Re: 『史記』「管晏列傳第二」
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/28 22:11 投稿番号: [207 / 735]
★「管晏列傳」の「管」とは「管子」「管仲」、
「晏」とは「晏子」「晏嬰」のことです。
ともに齊の国の宰相でした。
『史記』「管晏列傳」には、まず管仲についての記述があり、
次に晏子についての記事があります。
★「賈」とは、店を構えて商売すること、「商」とは、行商すること。
古代、殷(商)が滅亡後、殷人の多くが行商に出たのを「商人」といいました。
「殷」でウィキを検索、ずっと下の方、
「滅亡後」というところをご覧下さい。
>商人という言葉は、商(殷)人が国の滅亡した後の生業として、
各地を渡り歩き、物を売っていたことに由来する。
店舗を持たず、各地を渡り歩いて物を売っていた人間を、人々が
「あれは商の人間だ」と言っていたことから「商人」という言葉が生まれた。
そのため、商とは本来「行商」のことであり、漢語では、店舗・露店を
構えて物を売ることを「鬻(ひさ)ぐ」といって区別している<
★「商賈」という言葉は、「列異」だと思います。
「列異・散同」の説明は次頁にて。
〔原文〕
管仲曰。
吾始困時、嘗與鮑叔賈。分財利多自與。鮑叔不以我爲貪。知我貧也。
吾嘗爲鮑叔謀事而更窮困。鮑叔不以我爲愚。知時有利不利也。
吾嘗三仕三見逐於君。鮑叔不以我爲不肖。知我不遭時也。
吾嘗三戰三走。鮑叔不以我爲怯。知我有老母也。
公子糾敗、召忽死之。吾幽囚受辱。鮑叔不以我爲無恥。
知我不羞小節、而恥功名不顯于天下也。生我者父母、知我者鮑子也。
〔訓読〕
管仲曰く、
吾始め困(くる)しみし時、嘗て鮑叔と賈(コ)す。
財利を分かつに多く自ら與う。
叔 我を以て貪(タン)と爲さず。我が貧なるを知ればなり。
吾嘗て鮑叔の爲に事を謀るも更に窮困す。鮑叔我を以て愚と爲さず。
時に利不利有るを知ればなり。
吾嘗て三たび仕え三たび君に逐わる。鮑叔我を以て不肖と爲さず。
我が時に遭わざるを知ればなり。
吾嘗て三たび戰い三たび走る。鮑叔我を以て怯と爲さず。
我に老母有るを知ればなり。
公子糾敗れ、召忽(ショウコツ)之に死す。吾幽囚せられ辱めを受く。
鮑叔 我を以て無恥と爲さず。
我に小節に羞ぢずして、功名の天下に顯(あら)われざるを恥づるを知ればなり。
我を生みし者は父母なるも、我を知る者は鮑子なり、と。
〔解釈〕
管仲は言う。
「わたしがもと困窮していたとき、嘗て鮑叔と組んで商いをした。
そこで得た利益を分配するのに、わたしの取り分を多くした。
しかし鮑叔は、わたしのことを貪欲だとはみなさなかった。
わたしが貧乏であることを知っていたからである。
わたしは嘗て鮑叔のためにある事をはかったが、う
まくいかず状況は更に苦境に陥った。
しかし鮑叔は、わたしのことを愚劣だとはみなさなかった。
時に利と不利とのあることを知っていたからである。
わたしは嘗て三度仕官したが、その三度とも主君から放逐された。
しかし鮑叔は、わたしのことを不肖とはみなさなかった。
わたしが時流に合わなかったことを知っていたからである。
わたしは嘗て三度戦争をして三度とも敗走した。
しかし鮑叔は、わたしのことを臆病者であるとはみなさなかった。
わたしには年老いた母親がいることを知っていたからである。
公子の糾が敗れ、召忽(ショウコツ)は殉死したが、
わたしは生きて入牢させられるという辱めを受けた。
しかし鮑叔は、わたしのことを恥知らずであるとはみなさなかった。
わたしが小さな節義に背くことを恥とはこだわらず、
功名が天下にあらわれないことを恥だとしていることを知っていたからである。
わたしを生んだ者は父母であるが、
わたしを真に知っている者は鮑子である。」と。
★「三仕三見」「三戰三走」
「三」という数字に注目してください。
支那における「三」の意味は、本当に三回かどうかわかりません。
「たくさん」「何度も」かもしれません。
