紫陽花亭日乗

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Re: 正氣歌     文天祥

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/07/20 21:33 投稿番号: [140 / 735]
蜀の張飛に生け捕りにされた巴郡の太守厳頭は
「頭を断たれる将軍はいるが、降伏する将軍はいない」
と言って降伏を拒絶した。そのために頭を切り落とされた。

晉の永興の初め、叛乱があり、帝は落ちのびるや、①紹(ケイショウ)
(官職は侍中)は行在所に駆けつけ、儼然と帝を衛って賊を防いだ。
しかし飛箭雨集し、①紹(ケイショウ)は帝の側に倒れた。
その血が帝の御衣に濯いだ。
平定後、家来は帝に衣の血を洗うことを請うたが、
帝は「此れは①(ケイ)侍中の血、去る勿れ」と言った。

①「禾」の右横に「尤」、   その下に「山」    ケイ

唐代の人、張巡は、安録山の乱のとき、②陽(スイヨウ)を護って戦った忠臣。
張巡は戦の折り、歯をかみしめて戦ったので、歯をだめにした。
また最期のとき、敵を罵って死んだ。

②「目」+   ふるとり    スイ

唐代、忠烈無比といわれた常山の太守である顔杲卿(がんこうけい)は、
安録山の乱のとき、抗戦したが、矢尽き、安録山に臣従を迫られた。
顔杲卿は、逆に忘恩負義を責めたので、舌を抜かれ、切り刻まれて殺された。
常山は地名でもあり官職でもある。

黄巾の乱を避けて遼東に移った管寧は有能で驕ることのない清官だった。
身分の低い者がかぶる黒い粗末な帽子で、質素な白い木綿の衣服であった。
清らかな節操は、はげしくきびしいこと雪や氷の如くである。

あるいは、蜀の諸葛亮孔明が後主劉禅に奉った、忠誠心溢れた
『出師の表』となりその出師の表に吐露された諸葛亮の忠誠心は、
鬼神も泣くほど壮烈であったという

あるいは、南渡したときに、川の流れをかいで撃って、祖国中原の恢復を
誓ったときの心意気の昂ぶりは、北方の異民族を圧倒してしまうほどだった

あるいは、唐の徳宗のときに謀反をたくらんだ朱③(シュセイ)を、
段秀実が笏で打ち据えて反逆者の頭が割れてしまった故実もあった

③さんずい   +   「比」    セイ


つづく

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