれ)か礼を知らざらん。

〔解釈〕
先生(孔子)がいわれた。「管仲の人物は小さいね。」

ある人が「管仲は倹約だったのですか。」というと、

「管氏には三つの邸宅があり、家臣の事務もかけもちなしで
(それぞれ専任をおいて)させていた。どうして倹約といえようか。」

「それでは管仲は礼をわきまえていたのですか。」

「国君は目かくしの塀を立てて門をふさぐが、
管氏も(陪臣の身でありながら)やはり塀を立てて門の目かくしにした。
国君が二人で修好するときは、盃をもどす台を設けるが、
管氏にもやはり盃をもどす台があった。

管氏でも礼をわきまえているなら、礼をわきまえないものなどだれもなかろう。」

★孔子は、管仲は贅沢好みで礼儀知らず、だといっている。



つづく

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