つづく
3635
「晏」とは「晏子」「晏嬰」のことです。
ともに齊の国の宰相でした。
『史記』「管晏列傳」には、まず管仲についての記述があり、
次に晏子についての記事があります。
★「賈」とは、店を構えて商売すること、「商」とは、行商すること。
古代、殷(商)が滅亡後、殷人の多くが行商に出たのを「商人」といいました。
「殷」でウィキを検索、ずっと下の方、
「滅亡後」というところをご覧下さい。
>商人という言葉は、商(殷)人が国の滅亡した後の生業として、
各地を渡り歩き、物を売っていたことに由来する。
店舗を持たず、各地を渡り歩いて物を売っていた人間を、人々が
「あれは商の人間だ」と言っていたことから「商人」という言葉が生まれた。
そのため、商とは本来「行商」のことであり、漢語では、店舗・露店を
構えて物を売ることを「鬻(ひさ)ぐ」といって区別している<
★「商賈」という言葉は、「列異」だと思います。
「列異・散同」の説明は次頁にて。
〔原文〕
管仲曰。
吾始困時、嘗與鮑叔賈。分財利多自與。鮑叔不以我爲貪。知我貧也。
吾嘗爲鮑叔謀事而更窮困。鮑叔不以我爲愚。知時有利不利也。
吾嘗三仕三見逐於君。鮑叔不以我爲不肖。知我不遭時也。
吾嘗三戰三走。鮑叔不以我爲怯。知我有老母也。
公子糾敗、召忽死之。吾幽囚受辱。鮑叔不以我爲無恥。
知我不羞小節、而恥功名不顯于天下也。生我者父母、知我者鮑子也。
〔訓読〕
管仲曰く、
吾始め困(くる)しみし時、嘗て鮑叔と賈(コ)す。
財利を分かつに多く自ら與う。
叔 我を以て貪(タン)と爲さず。我が貧なるを知ればなり。
吾嘗て鮑叔の爲に事を謀るも更に窮困す。鮑叔我を以て愚と爲さず。
時に利不利有るを知ればなり。
吾嘗て三たび仕え三たび君に逐わる。鮑叔我を以て不肖と爲さず。
我が時に遭わざるを知ればなり。
吾嘗て三たび戰い三たび走る。鮑叔我を以て怯と爲さず。
我に老母有るを知ればなり。
公子糾敗れ、召忽(ショウコツ)之に死す。吾幽囚せられ辱めを受く。
鮑叔 我を以て無恥と爲さず。
我に小節に羞ぢずして、功名の天下に顯(あら)われざるを恥づるを知ればなり。
我を生みし者は父母なるも、我を知る者は鮑子なり、と。
〔解釈〕
管仲は言う。
「わたしがもと困窮していたとき、嘗て鮑叔と組んで商いをした。
そこで得た利益を分配するのに、わたしの取り分を多くした。
しかし鮑叔は、わたしのことを貪欲だとはみなさなかった。
わたしが貧乏であることを知っていたからである。
わたしは嘗て鮑叔のためにある事をはかったが、う
まくいかず状況は更に苦境に陥った。
しかし鮑叔は、わたしのことを愚劣だとはみなさなかった。
時に利と不利とのあることを知っていたからである。
わたしは嘗て三度仕官したが、その三度とも主君から放逐された。
しかし鮑叔は、わたしのことを不肖とはみなさなかった。
わたしが時流に合わなかったことを知っていたからである。
わたしは嘗て三度戦争をして三度とも敗走した。
しかし鮑叔は、わたしのことを臆病者であるとはみなさなかった。
わたしには年老いた母親がいることを知っていたからである。
公子の糾が敗れ、召忽(ショウコツ)は殉死したが、
わたしは生きて入牢させられるという辱めを受けた。
しかし鮑叔は、わたしのことを恥知らずであるとはみなさなかった。
わたしが小さな節義に背くことを恥とはこだわらず、
功名が天下にあらわれないことを恥だとしていることを知っていたからである。
わたしを生んだ者は父母であるが、
わたしを真に知っている者は鮑子である。」と。
★「三仕三見」「三戰三走」
「三」という数字に注目してください。
支那における「三」の意味は、本当に三回かどうかわかりません。
「たくさん」「何度も」かもしれません。
つづく
3635
これは メッセージ 206 (ajisai110701 さん)への返信です.
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